日日平安

9話 九

4,034字 約8分 2022年6月22日 公開

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 まもなく若侍が戻って来て、また元の六帖(じょう)へ彼をつれ戻した。そうして食膳を出されたが、麦ばかりのようなどす黒い飯に、冷えた味噌汁と漬物だけで、その汁にも千切り大根の欠けたのが三つしか入っていなかった。菅田平野はまた腹を立てた。

「食い残しじゃないか」と彼はつぶやいた、「――なんという無礼なけちくさい家だろう」

 だが空腹には勝てない、腹を立てながら喰べ終ったが、このあいだに家の中がざわざわし始めた。表廊下をしきりに往き来する足音や、人を呼びたてる声などが聞えた。

「もうおれのことなんぞ放(ほ)ったらかしか、そうだろうな」と菅田平野は独り言を云った、「――それならこっちは、ひとつ」

 彼はしばらく物音を聞き定めてから、立ちあがって、そっと中廊下へ出た。

 ――陸田城代がここに監禁されているかどうか、いるとすればどの辺の座敷か。

 中廊下の左右を眺めた。人の来るようすはない、彼はさっきの八帖間のほうへ歩いていった。そちらが奥で、ずっと座敷が続いているらしい。だが、内庭の見える処まで来ると、ふいに右手の襖があいて、中年の侍が顔を出した。

「誰だ」とその侍はこっちを見て、それから仰天したようにどなった、「きさまなに者だ」

「手洗いにまいりたいのだが」

「なに、手洗いだと」相手は出て来て、つかみかかりそうな勢いで叫んだ、「きさまどこから入って来た、こんな処でなにをしている、これ渡辺、渡辺はいないか」

 その侍のわめき声で、向うから若侍がとんで来、(それが渡辺というのだろう)彼のことを説明した。中年の侍は納得したが、「むやみに歩きまわっては困る」と云い、若侍に手洗い場へ案内しろと命じた。

「ひどくものものしいですな」菅田平野はこう云いながら若侍の表情をぬすみ見た、「――なにか奥に秘密でもあるようじゃありませんか」

「いま客が来たのです」若侍は答えた、「――御老職がお二人、なにか御内談があるようですから、こちらです」

 菅田平野が手洗いから戻るまで、その若侍は待っていて、彼を元の六帖へ伴れ戻した。食膳(しょくぜん)はそのまま置いてあり、茶を持って来るようすもない。

 ――たしかに、あの奥のほうになにかある。

 彼はこう思った。むろん、それが直ちに陸田の存在を示すものではないかもしれない、そうだと考えるのは早合点だろうが、あの中年の侍の(仰天したような)そぶりから察すると、たしかになにかあるとみていいように思えた。来客の二老職とは、仲島弥五郎と前林久之進に違いない、そして、源太夫が二人を呼んだのは、寺田たち九人の者が不在であること、したがって大里村の光明寺に徒党が集合しているという密告が、信じられたことを証明するであろう。

 ――かれらは討手を出すに相違ない。

 菅田平野は少しあせりだした。かれらが光明寺へ討手の人数を出したらすぐにこっちの行動を始めなければならない。それにはぜひとも陸田氏の所在を探知する必要があった。「あの三老職の話が聞ければいいんだが」と彼はつぶやいた、「――三人の会談の席へ出られれば、なにか緒口がつかめるだろうが」

 彼はそのほかに手段はないと思った。そこで、まだ云い残したことがあるから、といって取次ぎを頼もうと決心したとき、おりよく一人の若侍が入って来た。これはあの渡辺という男よりずっと若く、ぶあいそうなふくれ面で、大きな手籠を持っていた。

「お済みになりましたか」と若侍は云った、「よろしければ片づけます」

 食膳をさげに来たのである。済んだというと、手籠をそこへ置き、食器をその中へ入れたうえ、膳を持って出ていった。菅田平野は取次ぎを頼もうとはしなかった。彼は眼を半眼にし、少し口をあけて、壁の一部をじっと見まもっていた。

「おれは盲人だ」と彼はつぶやいた。「――あの中年の侍が土蔵から出て来たとき気がついていいはずだ、そうではないか、あの手籠が食器を運ぶための物だということは、たったいまわかったのだからな」

 菅田平野は手をすり合せた。さっき中庭を隔てて見た情景が、ありありと眼にうかんでくる。三棟並んだ土蔵のまん中のそれから、中年の侍が手籠を持って出て来、あとを閉めて雨の中をたち去った。その手籠はいま眼の前で見たのと同じ物のようである、正しく、中年の侍は土蔵の中へ食事を持っていったのだ。

「おれは盲人だ」と菅田平野はつぶやいた、そしてにやにやと微笑した、「――だが運の好い盲人だ、幸福な盲人といってもいいかもしれない、あとはただ一つ、……討手を出したことがわかったら、ひとつ」

 その部屋には六尺の戸納(とだな)があった。彼はそっとその唐紙をあけてみた、上下の段にきっちり蒲団が重ねてある。客用のではない、家士たちの使う予備のものらしい。彼は旅嚢から油綿の入っている油紙包と、燧袋とを取り出して(いつでも使えるように)旅嚢の下へ隠して置き、それからそこへ横になって、この家の動静に耳を澄ませた。

 約半刻ばかりのち、裏手と思われるあたりで、馬を曳き出すけはいや、多数の人々のたち騒ぐ物音が聞えた。馬もかなりな頭数らしく、いななきや蹄の音が右往左往するようであった。菅田平野はじっと横になっていた。廊下を足音が近づいて来て、この部屋の襖をあける者があった。それでも菅田平野は動かなかった、旅嚢を枕にして、じっと眠ったふりをしていた。襖はすぐに閉り、足音は廊下の向うへいった。

 やがて騎馬の者たちの出てゆくのが聞えた。重おもしい蹄の音が一隊になって、この屋敷の外を右から左へ廻り、そうしてたちまちのうちに遠く、遙(はる)かに遠く消え去った。――菅田平野は起きあがり、包をあけて油綿を出した。彼は用心ぶかくやった、燧石は戸納の中で打ち、油綿をよくほぐして、両端に火をつけた。火はなかなか燃えつかなかったが、油紙へつけてやると燃えついた。それを上段の蒲団の上にのせ、さらに、戸納の天床(てんじょう)の板を外して斜めにし、その板から天床へ燃え移るようにした。油紙は景気よく焔(ほのお)をあげ、油綿もくすぶりながら、赤い焔の舌をちろちろとひろげた。戸納の中はたちまち油臭い煙で充満したが、その煙は天床の(板を外した)穴へすいすいと吸いこまれてゆく。菅田平野はその火が板に移って、天床へ燃えつくのを待っていた。だが、とつぜん襖があいて、「あっ」と叫ぶ声がした。さっき寝ているのを見に来たから、そっちのほうは安心していたので、襖のあくまで人の来たことに気がつかなかったのである。

「どうしたんですその煙は」

 菅田平野は唐紙を閉めながら振返った。部屋の中にも思ったより多く煙がもれていた。その煙越しに、渡辺という若侍の立っているのが見えた。

「なんです、火事ですか」

 こう叫びながら、若侍が入って来ようとした。菅田平野はそこにある刀を取り、ひき抜いて相手の前へつきつけた。

「声を立てるな」と彼は云った、「――こっちへ入ってその襖を閉めろ、騒ぐと斬るぞ」

 若侍は飛鳥のようにとびのき、「火事だ」と絶叫しながら廊下を走っていった。

 菅田平野は煙に咽(む)せながら、刀の下緒を外して襷(たすき)にし、袴の股立(ももだち)をしぼった。戸納の中では天床板のぱちぱちと焼けはぜる音がし、唐紙の隙間からは濃密な煙があふれ出て来た。彼は燧袋と旅嚢を持って、こんこんと咳きながら廊下へ出た。

 廊下の左手から三人ばかり、血相の変った侍たちが走って来た。菅田平野は右へ、奥座敷のほうへ走り、中庭へとびだした。三人は追って来なかった、「火事だ」とか「水だ水だ」という叫び声が聞える。もちろん火を消すほうが大事だろう、――菅田平野が石燈籠(いしどうろう)のところで振返ると、屋根と庇(ひさし)のあいだから灰色の煙が吹きだして、雨の中へとたなびき流れるのが見えた。

「これならわかるだろう」彼は煙を眺めながらつぶやいた、「――雨が邪魔だが、このくらい煙があがれば外から見えるに違いない」

 廊下は人の駆けまわる足音や、わめき叫ぶ声でもみ返している。菅田平野は土蔵のほうへ振返った。すると、例のまん中にある土蔵の前に、中年の侍がいて、観音開きをあけようとしているのが見えた。

 菅田平野は「あ」といって走りだした。

 疑う余地はない。かれらは大事出来(しゅったい)とみて、その中にいる人物をよそへ移すか、またはその場で片づけるつもりだろう。菅田平野は走りながら旅嚢と燧袋を投げだし、

「待て、その蔵に手をつけるな」

 と、叫んだ。相手はこっちへ振向いた。そして、さっととびのいて刀を抜いた。

 菅田平野はおどりかかった。抜いたまま持っていた刀を上段にふりあげ、走っていった勢いで真向から斬りつけた。相手は大きく脇へかわした。菅田平野はむろん相手を斬るつもりはない、井坂十郎太たちが討入って来るまで、その土蔵を守っていればいい、――相手にかわされた彼は、三間あまり駆けぬけ、追い打ちに備えて、刀を横に払いながら振返った。ところが、振返ったとたんに足が滑り、前のめりに烈しく転んだ。はね起きようとして眼をあげると、意外に近く、相手の殺到して来る姿が見えた。

 相手は大喝(だいかつ)したらしい、声は聞えなかったが、口と両眼をいっぱいにあけ、充血した顔に歯を剥(む)き出し、そうして刀を打ちおろしながら踏み込んで来る。その姿ぜんたいが、こちらの眼にはほとんど十倍の大きさにみえ、思わず眼をつむりながら(夢中で)地面の上を毬(まり)のように転げた。

 そのとき寺田乙三郎が走せつけた。寺田とほかに二人、徒士組の若侍とで、三人はつぶてのように走って来、呶号(どごう)しながら相手をとり囲んだ。

「斬ってはいけない」菅田平野は立ちあがりながら叫んだ、「――斬ってはいけません、陸田さんはその土蔵の中にいます、もうこっちのものですから」

 彼は泥まみれで、口の中にまで泥が入ったので、それを吐き出しながら向うを見た。家の中の障子が乱暴にあけ放されて、井坂十郎太と他に三人ばかり、抜刀を持って廊下へ出て来るのが見えた。

 ――完全な成功だ。

 と菅田平野は心の中でつぶやいた。

 ――おれの策戦は完璧(かんぺき)だったぞ。

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