深川浅景

7話 深川浅景(7)

2,806字 約6分 2018年2月2日 公開

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 境内(けいだい)は、(つち)()つて(しろ)()けるが(ごと)く、(ひと)まばらにして(ちり)()かず。神官(しんくわん)嚴肅(げんしゆく)に、僧達(そうたち)靜寂(せいじやく)に、御手洗(みたらし)(みづ)(すゞし)かつた。

 たゞ納手拭(をさめてぬぐひ)(くろ)(よぢ)れたのが、吹添(ふきそ)(かぜ)(ひるがへ)つて、ぽたんと(ほゝ)()つた。遊廓(いうくわく)()(だん)じて、いまだ(そゝ)がざる(なまぐさ)(くち)だつたからであらう。()(おそ)れた(こと)はいふまでもない。()にも、なほ二三(にさん)()寺社(てらやしろ)(まう)でたから、(いた)(よご)(あか)づいた奉納手拭(ほうなふてぬぐひ)は、その何處(どこ)であつたかを(いま)(わす)れた。和光同塵(わくわうどうぢん)とは(まを)せども、神境(しんきやう)佛地(ぶつち)である。――近頃(ちかごろ)衞生上(ゑいせいじやう)使(つか)はぬことにはなつてゐるが、(たん)(かざ)りとして、(はなは)だしく(よご)れた手拭(てぬぐひ)は、一體(いつたい)()(あづ)かり()るべきものであるかを(うかゞ)ひたい。(はや)(ところ)は、奉納(ほうなふ)をしたものが(こゝろ)して。……清淨(せいじやう)にすべきであらう。

 (つゝし)んで參詣(さんけい)した。(ちやう)三時半(さんじはん)であつた。まだ晝飯(おひる)()ましてゐない。お()やすみかた/″\立寄(たちよ)つたのが……門前(もんぜん)の、宮川(みやがは)か、いゝえ、木場(きば)の、きん(いね)か、いゝえ、(とり)の、初音(はつね)か、いゝえ。何處(どこ)だい! えゝ、()(おほ)きな(こゑ)()しては空腹(すきばら)にこたへる、何處(どこ)といひ()てる(ほど)(こと)もない、その(へん)の、そ…ば…や……です。あ、あ。

()らつしやい。」

 しかし、蕎麥屋(そばや)(はう)威勢(ゐせい)()い。横土間(よこどま)(あつら)へを()くのが、前鼻緒(まへはなを)のゆるんだ、ぺたんこ下駄(げた)で、(あしのうら)眞黒(まつくろ)小婢(ちび)とは(たて)(ちが)ふ。筋骨(きんこつ)屈竟(くつきやう)壯佼(わかもの)が、向顱卷(むかうはちまき)筋彫(すぢぼり)ではあるが、()(うで)()けて、(ふえ)太鼓(たいこ)、おかめ、ひよつとこの刺青(ほりもの)。ごむ(ぞこ)足袋(たび)で、トン/\と土間(どま)()つて、「えゝお待遠(まちどほ)う。」(ねんごろ)註文(ちうもん)した、熱燗(あつかん)鷲掴(わしづか)みにしながら、(かまち)(むね)(はす)つかけ、(こし)(おと)して、下睨(したにら)みに、刺青(ほりもの)(うで)で、ぐいと()()す――といつた調子(てうし)だから、古疊(ふるだたみ)片隅(かたすみ)へ、(すそ)のよぢれたので(かしこ)まつた(きやく)の、(はゞ)()かないこと一通(ひととほ)りでない。

饂飩(うどん)(あつら)へても(しか)られまいかね。」

(なに)、あなた。(しな)がきが貼出(はりだ)してある以上(いじやう)は、月見(つきみ)でも、とぢでも(なん)でも。」

成程(なるほど)。」

 (せま)(みせ)で。……つい鼻頭(はなさき)(かまち)に、ぞろりとした(くろ)絽縮緬(ろちりめん)羽織(はおり)を、くるりと(しり)捲込(まきこ)むで、脹肥(はちき)れさうな膏切(あぶらぎ)つた(また)を、(ほとん)付根(つけね)まで露出(むきだし)片胡坐(かたあぐら)、どつしりと(こし)()けた、三十七八(さんじふしつぱち)血氣盛(けつきざか)り。(あそ)(にん)か、と(おも)はれる角刈(かくがり)で、その(くせ)パナマ(ばう)差置(さしお)いた。でつぷりとして、(しか)頬骨(ほゝぼね)()つたのが、あたり(いも)半分(はんぶん)(なが)して、蒸籠(せいろう)二枚(にまい)()み、(たね)ものを(ひか)へて、銚子(てうし)四本(しほん)(なら)べてゐる。(わたし)たちの、(やぶ)暖簾(のれん)()げた(とき)――その壯佼(わかもの)對手(あひて)に、聲高(こわだか)(べん)じてゐたのが、對手(あひて)(うご)いたため、つと申絶(なかだ)えがしたので。……しばらく手酌(てじやく)()めながら、ぎろ/\、(あて)のないやうに、しかしおのづから(わたし)たちに(ひとみ)()ける。(わたし)はその銚子(てうし)(かず)をよんで、……(うらや)んだのではない、()ひの程度(ほど)(はか)つたのである。(なる)たけ()帳場(ちやうば)()せて、窓越(まどごし)に、(しろ)圓々(まる/\)(ふと)つた女房(かみさん)(たすき)がけの()が、帳面(ちやうめん)(はたら)くのを(ちから)にした。(おび)えたから、猪口(ちよく)(こぼ)すと、同伴(つれ)が、そこは心得(こゝろえ)たもので、(ふた)(をり)半紙(はんし)懷中(ふところ)から()つて()段取(だんどり)などあり。

「やあ、……()きなよ。おい、それからだ。しかし(いそが)しいな。」

 (わたし)たちの(あつら)へを一二度(いちにど)(とほ)すと、すぐ出前(でまへ)に――ポンと袢纏(はんてん)(かた)()げて、(あたか)も、八幡祭(はちまんまつり)御神輿(おみこし)。(こゝのは(かつ)ぐのではない、鳳凰(ほうわう)(かゞや)くばかり霄空(おほぞら)から、舞降(まひくだ)(ところ)を、百人(ひやくにん)一齊(いつとき)に、()(あが)つて()けるのだといふ)御神輿(おみこし)()()ける(いきほ)ひで()()した。その壯佼(わかもの)引返(ひきかへ)したのを、待兼(まちか)ねた、と(また)(べん)じかけた。

「へい、おかげ(さま)で。……」

蕎麥(そば)手打(てう)ちで、まつたく感心(かんしん)()はせるからな。」

「お住居(すまひ)兜町(かぶとちやう)(はう)だとおつしやいますが、よく、()(へん)(あか)るくつておいでなさいますね。」

町内(ちやうない)づきあひと(おな)(こと)さ、そりやお(めえ)(あま)()んでる(ところ)だからよ。あはゝはゝ。」

「えゝ、()うもお(たのし)みで。」

對手(あひて)が、素地(しらち)で、(うぶ)()てるから、そこは(かへ)つて(くる)しみさな。(なさけ)苦勞(くらう)(もと)めるんだ。洒落(しや)れた(ところ)はいくらもあるのに――だが、手打(てうち)だから、つゆ加減(かげん)がたまらねえや。」

 天麩羅(てんぷら)を、ちゆうと()つて、

(なに)しろ、お(めえ)(おれ)(かほ)()せると、(しろ)頸首(えりくび)が、島田(しまだ)のおくれ()で、うつむくと、もう(たちま)耳朶(みゝたぶ)までポツとならうツて(あま)が、お人形(にんぎやう)さんに()せるのだ、といつて、(ちひ)さな紋着(もんつき)()つてゐるんだからよ。ふびんが(くは)はらうぢやねえか、えへツへツ。人形(にんぎやう)のきものだとよ。てめえが()玩弄(おもちや)(くせ)にしやあがつて。」

「また、旦那(だんな)滅法界(めつぽふけえ)掘出(ほりだ)しものをなすつたもんだね。一町(ひとまち)()せば、(はまぐり)も、(しゞみ)も、(やま)()んぢやあありますが、問屋(とんや)にも、おろし()にも。……おまけに素人(しろうと)に、そんな(ひか)つたのは()(こと)もありやしません。」

(ひか)るつたつて硝子(ビイドロ)ぢやあねえぜ。……(そこ)(つや)があつて、ほんのり(かす)んでゐる(たま)だよ。こいつを、(てのひら)でうつむけたり、仰向(あふむ)けたり、(ピン)といへば(ピン)()る、()といへば()()る。龍宮(りうぐう)から(さづ)かつた(さい)ころのやうな(たま)だから、えへツえへツへツ。」

「あ、旦那(だんな)猪口(ちよく)から。」

色香(いろか)(こぼ)るゝ(ごと)し……(わか)つてる。縁起(えんぎ)がなくつちやあ眞個(ほんたう)にはしめえな。()うだ? (これ)をみつけたのが、女衒(ぜげん)でも、取揚婆(とりあげばゞあ)でもねえ。盲目(めくら)だ。――盲目(めくら)なんだから、深川七不思議(ふかがはなゝふしぎ)(うち)だらうぜ。こゝらも(なが)(こと)があるだらう。仲町(なかちやう)や、洲崎(すさき)ぢや評判(ひやうばん)の、松賀町(まつかちやう)うらに()大坊主(おほばうず)よ。(おれ)洒落(しやれ)鶴賀(つるが)をかじつて、坊主(ばうず)出來(でき)るから、時々(とき/″\)(なぐさ)みに稽古(けいこ)()くと(おも)ひねえ。

親一人(おやひとり)子一人(こひとり)で、旦那(だんな)大勢(おほぜい)手足(てあし)()きたくない、と(まを)しまするで、お(なさけ)(つか)はされ。)――かねて、熊井(くまゐ)平久(へいきう)平野(ひらの)新道(しんみち)と、(おれ)百人斬(ひやくにんぎり)()つてるから、(特別(とくべつ)のお(なさけ)を。)――よし()た、(はや)(ところ)を。で、どうせ、あく(あら)ひをするか、()がかないぢや使(つか)へない(しろ)ものだと(おも)つたのが、……まるでもつて、其處等(そこら)辨天(べんてん)……」

「あゝ、不可(いけね)え、旦那(だんな)(あつし)がこんな(がら)でいつちや、をかしいやうですがね、うつかり風説(うはさ)はいけません。時々(とき/″\)貴女(あなた)のお姿(すがた)人目(ひとめ)()えて、(しか)もお(めえ)さん。……(かみ)をお(あら)ひなさる(こと)さへあるツて()ひますから。……や、(はなし)をしても、裸體(はだか)(わき)(した)(くすぐ)つてえ。」

「それだよ/\、その(とほ)り、(かへ)つて結構(けつこう)ぢやねえか。本所(ほんじよ)(ひと)()()ねえな……盲目(めくら)()つけたのからして、もうすぐに辨天(べんてん)だ。(おれ)(はう)でいはうと(おも)つた。――いつか、(つれ)をごまかす都合(つがふ)でな、隙潰(ひまつぶ)しに開帳(かいちやう)さして、其處等(そこら)辨天(べんてん)(かほ)()たと(おも)ひねえ、(おれ)玩弄品(おもちや)に、その、肖如(そつくり)さツたら。一寸(ちよつと)(おどろ)いた。……おまけに、(おれ)(じつ)()てゐるうちに、(まぶた)がぽツと()たぜ。……ウ。」

 柘榴(ざくろ)(はな)が、パツと()る。

「あ、衄血(はなぢ)だ。」

「ウーム。」

 (あそ)(にん)旦那(だんな)仰向(あふむけ)(うな)つた。夥多(おびたゞ)しい衄血(はなぢ)である。(ちやう)()にした(どんぶり)(なが)()むのを、あわてて土間(どま)(おと)したが、蕎麥(そば)天麩羅(てんぷら)眞赤(まつか)()つた。鼻柱(はなばしら)になほ(ほとばし)つて、ぽた/\と蒸籠(せいろう)にしたゝり猪口(ちよく)()ねた()に、ぷんと、(どくだみ)(にほひ)がした。

「お(ひや)(まを)して……」

 女房(かみさん)土間(どま)片膝(かたひざ)()ろした。同伴(つれ)深切(しんせつ)懷紙(くわいし)()つて()ちかけたが、壯佼(わかもの)屈竟(くつきやう)だから、人手(ひとで)()らない。(かた)引掛(ひつか)けると、ぐな/\と()つて、臺所口(だいどころぐち)へ、薄暗(うすぐら)土間(どま)()く。四角(しかく)(つら)は、のめつたやうで眞蒼(まつさを)である。

 (わたし)たちは、無言(むごん)(かほ)見合(みあ)はせた。

 水道(すゐだう)(みづ)が、ざあ/\()るのを()きながら、(さけ)をあまして、蕎麥屋(そばや)()た。

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