露宿

3話 露宿(3)

2,656字 約5分 2011年10月17日 公開

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 却説(さて)――その白井(しらゐ)さんの四歳(よツつ)()(をとこ)()の、「おうちへ(かへ)らうよ、(かへ)らうよ。」と()つて、うら(わか)(かあ)さんとともに、(わたし)たちの(むね)(いた)ませたのも、その(かあ)さんの(すゑ)(いもうと)の十一二に()るのが、一生懸命(いつしやうけんめい)學校用(がくかうよう)革鞄(かばん)(ひと)(ひざ)()いて、少女(せうぢよ)のお(とぎ)繪本(ゑほん)()けて、「(なん)です。こんな(ところ)で。」と、(しか)られて、おとなしくたゝんで、ほろりとさせたのも、(よひ)()で。……(いま)はもう()んだやうに(みな)(ねむ)つた。――

 深夜(しんや)

 二時(にじ)()ぎても(とり)(こゑ)(きこ)えない。()かないのではあるまい。()(ちか)づく()の、ぱち/\/\、ぐわう/\どツと()(おと)(まぎ)るゝのであらう。(たゞ)此時(このとき)大路(おほぢ)(とき)(ひゞ)いたのは、肅然(しゆくぜん)たる騎馬(きば)のひづめの(おと)である。()のあかりに(うつ)るのは騎士(きし)直劍(ちよくけん)(かげ)である。二人(ふたり)三人(みたり)づゝ、いづくへ()くとも()らず、いづくから()るとも()かず、とぼ/\した(をんな)(をとこ)と、(をんな)(なとこ)と、(かげ)のやうに辿(たゞよ)ひ《さまよ》ふ。

 (わたし)はじつとして、(また)たゞひとへに月影(つきかげ)()つた。

 白井(しらゐ)さんの家族(かぞく)四人(よにん)、――主人(しゆじん)はまだ()けない(いへ)(まも)つてこゝにはみえない――(わたし)たちと、……濱野(はまの)さんは八千代(やちよ)さんが折紙(をりがみ)をつけた、いゝ(をとこ)ださうだが、仕方(しかた)がない。公園(こうゑん)(かこひ)草畝(くさあぜ)(まくら)にして、うちの女中(ぢよちう)(ひと)毛布(けつと)にくるまつた。これに(とな)つて、あの床屋子(とこやし)が、子供弟子(こどもでし)づれで、仰向(あふむ)けに(たふ)れて()る。(わづか)一坪(ひとつぼ)たらずの(ところ)へ、()左右(さいう)()んで、()人數(にんず)である。もの干棹(ほしざを)にさしかけの茣蓙(ござ)の、しのぎをもれて、(そと)にあふれた(ひと)たちには、(かさ)をさしかけて夜露(よつゆ)(ふせ)いだ。

 が、夜風(よかぜ)も、白露(しらつゆ)も、(みな)(ゆめ)である。()(かぜ)(くろ)く、()(つゆ)(あか)からう。

 ()、こゝに、(ひく)草畝(くさあぜ)内側(うちがは)に、(つゆ)とともに次第(しだい)()()く、提灯(ちやうちん)(なか)に、ほの(しろ)(かすか)()えて、一張(ひとはり)天幕(テント)があつた。――晝間(ひるま)(あか)(はた)()つて()た。()(はた)(おと)もなく(きた)(はう)(なゝめ)(なび)く。何處(どこ)大商店(だいしやうてん)避難(ひなん)した……()店員(てんゐん)たちが交代(かうたい)貨物(くわもつ)(ばん)をするらしくて、()(がた)には七三(しちさん)(かみ)で、眞白(まつしろ)で、この(なか)友染(いうぜん)模樣(もやう)派手(はで)單衣(ひとへ)()た、女優(ぢよいう)まがひの女店員(をんなてんゐん)二三人(にさんにん)姿(すがた)()えた。――()天幕(テント)(なか)で、()深更(しんかう)に、(たちま)(ふえ)()くやうな、(とり)(うた)ふやうな(こゑ)()つた。

「……(とま)つて()けよ、(とま)つて()けよ。」

可厭(いや)よ、可厭(いや)よ、可厭(いやあ)よう。」

 (こゑ)(ころ)して、

「あれ、おほゝゝゝ。」

 やがて接吻(キツス)(おと)がした。天幕(テント)にほんのりとあかみが()した。が、やがて(くら)()つて、もやに(しづ)むやうに()えた。()所業(なすわざ)ではない、人間(にんげん)擧動(ふるまひ)である。

 (わたし)(これ)を、(なん)ずるのでも、(あざ)けるのでもない。(いはん)(けつ)して(うらや)むのではない。(むし)()勇氣(ゆうき)(たゝ)ふるのであつた。

 天幕(テント)()えると、二十二(にち)(つき)(かすか)(けむり)(はな)れた。が、(むか)土手(どて)(まつ)()らさず、()茣蓙(ござ)(ひさし)にも()れず、(けむり)(ひら)いたかと(おも)ふと、(また)(とざ)される。(した)へ、(した)へ、(けむり)()して、押分(おしわ)けて、(まつ)(こずゑ)にかゝるとすると、(たちま)(また)(けむり)が、(そら)へ、(そら)へとのぼる。斜面(しやめん)玉女(ぎよくぢよ)(むせ)ぶやうで、(なや)ましく、(いき)ぐるしさうであつた。

 衣紋(えもん)(ほそ)く、圓髷(まげ)を、おくれ()のまゝ、ブリキの(くわん)(まくら)して、緊乎(しつか)と、白井(しらゐ)さんの(わか)(かあ)さんが(むね)()いた幼兒(をさなご)が、(おび)えたやうに、海軍服(かいぐんふく)でひよつくりと()きると、ものを(じつ)()て、みつめて、むくりと(なか)()きたが、(ちひ)さい(むすめ)さんの(むね)(うへ)()つて、()ると(すべ)つて、ころりと(たはら)にころがつて、すや/\と()のまゝ()た。

 (わたし)(ひざ)をついて總毛立(そうけだ)つた。

 唯今(たゞいま)()おびれた(をさない)のの、(じつ)()たものに()()ると、(おほかみ)とも、(とら)とも、(おに)とも、()とも(わか)らない、(すさま)じい(つら)が、ずらりと(なら)んだ。……いづれも差置(さしお)いた()恰好(かつかう)異類(いるゐ)異形(いぎやう)(さう)(あらは)したのである。

 (もつと)間近(まぢか)かつたのを、よく()た。が、(しろ)風呂敷(ふろしき)()けめは、四角(しかく)にクハツとあいて、しかも(ゆが)めたる(くち)である。結目(むすびめ)(みゝ)である。墨繪(すみゑ)模樣(もやう)八角(はつかく)(まなこ)である。たゝみ()(しわ)(ひと)つづゝ、いやな黄味(きみ)()びて、()えかゝる提灯(ちやうちん)(かげ)で、ひく/\と(みな)()れる、(ひゝ)()化猫(ばけねこ)である。

 (わたし)(ぬえ)()ふは(これ)かと(おも)つた。

 ()(となり)()(となり)()(うへ)()(した)(なら)んで、(かさな)つて、(あるひ)(あを)く、(あるひ)(あか)く、(あるひ)(くろ)く、(およ)(うす)ほどの、(へん)な、可厭(いや)(けもの)(いく)つともなく(なら)んだ。

 (みな)可恐(おそろし)(ゆめ)()()よう。いや、()(ゆめ)(しるし)であらう。

 ()手近(てぢか)なのの、裂目(さけめ)(くち)を、(わたし)(あま)りの(こと)に、()でふさいだ。ふさいでも、()く。()いて()れると、(した)()したやうに()えて、風呂敷包(ふろしきづつみ)甘澁(あましぶ)くニヤリと(わら)つた。

 (つゞ)いて、どの(けもの)(つら)(みな)(わら)つた。

 爾時(そのとき)であつた。あの四谷見附(よつやみつけ)()()(やぐら)は、(まど)()をはめたやうな兩眼(りやうがん)を《みひら》いて、(てん)(ちう)する、素裸(すはだか)()(かたち)(へん)じた。

 土手(どて)(まつ)の、一樹(いちじゆ)一幹(いつかん)。《あうん》に(ひぢ)()つて突立(つツた)つた、(あか)き、(くろ)き、(あを)(おに)()えた。

 が、あらず、それも、(のち)(おも)へば、()(ふせ)がんがために粉骨(ふんこつ)したまふ、焦身(せうしん)仁王(にわう)(ざう)であつた。

 ()や、(けむり)(つゝ)まれたやうに息苦(いきぐる)しい。

 (わたし)婦人(ふじん)婦人(ふじん)との(あひだ)(ひろ)つて、(そつ)大道(だいだう)夜氣(やき)(あたま)(ひや)さうとした。――(わか)(かあ)さんに(さは)るまいと、ひよいと(こし)()かして()た、はずみに、()婦人(ふじん)(うへ)にかざした蛇目傘(じやのめがさ)(した)(はひ)つて、(あたま)(つか)へた。ガサリと(おと)すと、(ひゞき)に、一時(ひととき)の、うつゝの(ねむり)(さま)すであらう。()()(かさ)(さゝ)へて、ほし(ざを)にかけたまゝ、ふら/\と(ちう)(およ)いだ。……この(なか)でも可笑(をかし)(こと)がある。

 ――前刻(さつき)(くさ)あぜに()てた(かさ)が、パサリと、ひとりで(たふ)れると、(した)()女中(ぢよちう)が、

地震(ぢしん)。」

 と()つて、むくと起返(おきかへ)背中(せなか)に、ひつたりと()(かさ)をかぶつて、(くび)兩手(りやうて)をばた/\と(うご)かした……

 いや、(ひと)ごとではない。

 (わたし)(つゆ)()つて、(みち)()つた。

 ()()(まつ)との(あひだ)を、()()が、(なん)(とり)か、(とり)とともに()()つた。

 が、(ほのほ)(いきほひ)()(ころ)から(おとろ)へた。()下六番町(しもろくばんちやう)()かずに()え、(ひと)(ちから)()(まち)(ほろ)ぼさずに()した。

(すこ)し、しめつたよ。()きて御覽(ごらん)()きて御覽(ごらん)。」

 婦人(ふじん)たちの、一度(いちど)()をさました(とき)、あの不思議(ふしぎ)(めん)は、(じやうらふ)のやうに、(おきな)のやうに、稚兒(ちご)のやうに、(なご)やかに、やさしく()つて莞爾(につこり)した。

 朝日(あさひ)は、御所(ごしよ)(もん)(かゞや)き、(つき)戎劍(じうけん)閃影(せんえい)()らした。

 ――江戸(えど)のなごりも、東京(とうきやう)も、その大抵(たいてい)焦土(せうど)()んぬ。茫々(ばう/\)たる燒野原(やけのはら)に、ながき()()きすだく(むし)は、いかに、(むし)()くであらうか。(わたし)はそれを、(ひと)()くのさへ(はゞか)らるゝ。

 しかはあれど、()よ。(たしか)()く。淺草寺(あさくさでら)觀世音(くわんぜおん)八方(はつぱう)()(なか)に、幾十萬(いくじふまん)生命(いのち)(たす)けて、(あき)樹立(こだち)もみどりにして、仁王門(にわうもん)五重(ごぢう)(たふ)とともに、(やなぎ)もしだれて、(つゆ)のしたゝるばかり(おごそか)氣高(けだか)燒殘(やけのこ)つた。(たふ)(うへ)には(はと)()()()(あそ)ぶさうである。()()く。花屋敷(はなやしき)()をのがれた(ざう)()(たふ)(した)()きた。(ざう)寶塔(はうたふ)()にして(しろ)い。

 普賢(ふげん)影向(やうがう)ましますか。

若有持是觀世音菩薩名者(じやくうじぜくわんぜおんぼさつみやうしや)

設入大火(せつにふたいくわ)火不能燒(くわふのうせう)

由是菩薩(ゆぜぼさつ)威神力故(ゐじんりきこ)

大正十二年十月

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