硯友社の勃興と道程 ――尾崎紅葉――

9話 九 紅葉の性格の半面

3,400字 約7分 2014年7月31日 公開

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 紅葉と私とは二十七、八年頃まではかなり親しくしていた。元来思想上相容れなかったので思想上の扞格(かんかく)が感情上の乖離となって、一時は交際が殆んど途絶(とだ)えていた。が、紅葉と私とは都会育ちの共通の趣味や性格があったので、思想上では相容れなくても紅葉に対しては丁度郷友に対するような親しみを持っていた。それ故論壇では紅葉の態度や硯友社の作風に(あきた)らないで忌憚(きたん)のない批評をしても、私交上には何の隔心も持たなかった。が、紅葉の方ではとかくに疎隔して会えば打釈(うちと)けていても内心は敵意を(はさ)んでいた。

 丁度その頃であった。今は殆んど忘れられてしまったが、一時はユーゴーの紹介者として相当に鳴らした原抱一庵(はらほういつあん)が度々遊びに来た。抱一は好き嫌いの(はげ)しい感情家であったが、紅葉が大嫌いで、談紅葉に及ぶごとに口を極めて痛罵(つうば)するので、その度毎(たんび)に、「君は喰わず嫌いだよ。会って見もしないで悪くいう(やつ)があるもんか。一度会って見ろ、決して不快(わる)い気持はしない、(ごく)(さば)けた男だよ、」といった。が、何と理解しても抱一は「あんな戯作者輩に会う必要はない、」とばかりいって、尋ねようともしなかった。

 すると或時、朝っぱらから飛んで来て、「会ったよ、会ったよ、紅葉に会って来たよ。徳太郎なかなか話せる。(すこぶ)る快男子だ。昨宵(ゆうべ)徹宵(よっぴて)話して、二時まで大気焔(だいきえん)を挙げて来た。紅葉は君、実に(えら)い。立派な男だ!」

と、今度は()めるとも、褒めるとも。余り褒めすぎるので、私が何とかいって(くさ)すと、今までと打って変って反対(あべこべ)に、「それは君、君は誤解している。紅葉は《そ》んな男じゃない。君、今度は十分肝胆を披瀝(ひれき)して話して見給え、」と(にわか)に紅葉の弁護を做初(しだ)した。

 紅葉はこういう男で、誰に会っても旧知の友のように胸襟(きょうきん)を開いて歯切れの好い江戸ッ子弁でサックリと竹を割ったように話すから、誰でも快く感じて一見百年の友に接するような心持がした。抱一は放縦と無検束(ずぼら)で人に誤まられたが、根が多感多恨の単純な好人物であったから一見コロリと紅葉に()れ抜いてしまった。

 嫌いとなると根こそぎ嫌いだが、好きとなると直ぐ(のぼ)せ上る抱一は矢継早(やつぎばや)に三、四回も続けて紅葉を尋ねた後、十日ほども()ってから私の(とこ)へ頗る厄介な提議を持込んで来た。当時抱一は万朝報(よろずちょうほう)社に在籍して黒岩(くろいわ)の秘書のような関係であったが、読売新聞社から紅葉を朝報社へ引抜こうという献策をして、黒岩の内意を()けてその斡旋方(あっせんかた)を私に持込んだ。

 当時紅葉は私を忌避してイツ尋ねても居留守を遣い、途中で会っても(ろく)すっぽ口を利かないという場合であったから、事情を話して私の仲介ではとても駄目だと断わった。が、抱一は何といっても()かないで、「自分の口からは言い兼ねるし、自分が言出したのではとても承知しそうもないが君なら必ず紅葉を口説き落せる、」と(しき)りに迫って承知しないので、紅葉が読売の待遇に不平である内情も聞込んでいたので、そんなら黒岩と直接談合してからと、抱一と同道して黒岩を訪問し、精しく招聘(しょうへい)の条件を相談してから改めて紅葉に会見を申込んだ。

 当時紅葉は私に対して何時(いつ)でも不在と称して面会を避けていた。蛇蝎(だかつ)の如くでないまでも蚰蜒(げじげじ)ぐらいには嫌っていた。その時の返事も突然の会見申込をお辞儀をして原稿の周旋でも頼む用事と早呑込(はやのみこ)みしたものと見えて、その頃私が産業界に首を突込み掛けていたので、(つと)に実業に雄飛せんとする君がこの陋巷(ろうこう)の貧乏文人に何の求むる事があるかというような頗るイヤ味タップリなものだった。が、会って見れば少しも隔意がなく打解けていた。私は本より論壇の上にこそ紅葉と対敵したが、先方はどうあろうと私交上ではやはり親友のツモリでいたから、胸襟を開いて黒岩の意嚮(いこう)を話し、紅葉一身の利害のために黒岩との提携を勧説した。紅葉もまた打解けて少しも(わだかま)りがなく用件以外の四方山(よもやま)世間咄(せけんばなし)をしてその夜を()かした。続いて同じ用件で数回の会見を重ね、或時は家では沈着(おちつ)いて相談が出来ないからと、半日余りも旗亭(きてい)で談合した事もあった。その頃読売新聞の社内の空気が面白くなくて紅葉は不平満々だったから、その頃としてはレコード破りの有利な黒岩の招聘条件に紅葉も一時はグラグラ動揺し、いよいよ日を定めて黒岩と会見する段取(だんどり)にまでなったが、順序上先ず読売の最高顧問たる高田早苗(たかださなえ)に内々打明けた処が、「団十郎はやはり歌舞伎でなければ納まらんので、イクラ給金が良くても公園の舞台で踊っては名が(すた)れる」と理解され、九分通りまでグラグラしたが、結局名を(おし)んで思い(とどま)る事となって一と先ずこの相談を打切った。が、紅葉の心はその時既に読売新聞社を離れていたので、その時は高田の斡旋で引留条件の花を持たせられて一時中止したが、(つい)に読売を去るようとなった。

 紅葉はこうした男であった。日頃は罵詈讒謗(ばりざんぼう)してやまなかった抱一庵をも一見コロリと感服させ、犬と猿のように仲違(なかたが)いしているものにでも会えば奥底なく打解けて、自分の身上などを細々(こまごま)打明けて話すほど(さば)けていた。が、心から捌けて洒落(しゃらく)であったかというと実は余り洒落でなかった。些細(ささい)な事を執念(しゅうね)く気に掛けて何時(いつ)までも根に葉に持つ神経質であった。が、表面(うわべ)はガラガラして江戸ッ子とアングロサクソンを搗交(つきま)ぜた紳士形気を理想としていた。

 紅葉は親分肌で、門下や友人の面倒を()く見た。が、厚意をありがたがって感謝しないと不機嫌だった。殊に門下生に対しては、七尺去って師の影を踏まずというような厳格な奴隷的道徳を強圧した。『青葡萄(あおぶどう)』という作に、自分は(むち)(なわ)とで弟子を薫陶するというような事をいってるが、門下の中には往来で摺違(すれちが)った時、ツイ迂闊(うかつ)して挨拶(あいさつ)しなかったというので群集の中で呼留められて、新兵が古兵にトッチメられるように威丈高(いたけだか)(しか)られたり、正月の年始が遅れたとか近火の見舞をいわなかったとかいうので勘気を(こう)むったりしたものもあった。

 門下生ばかりでなく、友人関係の同人に対しても草創時代の同輩は別として、後進生に対しては世話もする代りに先輩の権威で臨んだものだ。北村三唖(さんあ)が紅葉に(うと)んぜられたのも、初めは何かの用事で暫らく無沙汰(ぶさた)をした時、「(ちっ)とも顔を見せんじゃないか、(ほか)の家へは行っても(おれ)の家へは来る(ひま)はないのか、」と妙な見当違いを()てこすられた。三唖も旋毛(つむじ)の少々曲った変梃(へんてこ)な男だから嫌気(いやき)がさして()た暫らく足を遠のくと、今度は他の家へはマメに出掛けるくせに社のものの方へはまるきり(いたち)の道てのは(あん)まり義理を知らなさ過ぎるぜと、一々不義理を数え立てられてネチネチと油を(しぼ)られた。三唖は紅葉に引立てられたのだから、腹の中では済まないと思ったろうが、口不調法(くちぶちょうほう)の男だからもぞくさして弁解もしなかった、(あやま)りもしなかった。これが益々(ますます)紅葉の気に入らなかった。その上に三唖が頻繁(ひんぱん)に出入したのが社外の異宗門だったので、終には謀叛人(むほんにん)扱いされて棄てられてしまった。三唖は紅葉の世話になったという条、『石倉新五左衛門』を認められて『新著百種』に推薦されたというだけであったが、この一篇の原稿の斡旋を永久に徳として弟子の礼を執らなかったのが忘恩者として紅葉の勘気に触れた所以(わけ)で、三唖はこれがために紅葉の勢力圏の新聞社や雑誌社からボイコットされてしまった。

 乙羽(おとわ)もまた紅葉の世話になった男である。が、乙羽もまた硯友社外の誰とでも交際したのが紅葉の気に入らないで折々忌味(いやみ)をいわれた。が、乙羽は三唖と違って如才ない利口者だったから、三唖のように紅葉の機嫌を損じるような事は()なかったし、背後に資本家の博文館を背負っていたから紅葉の方でも遠慮していた。それでも博文館に入ってから一年ほど経った或時、近頃は忙がしくて紅葉さんの(とこ)ばかりへ行ってられないで諸方へ顔を出すので、紅葉さんの御機嫌が悪くて困ると愚痴(ぐち)(こぼ)した事があった。

 こんな塩梅(あんばい)に人の世話もしたが十分感謝して自分を立てないと満足しない親分肌通有の欠点をも持っていた。それでも後進生や門下生が帰服していたのは紅葉が文壇に勢力があったばかりでなく、尋常(なみなみ)ならぬ熱情と親切とを持っていたからであった。紅葉は人に叱言(こごと)をいう時は涙をボロボロ覆して、これほど俺のいうのが解らないかと泣く事が珍らしくなかったそうだ。この熱情とこの親切とがあってあれだけの門下を養成し、多数の硯友社員を一身同体の如くに率いて活動する事が出来たのであろう。紅葉は(たしか)に人に(たけ)たる親分的性格を()っていた。

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