深川浅景

6話 深川浅景(6)

2,610字 約5分 2018年2月2日 公開

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 (じゆん)(ちが)ふが、――こゝで一寸(ちよつと)(はな)したい。――これは、(のち)に、洲崎(すさき)辨財天(べんざいてん)鳥居前(とりゐまへ)の、寛政(くわんせい)津浪之碑(つなみのひ)(まへ)での(こと)である。――打寄(うちよ)する(なみ)()いて、いま()はう。

 汐見橋(しほみばし)から、(うみ)(むか)つた――大島川(おほしまがは)入江(いりえ)(かど)、もはや平久町(へいきうちやう)何丁(なんちやう)めに()つた――出洲(でず)(はな)(おな)津浪(つなみ)()()つて()た。――前談(ぜんだん)谷崎(たにざき)さんと活動寫眞(くわつどうしやしん)一行(いつかう)が、(ふね)()て、()(きし)()震災前(しんさいぜん)には、蘆洲(あしず)(なか)に、孤影(こえい)煢然(けいぜん)として、百年(ひやくねん)一人(ひとり)()(かげ)(ごと)く、あの、(すご)く、(さび)しく、あはれだつた()が、(あたか)も、のつぽの石臼(いしうす)(ごと)()つて、すぐ(そば)には、物干棹(ものほしざを)洗濯(せんたく)ものが(かゝ)つて、(ざう)()づるのではないが、(わたし)たちの(いし)(めぐ)るのを、片側長屋(かたがはながや)小窓(こまど)から、場所(ばしよ)らしい、(きやん)()だの、洒落(しや)れた女房(かみさん)が、(そで)引合(ひきあ)つて(のぞ)いたものであつた。――いまは(おな)(ところ)、おなじ河岸(かし)に、ポキリと(さい)(つの)()れた(ごと)く、(ふち)にも()らぬ(あと)(のこ)して、()(むくろ)(かげ)もない。

 ()けた(みづ)を、目前(まのあたり)(なみ)鱗形(うろこがた)()んだ、煉瓦(れんぐわ)()にして、卒堵婆(そとば)一基(いつき)。――神力大光普照無際土消險(しんりきたいくわうふせうむさとせうけん)三垢冥廣濟衆厄難(さんくみやうかうさいしうやくなん)。――しか/″\と(しる)したのが、(みづ)(なゝめ)()つて()る。

 (もつと)も、案内者(あんないしや)といへども、汐見橋(しほみばし)から(みづ)(うへ)()んだのではない。一度(いちど)富岡門前(とみをかもんぜん)へ。……それから仲通(なかどほり)越中島(ゑつちうじま)へ、蓬莱橋(ほうらいばし)(わた)ること――()谷崎(たにざき)さんの(とき)(ほとん)同一(おなじ)に、(かつ)(かは)()ちた(きやく)が、津浪之碑(つなみのひ)(たづ)ねたので、古石場(ふるいしば)牡丹町(ぼたんちやう)(かは)づたひに、途中(とちう)()(だん)(いつ)つを(かぞ)へる、(ひと)のほか(くるま)(つう)じない牡丹橋(ぼたんばし)(たか)(わた)つた。――()(おほまは)りをしないと、汐見橋(しほみばし)から()()るやうでも、()のあとへは(いた)()ないのである。()のあたり、(ふね)長屋(ながや)(みづ)(いへ)肌襦袢(はだじゆばん)(ちゝ)のむつちりしたのなどは、品格(ひんかく)ある讀者(どくしや)のお()きなさりたくない(こと)(しん)じて、(さき)(いそ)ぐ。(したが)つて古石場(ふるいしば)石瓦(いしがはら)石炭屑(せきたんくづ)などは(ろん)じない。(たゞ)(ひと)牡丹町(ぼたんちやう)御町内(ごちやうない)、もしあらば庄屋(なぬしさま)建言(けんげん)したい(こと)がある。場所(ばしよ)のいづれを()はず、一株(ひとかぶ)牡丹(ぼたん)を、(には)なり(はち)なりに()ゑて(ほし)い。(こう)(はく)()濃艷(のうえん)淡彩(たんさい)()(たゞ)一輪(いちりん)(はな)(ひら)いて、(うてな)金色(こんじき)町名(ちやうめい)(きざ)むとせよ、全町(ぜんちやう)立處(たちどころ)樂園(らくゑん)(くわ)して、いまは()えぬ、團子坂(だんござか)入谷(いりや)の、(きく)朝顏(あさがほ)萩寺(はぎでら)(はぎ)、を(しの)いで、大東京(だいとうきやう)名所(めいしよ)()らう。(およ)そ、その(まち)(あら)はるゝは、()(ひと)(とみ)でない。ダイヤモンドの指環(ゆびわ)でない、(とき)に、一本(ひともと)(はな)である。

 やがて、()のあとに、供養(くやう)塔婆(たふば)を、爲出(しいだ)(こと)もなく(とむら)つた。

 (しづ)んだか、()けたか、()行方(ゆくへ)(たづ)ねようと(おも)ふにさへ、片側(かたがは)のバラツクに、數多(かずおほ)(あつま)つたのは、最早(もは)や、女房(かみさん)にも(むすめ)にも、深川(ふかがは)(ひと)どころでない。百里(ひやくり)帶水(たいすゐ)對馬(つしま)(へだ)てた隣國(りんごく)から入稼(いりかせ)ぎのお(きやく)である。煙草(たばこ)()つて、ラムネ、サイダーを(しやく)するらしい、おなじ鮮女(せんぢよ)(きぬ)(しろ)きが二人(ふたり)(はうき)使(つか)ひ、道路(だうろ)(みづ)()つを()た。(たふ)(きよ)むるは、(そう)善行(ぜんぎやう)である。(まち)()くのは、(つち)(あい)するのである。殊勝(しゆしよう)のおん(こと)、おん(こと)と、(こゝろ)ばかり默禮(もくれい)しつゝ、(わたし)たちは、むかし蘆間(あしま)(わた)せし船板(ふないた)――(てつ)平久橋(へいきうばし)(わた)る。

震災(しんさい)(とき)ではありませぬで、ついこの(あひだ)大風(おほかぜ)()れましてな。」

 同伴(つれ)よ、(ゆる)せ、(あか)(がほ)で、はげたのが――(あし)()()(なみ)の、(つゝみ)(なら)蘆簀(よしず)茶屋(ちやや)から、白雪(しらゆき)富士(ふじ)()える、こゝの(むかし)(ゑが)いた(くば)りものらしい――團扇(うちは)使(つか)ひながら、洲崎(すさき)辨財天(べんざいてん)鳥居外(とりゐそと)に、(いし)(さく)(ゆる)くめぐらした、()(まへ)()つた(とき)、ぶらりと來合(きあ)はせて、六十年配(ろくじふねんぱい)()ういつた。

此處(このところ)寛政三年(くわんせいさんねん)(なみ)あれの(とき)(いへ)(なが)(ひと)()するもの(すくな)からず、()(のち)高波(たかなみ)(へん)はかり(がた)く、溺死(できし)(なん)なしといふべからず、これによりて西入船町(にしいりふねちやう)(かぎ)り、東吉祥寺前(ひがしきちじやうじまへ)(いた)るまで、(およ)(なが)二百八十間餘(にひやくはちじつけんよ)(ところ)家居(いへゐ)取沸(とりはら)ひ、空地(あきち)となし()くものなり。

 寛政六甲寅十二月日――(小作中(せうさくちう)一度(いちど)載之(これをのす)。――再録(さいろく)。)

 繰返(くりかへ)すやうだけれども、文字(もじ)(ほとん)(みと)(がた)い。()三尺(さんじやく)(くぼ)んだやうに()(なかば)(うづ)まつた。

 ――(ちなみ)にいふ、芭蕉(ばせを)(よう)のある(ひと)は、六間堀(ろくけんぼり)方面(はうめん)()くがよい――江戸(えど)(みづ)製造元(せいざうもと)式亭三馬(しきていさんば)(はか)は、淨心寺中(じやうしんじちう)雲光院(うんくわうゐん)にある。

 さて、(とき)を、いへば、やがて五時半(ごじはん)であつた。(なつ)()も、この梅雨空(つゆぞら)で、(あめ)小留(をや)んだ()も、()しながら(いん)(こも)つて、家居(いへゐ)(しづ)み、(つじ)黄昏(たそが)れた。

 團扇(うちは)()つた六十年配(ろくじふねんぱい)が、(ひと)頸窪(ぼんのくぼ)()(たゝ)いて立去(たちさ)るあとから、同伴(つれ)は、兩切(りやうぎり)煙草(たばこ)()ふといつて、(ゆみ)なりの(つじ)を、洲崎(すさき)(はう)小走(こばし)りする。

 ぽつねんとして、あとに、(みづ)(はな)れた人間(にんげん)棒立(ぼうだち)と、(うも)れた()相對(あひたい)した(とき)であつた。

 皺枯(しはが)れた(こゑ)をして、

旦那(だな)さ――ん。」

「あ。」

 (おも)はず振向(ふりむ)くと、ふと背後(うしろ)()つて、暮方(くれがた)(いろ)(まぎ)るゝものは、あゝ何處(どこ)かで()た……(おほ)びけ()ぎの遣手部屋(やりてべや)か、(いな)四谷(よつや)閻魔堂(えんまだう)か、(いな)前刻(さつき)閻王(えんわう)(ひざ)(かげ)か、(いな)(いま)しがた白衣(びやくえ)鮮女(せんぢよ)が、(みち)()いた小店(こみせ)(おく)に、(くら)()(ひか)らして()た、(かな)あみを(しぼ)つたやうに、(しわ)(かず)(おもて)(きざ)んで、白髮(しらが)(さかさ)(みだ)しつゝ、淺葱(あさぎ)筒袖(つゝそで)(くろ)(はかま)はいた(おうな)である。(まん)ちやんの淺草(あさくさ)には、(いし)(まくら)(ひと)()がある。安達(あだち)(はら)には黒塚(くろづか)がある。こゝのは僥倖(さいはひ)に、檳榔(びんらう)()(やう)團扇(うちは)皺手(しわで)に、出刃庖丁(でばばうちやう)()つてをらず、(はら)ごもりの嬰兒(あかご)胞衣(えな)のまゝ(つか)んでもゐない。讀者(どくしや)は、たゞ(すご)く、不氣味(ぶぎみ)に、(れい)あり、(けん)あり、前世(ぜんせ)約束(やくそく)ある古巫女(ふるいちこ)想像(さうざう)さるればよい。なほ同一(おなじ)川筋(かはすぢ)を、扇橋(あふぎばし)から本所(ほんじよ)場末(ばすゑ)には、天井(てんじやう)(うら)(かべ)(なか)に、(いま)口寄(くちよ)せの巫女(いちこ)(かげ)(のこ)ると()く。

(みづ)(おと)()こえまするなう。何處(どこ)となくなう。」

「…………」

旦那(だな)さ――ん、(いま)のほどは汐見橋(しほみばし)(うへ)でや、(みづ)(あが)るのをば、(うれ)しげに()てござつた。……(にご)(にご)つた、この、なう、溝川(どぶがは)も、(ほり)も、入江(いりえ)も、(きよ)めるには、まだ/\(しほ)()りませぬよ、()りませぬによつて、なう、眞夜中(まよなか)()()なされまし。――(つき)にも、(ほし)にも、(うつく)しい、氣高(けだか)い、お姫樣(ひめさま)が、なう、勿體(もつたい)ない、(しづ)(わざ)ぢや、今時(いまどき)女子(をなご)(とほ)り、()()たぬお姿(すがた)でなう、(ふね)(うか)べ、(いかだ)()つて、大海(たいかい)(みづ)を、さら/\と、この(うへ)、この(うへ)(そゝ)がつしやります(こと)よ。……あゝ、有難(ありがた)うござります。おまゐりをなされまし、……おゝ、お()れがござりましたの。――おさきへ、ごゆるされや、はい、はい。」

 と、鳥居(とりゐ)(くゞ)らず、片檐(かたのき)(くら)(ところ)を、蜘蛛(くも)()のやうに――()ものの(うす)さに、()(しわ)を、次第(しだい)に、板羽目(いたはめ)()けて、奧深(おくふか)境内(けいだい)()えて()く。

「やあ、お待遠樣(まちどほさま)。――次手(ついで)囀新道(さへづりじんみち)とかいふのを、一寸(ちよつと)……(のぞ)いて()たが……(つばくろ)にしては(あたま)(しろ)い。あはははは、が、(おどろ)きました、露地口(ろぢぐち)に、妓生(きいさん)のやうなのが三人(さんにん)ゐましたぜ、ふはり/\と(しろ)(ふく)で。」

 ――(わす)れたのではない。(わたし)たちは、(じつ)はまだ汐見橋(しほみばし)に、その(しほ)()つゝ()つてゐる。――

 富岡八幡宮

 成田山不動明王

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