淡島椿岳 ――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――

5話 十一 画人椿岳 浅草絵と浅草人形

613字 約1分 2011年7月14日 公開

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 椿岳のいわゆる浅草絵というは淡島堂のお堂守をしていた頃の徒然(つれづれ)のすさびで、大津絵(おおつえ)風の泥画である。多分又平の風流に倣ったのであろう。十二枚袋入がたった一朱であった。袋の文字は大河内侯の揮毫を当時の浅草区長の町田今輔が雕板(ちょうばん)したものだそうだ。慾も得もない書放しで、微塵(みじん)も匠気がないのが好事(こうず)の雅客に喜ばれて、浅草絵の名は忽ち好事家間に喧伝された。が、素人眼(しろうとめ)には下手(へた)小汚(こぎた)なかったから、自然粗末に扱われて今日残ってるものは極めて(まれ)である。椿岳歿後、下岡蓮杖が浅草絵の名を継いで泥画を描いていたが、蓮杖のは椿岳の真似をしたばかりで椿岳の洒脱と筆力とを欠き、同じ浅草絵でも椿岳のとは似て非なるものであった。が、その蓮杖も二、三年前故人となって、浅草絵の名は今では全く絶えてしまった。

 椿岳の浅草人形というは向島(むこうじま)隠棲(いんせい)してから後、第二博覧会の時、工芸館へ出品した伏見焼のような姉様(あねさま)や七福神の泥人形であって、一個二十五銭の札を附けた数十個が一つ残らず売れてしまった。伏見人形風の彩色の上からニスを塗ったのが如何にも生々(なまなま)しくて、椿岳の作としては余り感服出来ないものである。が、椿岳の奇名が鳴っていたから、椿岳の作といえば何でも風流がってこの人形もまた相応に評判されたもんだ。今でも時偶(ときたま)は残っていて、先年の椿岳展覧会にも二、三点見えたが、椿岳の作では一番感服出来ないものであった。尤もニスを塗った処が椿岳の自慢で、当時はやはり新らしかったのである。

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