婦系図

3話 婦系図(3)

7,076字 約14分 2000年8月17日 公開

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昨日(きのう)母様(かあさん)が来て御厄介でした。」

 と、今夜主税の机の(わき)に、河野英吉(えいきち)が、まだ洋服の膝も崩さぬ(さき)から、

「君、困ったろう、母様は僕と違って、威儀堂々という風で厳粛だから、ははは、」

 と肩を(ゆす)って、無邪気と云えば無邪気、余り底の無さ過ぎるような笑方。文学士と肩書の名刺と共に、(あたらし)いだけに美しい若々しい(ひげ)押揉(おしも)んだ。ちと目立つばかり口が(おおき)いのに、似合わず声の優しい男で。気焔(きえん)を吐くのが愚痴のように聞きなされる事がある。もっとも、何をするにも、福、徳とだけ襟を数えれば済む身分。貧乏は知らないと云っても()いから、愚痴になるわけはないが、自分の親を、その年紀(とし)で、友達の前で、呼ぶに母様をもってするのでも大略(あらかた)解る。酒に酔わずにアルコオルに中毒(あた)るような人物で。

 年紀(とし)は二十七。(じゅ)五位(くん)三等、(さき)の軍医監、同姓英臣(ひでおみ)の長男、七人の同胞(きょうだい)(うち)に英吉ばかりが男子で、姉が一人、妹が五人、その中縁附いたのが三人で。姉は静岡の本宅に、さる医学士を婿にして、現に病院を開いている。

 南町の邸は、祖母(おばあ)さんが監督に附いて、英吉が主人(あるじ)で、三人の妹が、それぞれ学校に通っているので、すでに縁組みした令嬢たちも、皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊(とうよう)塾と題したのである。漢詩の(たしなみ)がある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその義(つまびらか)ならず。

 英吉に問うと、素湯(さゆ)を飲むような事を云う。枝も栄えて、葉も繁ると云うのだろう、松柏も古いから、そこで桐楊だと。

 説を()すものあり、曰く、桐楊の(きり)は男児に較べ、(やなぎ)令嬢(むすめ)たちに(なぞら)えたのであろう。漢皇重色思傾国(いろをおもんじてけいこくをおもう)……楊家女有(ようかにじょあり)、と同一(おんなじ)字だ。道理こそ皆美人であると、それあるいは(しか)らむ。が男の方は、桐に鳳凰(ほうおう)、とばかりで出処が怪しく、花骨牌(はなふだ)から出たようであるから、遂にどちらも(あて)にはならぬ。

 休題(さておき)、南町の桐楊塾は、監督が祖母さんで、同窓が(むすめ)たちで、更に(はばか)る処が無いから、天下泰平、家内安全、鳳凰は舞い次第、英吉は遊び放題。在学中も、雨桐はじめ烏金(からすがね)の絶倍で、しばしばかいがんに及んだのみか、卒業も二年ばかり後れたけれども、首尾よく学位を得たと聞いて、親たちは先ず占めた、びきで、あおたん(つか)みだと思うと、手八(てはち)蒔直(まきなお)しで夜泊(よどまり)の、昼流連(ひるながし)。祖母さんの命を()けて、妹連から注進櫛の歯を()くがごとし。で、意見かたがたしかるべき嫁もあらばの気構えで、この度母親が上京したので、妙子が通う女学校を参観したと云うにつけても、意のある処が解せられる。

「どうだい、君、窮屈な思いをしたろう。」

 親が参って、さぞ御迷惑、と悪気は無い挨拶(あいさつ)も、母様(かあさん)で、威儀で、厳粛で、窮屈な思いを、と云うから、何と(えら)いか、恐入ったろう、と()めつけるがごとくに聞える。

 (いつも)の調子と知っているから、主税は別に気にも留めず、勿論、恐入る必要も無いので、

「姑に持とうと云うんじゃなし、ちっとも窮屈な事はありません。」

 机の前に鉄拐胡坐(てっかあぐら)で、悠然と煙草を輪に吹く。

「しかし、君、その(おのず)から、何だろう。」

 とその何だか、火箸で灰を引掻(ひっか)いて、

「僕は窮屈で困る。母様がああだから、自から襟を正すと云ったような工合でね。……

 (じき)の妹なんざ、随分脱兎(だっと)のごとしだけれど、母様の前じゃほとんど処女だね。」

 と髯を(ひね)る。

       十四

「で、何かね、母様(かあさん)は、」

 と主税は笑いながら、わざと同一(おんなじ)ように母様と云って、煙管(きせる)(はた)き、

「しばらく御滞在なんですかい。」

「一月ぐらい居るかも知れない、ああ、」と火鉢に凭掛(よりかか)る。

「じゃ当分謹慎だね。今夜なぞも、これから真直(まっすぐ)にお帰りだろう、どこへも廻りゃしますまいな。」

「うふふ、考えてるんだ。」とまた灰に棒を引く。

「相変らず辛抱が出来ないか。」

「うむ、何、そうでもない。母様が可愛がってくれるから、来ている間は内も愉快だよ。(にぎやか)じゃあるし、料理が上手だからお(かず)(うま)いし、君、昨夜(ゆうべ)は妹たちと一所に西洋料理を(おご)って貰った、僕は七皿喰った。ははは、」

 と火箸をポンと灰に(なげ)て、仰向いて、頬杖(ほおづえ)ついて、片足を(とんび)になる。

「御馳走と云えば内へ来る組だが、」

 皆まで聞かず、英吉は突放(つっぱな)したように、

「ありゃ君、もう来なくッても可いよ。余り失礼な奴だと、母様が大変感情を害したからね、君から断ってくれたまえ。」

 と真面目で云って、衣兜(かくし)から手巾(ハンケチ)をそそくさ引張出し、口を()いて、

「どうせ東京の魚だもの、誰のを買ったって新鮮(あたらし)いのは無い。たまに盤台の中で()ねてると思や、(うじ)(うご)くか、そうでなければ比目魚(ひらめ)の下に、手品の(どじょう)が泳いでるんだと、母様がそう云ったっけ。」

 組が聞いたら、立処(たちどころ)に汝の一命覚束(おぼつか)ない、事を云って、けろりとして、

「静岡は口の奢った、旨いものを食う処さ。汽車の弁当でも()たまえ、東海道一番だよ。」

 主税はどこまでも髯のある坊ちゃんにして、逆らわない気で、

「いや、何か、手前どもで、組のものを召食(めしあが)って、大層御意に叶ったから、是非寄越してくれと誰かが仰有(おっしゃ)るもんだから取あえず差立てたんだ。御家風を存じないでもなかったけれども、承知の上で、君がたってと云ったから、」

「僕は構わん。僕は構わんが、あの調子だもの、祖母(おばあ)さんや妹たちはもとよりだ。故郷(くに)から連れて来ている下女さえ吃驚(びっくり)したよ。母様は、僕を呼びつけて談じたです。あんなものに朋輩呼ばわりをされるような悪い事をしたか。そこいらの芸妓(げいしゃ)にゃ、魚屋だの、蒲鉾(かまぼこ)屋の職人、蕎麦(そば)屋の出前持の客が有ると云うから、お前、どこぞで一座でもおしだろう、とね、叱られたです。

 僕は何、あれは通りもんです。早瀬の(とこ)へ行っても、同一(おなじ)く、今日は旨えものを食わせてやろう。居るか、と云った調子です、と云ったら、母様が云うにゃ、当前(あたりまえ)だ、早瀬じゃ、細君……」

 と云いかけて、ぐっと(つか)えたが、ニヤリとして、

「君、僕は饒舌(しゃべ)りやしないよ。僕は決して饒舌らんさ。秘密で居ることを知ってるから、君の不利益になるような事は云わないがね、妹たちが知ってるんだ。どこかで聞いて来てたもんだから、ついね、」

 と気の毒そう。

「まあ、可い、そんな事は構わないが、僕と懇意にしてくれるんなら、もうちっと君、遊蕩(あそび)を控えて貰いたいね。

 昨日(きのう)も君の母様が来て、つくづく若様の不始末を愚痴るのが、何だか僕が取巻きでもして、わッと浮かせるようじゃないか。

 高利(アイス)を世話して、口銭を取る。酒を飲ませてお(ながれ)頂戴。切々(せつせつ)内へ呼び出しちゃ、花骨牌(はなふだ)でも()きそうに思ってるんだ。何の事はない、美少年録のソレ何だっけ、安保箭五郎直行(あほのやごろうなおゆき)さ。甚しきは美人局(つつもたせ)でも遣りかねないほど軽蔑(けいべつ)していら。母様の口ぶりが、」

 とややその調子が強くなったが、急に事も無げな串戯口(じょうだんぐち)

「ええ、隊長、ちと謹んでくれないか。」

「母様の来ている内は謹慎さ。」

 と灰を掻きまわして、

「その代り、西洋料理七皿だ。」と火箸をバタリ。

       十五

「じゃあ色気より食気の方だ、何だか自棄(やけ)に食うようじゃないか。しかし、まあそれで済みゃ結構さ。」

「済みやしないよ、七皿のあとが、一銚子(ひとちょうし)、玉子に海苔(のり)と来て、おひけとなると可いんだけれど、やっぱり一人で寝るんだから、大きに足が突張(つっぱ)るです。それに母様が来たから、ちっとは小遣があるし、二三時間駈出して行って来ようかと思う。どうだろう、君、迷惑をするだろうか。」

 と甘えるような身体(からだ)つき、座蒲団にぐったりして、横合から(のぞ)いて云う。

「何が迷惑さ。君の身体で、御自分お出かけなさるに、ちっとも迷惑な事はない。迷惑な事はないが……」

「いや、ところが今夜は、君の内へ来たことを、母様が知ってるからね。今のような話じゃ、また君が引張出したように、母様に思われようかと、心配をするだろうと云うんだ。」

「お疑いなさるは御勝手さ。(しゃく)に障ればったって、恐い事、何あるものか、君の母親(おふくろ)が何だ?」

 と云いかけて、語気をかえ、

「そう云っちまえば、実も(ふた)もない。痛くない腹を探られるのは、僕だって(いや)だ。それにしても早瀬へ遊びに行くと云う君に、よく故障を入れなかったね。」

「うむ、そりゃあれです、君に逢わない内は(うたぐ)っていないでもなかったがね、」

 あえて臆面(おくめん)は無い容子(ようす)で、

昨日(きのう)逢ってから、そうした人じゃないようだ、と(うなず)いていた。母様はね、君、目が高いんだ、いわゆる士を知る明ありだよ。」

「じゃ、何か、士を知る明があって、それで、何か、そうした人じゃないようだ、(ようだ。)とまだ疑があるのか。」

「だってただ一面識だものね、三四(たび)交際(つきあ)って見たまえ。ちゃんと分るよ、五度とは言わない。」

「何も母様に交際うには当らんじゃないか。せめて年増ででもあればだが、もう婆さまだ。」

 と横を向いて、微笑(ほほえ)んで、机の上の本を見た。何の書だか酒井蔵書の印が見える。真砂町から借用のものであろう。

 英吉は、火鉢越に覗きながら、その段は見るでもなく、

年紀(とし)は取ってるけれど、まだ見た処は若いよ。君、婦人会なんぞじゃ、後姿を時々姉と見違えられるさ。

 で、何だ、そうやって人を見る明が有るもんだから、婿の選択は残らず母様に任せてあるんだ。取当てるよ。君、内の姉の婿にした医学士なんざ大当りだ。病院の立派になった事を見たまえな。」

「僕なんざ御選択に預れまいか。」

 と気を、その書物に取られたか、木に竹を()いだような事を云うと、もっての外真面目(まじめ)に受けて、

「君か、君は何だ、学位は持っちゃおらんけれど、独逸(ドイツ)のいけるのは僕が知ってるからね。母様の信用さえ得てくれりゃ、何だ。ええ君、妹たちには、もとより評判が可いんだからね、色男、ははは、」

 と他愛なく身体(からだ)中で笑い、

「だって、どうする。階下(した)に居るのを、」

 背後(うしろ)を見返り、

「湯かい。見えなかったようだっけ。」

 主税は(こら)えず失笑(ふきだ)したが、向直って話に乗るように、

「まあ、可い加減にして、(はや)く一人貰っちゃどうだ。人の事より御自分が。そうすりゃ遊蕩(あそび)()みます。安保箭五郎悪い事は言わないが、どうだ。」

「むむ、その事だがね。」

 とぐったりしていた胸を起して、また手巾で口を拭いて、なぜか、(しま)のズボンを揃えて、ちゃんと(かしこ)まって、

「実はその事なんだ。」

「何がその事だ。」

「やっぱりその事だ。」

「いずれその事だろう。」

「ええ、知ってるのか。」

「ちっとも知らない、」

 と煙管(きせる)を取って、

「いや、真面目に真面目に、何か、心当りでも出来たかね。」

     縁談

       十六

 時に河野がその事と言えば、いずれ(おんな)に違いないが、早瀬はいつもこの人から、その収紅拾紫(しゅうこうしゅうし)(うぐいす)を鳴かしたり、蝶を(もてあそ)んだりの件について、いや、ああ云ったがこれは何と、こう申したがそれは如何(いかに)。無心をされたがどうしたものか、なるべくは断りたい、断ったら嫌われようか、嫌われては甚だ不好(まず)い。一体(スウィート)でありながら金子(かね)をくれろは変な工合だ、妙だよ。その意志のある処を知るに(くるし)む、などと、紅をさして、蚯蚓(みみず)までも突附けて、意見? を問われるには恐れている。

 誇るに西洋料理七皿をもってする、(かた)のごとき若様であるから、冷評(ひやか)せば真に受ける、打棄(うっちゃ)って置けば(しょ)げる、はぐらかしても乗出す。勢い可い加減にでも返事をすれば、すなわち期せずして遊蕩(あそび)の顧問になる。(すくな)からず悩まされて、自分にお蔦と云う弱点(よわみ)があるだけ、人知れず冷汗が(ならい)であったから、その事ならもう聞くまい、と手強く念を入れると、今夜はズボンの膝を(かしこま)っただけ大真面目。もっとも馴染(なじみ)の相談も串戯(じょうだん)ではないのだけれども。特に(あらたま)って、ついにない事、もじもじして、

「実はね、母様も云ったんだ、君に相談をして見ろと……」

「縁談だね、真面目な。」

 珍らしそうに顔を見て、

「母様から御声懸りで、僕に相談と云う縁談の口は、当時心当りが無いが。ああ、」

 と軽く膝を叩いた。

隣家(となり)のかい。むむ、あれは別嬪(べっぴん)だ。ちょいと高慢じゃあるが、そのかわり学校はなかなか出来るそうだ。」

 英吉は小児(こども)のように(かぶり)を振って、

「ううむ、違うよ。」

「違う。じゃ誰だい。」

 と落着いて尋ねると、慌てて衣兜(かくし)へ手を突込(つっこ)み、肩を高うして、一ツ(ゆす)って、

「真砂町の、」

「真砂町」

 と聞くや否や、鸚鵡返(おうむがえ)しに力が入った。床の間にしっとりと露を(かつ)いだ矢車の花は、()(あかり)余所(よそ)に、暖か過ぎて障子を(すか)した、富士見町あたりの大空の星の光を宿して、美しく(いか)っている。

 見よ、河野が座を、(ななめ)に避けた処には、昨日(きのう)の袖の香を留めた、友染の花も、(あや)の霞も、畳の上を消えないのである。

 真砂町、と聞返すと(ひと)しく、(きっ)とその座に目を注いだが、驚破(すわ)()わば身をもって、影をも守らん意気組であった。

 英吉はまた火箸を突支棒(つっかいぼう)のようにして、押立尻(おったてじり)をしながら、火鉢の上へ乗掛(のっかか)って、

「あの、酒井ね、君の先生の。あすこに娘があるんだね。」

「あるさ、」と云ったが、余り取っても着けないようで、我ながら冷かに聞えたから、

「知らなかったかな、君は。随分その方へかけちゃ、脱落(ぬかり)はあるまいに。」

洋燈(ランプ)台下暗しで、(と(おおい)洒落(しゃ)れて、)さっぱり気が付かなかった。君ン(とこ)へもちょいちょい遊びに来るんだろう。」

「お成りがあるさ。僕には御主人だ。」

「じゃ一度ぐらい逢いそうなものだった。」

 何か残惜く、かごとがましく、不平そうに謂ったのが、なぜ見せなかった、と(なじ)るように聞えたので、早瀬は石を突流すごとく、

「縁が無かったんだろうよ。」

「ところがあります、ははは、」と、ここでまた相好とともに足を崩して、ぐたりと横坐りになって、

「思うに逢わずして思わざるに……じゃない。向うも来れば僕も来るのに、此家(ここ)で逢いそうなものだったが、そうでなくって君、学校で見たよ。ああ、あの人の行く学校で、妙子さんの行く学校で。」

 と、何だか話しに乗らないから、畳かけて云った。妙子、と早や名のこの男に知られたのを、早瀬はその人のために恥辱のように思って、不快な色が眉の根に浮んだ。

「どうして、学校で、」

 とこの際わざと尋ねたのである。母子(おやこ)で参観したことは、もう心得ていたのに。

       十七

「どうもこうも無いさ。母様と二人で参観に出掛けたんだ。教頭は僕と同窓だからね。(せん)にから来て見い、来て見い、と云うけれど、顔の方じゃ大した評判の無い学校だから、馬鹿にしていたが驚いたね。勿論五年級にゃ()いのが居ると云ったっけが、」

「じゃあその教頭、媒酌人(なこうど)()るんだな。」

 と舌尖(したさき)三分で切附けたが、一向に感じないで、

「遣るさ。そのかわり待合や、何かじゃ、僕の方が媒酌人だよ。」

「怪しからん。黒と白との、待て? 海老茶と緋縮緬(ひぢりめん)の交換だな。いや、可い(つら)の皮だ。ずらりと並べて選取(よりど)りにお目に掛けます、小格子の風だ。」

「可いじゃないか、学校の目的は、良妻賢母を造るんだもの、生理の講義も聞かせりゃ、媒酌(なこうど)もしようじゃあないか。」

 とこの人にして大警句。早瀬は恐入った体で、

「成程、」

「勿論人を見てするこッた、いくら媒酌人をすればッて、人ごとに許しゃしない。そこは地位もあり、財産もあり、学位も有るもんなら、」

 と自若として、自分で云って、意気(すこぶ)昂然(こうぜん)たりで、

「講堂で良妻賢母を(こしら)えて、ちゃんと父兄に渡す方が、双方の利益だもの。教頭だって、そこは考えているよ。」

「で何かね、」

 早瀬は、斜めに開き直って、

「そこで僕の、僕の先生の娘を見たんだな。」

「ああ、しかも首席よ。出来るんだね。そうして見た処、優美(しとやか)で、品が良くって、愛嬌(あいきょう)がある。沢山ない、滅多にないんだ。高級三百顔色なし。照陽殿裏第一人だよ。あたかも(よし)、学校も照陽女学校さ。」

 と冷えた茶をがぶりと一口。浮かれの体とおいでなすって、

「はは、僕ばかりじゃない、第一母様が気に入ったさ。あれなら河野家の嫁にしても、まあまあ……恥かしくない、と云って、教頭に尋ねたら、酒井妙子と云うんだ。ちょっと、教員室で立話しをしたんだから、(くわし)いことは追てとして、その日は帰った。

 すると昨日(きのう)、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯田町から見附(みつけ)を出ようとする処で、腕車(くるま)を飛ばして来た、母衣(ほろ)の中のがそれだッたって、矢車の花を。」

 と言いかけて、床の間を(じっ)と見て、

「ああ、これだこれだ。」

 ひょいと腰を(もた)げて、這身(はいみ)にぬいと手を伸ばした様子が、一本(ひともと)引抜(ひんぬ)きそうに見えたので、

「河野!」

「ええ、」

「それから。おい、肝心な処だ。フム、」

 乗って出たのに引込まれて、ト居直って、

「あの砂埃(すなほこり)の中を水際立って、駈け抜けるように、そりゃ綺麗だったと云うのだ。立留って見送ると、この内の角へ車を下ろしたろう。

 そろそろ引返(ひっかえ)したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは真中の家へですか。へい、さようで、と云うのを聞いて帰ったのさね。」

 と早口に饒舌(しゃべ)って、

「美人だねえ。君、」とゆったり顔を見る。

「ト遣った工合は、僕が美人のようだ、厭だ。結婚なんぞ申込んじゃ、」と笑いながら、(おおい)に諷するかのごとくに云って、とんと肩を突いて、

「浮気ものめ。」

「浮気じゃない、今度ばかしゃ大真面目だがね、君、どうかなるまいか。」

 また甘えるように、顔を正的(まとも)に差出して、(おとがい)を支えた指で、しきりに(せわし)く髯を(ひね)る。

 早瀬はしばらく黙ったが、思わず(こまぬ)いていた腕に解くと、背後(うしろ)ざまに机に(ひじ)、片手をしかと膝に()いて、

「貰うさ。」

「え。」

「お貰いなさい。」

「くれようか。」

「話によっちゃ、くれましょう。」

後継者(あととり)じゃないんだね。」

「勿論後継者じゃあない。」

「じゃ、まあ、話は出来るとして、」と、澄まして云って、今度は心ありげに早瀬の顔を。

「だが、何だよ、(あっし)ア」と云った調子が変って、

媒介人(なこうど)は断るぜ、照陽女学校の教頭じゃないんだから。」

       十八

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