9話 九 紅葉の性格の半面
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紅葉と私とは二十七、八年頃まではかなり親しくしていた。元来思想上相容れなかったので思想上の扞格が感情上の乖離となって、一時は交際が殆んど途絶えていた。が、紅葉と私とは都会育ちの共通の趣味や性格があったので、思想上では相容れなくても紅葉に対しては丁度郷友に対するような親しみを持っていた。それ故論壇では紅葉の態度や硯友社の作風に慊らないで忌憚のない批評をしても、私交上には何の隔心も持たなかった。が、紅葉の方ではとかくに疎隔して会えば打釈けていても内心は敵意を挟んでいた。
丁度その頃であった。今は殆んど忘れられてしまったが、一時はユーゴーの紹介者として相当に鳴らした原抱一庵が度々遊びに来た。抱一は好き嫌いの劇しい感情家であったが、紅葉が大嫌いで、談紅葉に及ぶごとに口を極めて痛罵するので、その度毎に、「君は喰わず嫌いだよ。会って見もしないで悪くいう奴があるもんか。一度会って見ろ、決して不快い気持はしない、極捌けた男だよ、」といった。が、何と理解しても抱一は「あんな戯作者輩に会う必要はない、」とばかりいって、尋ねようともしなかった。
すると或時、朝っぱらから飛んで来て、「会ったよ、会ったよ、紅葉に会って来たよ。徳太郎なかなか話せる。頗る快男子だ。昨宵は徹宵話して、二時まで大気焔を挙げて来た。紅葉は君、実に豪い。立派な男だ!」
と、今度は褒めるとも、褒めるとも。余り褒めすぎるので、私が何とかいって蔑すと、今までと打って変って反対に、「それは君、君は誤解している。紅葉は《そ》んな男じゃない。君、今度は十分肝胆を披瀝して話して見給え、」と俄に紅葉の弁護を做初した。
紅葉はこういう男で、誰に会っても旧知の友のように胸襟を開いて歯切れの好い江戸ッ子弁でサックリと竹を割ったように話すから、誰でも快く感じて一見百年の友に接するような心持がした。抱一は放縦と無検束で人に誤まられたが、根が多感多恨の単純な好人物であったから一見コロリと紅葉に惚れ抜いてしまった。
嫌いとなると根こそぎ嫌いだが、好きとなると直ぐ逆せ上る抱一は矢継早に三、四回も続けて紅葉を尋ねた後、十日ほども経ってから私の許へ頗る厄介な提議を持込んで来た。当時抱一は万朝報社に在籍して黒岩の秘書のような関係であったが、読売新聞社から紅葉を朝報社へ引抜こうという献策をして、黒岩の内意を承けてその斡旋方を私に持込んだ。
当時紅葉は私を忌避してイツ尋ねても居留守を遣い、途中で会っても碌すっぽ口を利かないという場合であったから、事情を話して私の仲介ではとても駄目だと断わった。が、抱一は何といっても肯かないで、「自分の口からは言い兼ねるし、自分が言出したのではとても承知しそうもないが君なら必ず紅葉を口説き落せる、」と頻りに迫って承知しないので、紅葉が読売の待遇に不平である内情も聞込んでいたので、そんなら黒岩と直接談合してからと、抱一と同道して黒岩を訪問し、精しく招聘の条件を相談してから改めて紅葉に会見を申込んだ。
当時紅葉は私に対して何時でも不在と称して面会を避けていた。蛇蝎の如くでないまでも蚰蜒ぐらいには嫌っていた。その時の返事も突然の会見申込をお辞儀をして原稿の周旋でも頼む用事と早呑込みしたものと見えて、その頃私が産業界に首を突込み掛けていたので、夙に実業に雄飛せんとする君がこの陋巷の貧乏文人に何の求むる事があるかというような頗るイヤ味タップリなものだった。が、会って見れば少しも隔意がなく打解けていた。私は本より論壇の上にこそ紅葉と対敵したが、先方はどうあろうと私交上ではやはり親友のツモリでいたから、胸襟を開いて黒岩の意嚮を話し、紅葉一身の利害のために黒岩との提携を勧説した。紅葉もまた打解けて少しも蟠りがなく用件以外の四方山の世間咄をしてその夜を更かした。続いて同じ用件で数回の会見を重ね、或時は家では沈着いて相談が出来ないからと、半日余りも旗亭で談合した事もあった。その頃読売新聞の社内の空気が面白くなくて紅葉は不平満々だったから、その頃としてはレコード破りの有利な黒岩の招聘条件に紅葉も一時はグラグラ動揺し、いよいよ日を定めて黒岩と会見する段取にまでなったが、順序上先ず読売の最高顧問たる高田早苗に内々打明けた処が、「団十郎はやはり歌舞伎でなければ納まらんので、イクラ給金が良くても公園の舞台で踊っては名が廃れる」と理解され、九分通りまでグラグラしたが、結局名を惜んで思い留る事となって一と先ずこの相談を打切った。が、紅葉の心はその時既に読売新聞社を離れていたので、その時は高田の斡旋で引留条件の花を持たせられて一時中止したが、終に読売を去るようとなった。
紅葉はこうした男であった。日頃は罵詈讒謗してやまなかった抱一庵をも一見コロリと感服させ、犬と猿のように仲違いしているものにでも会えば奥底なく打解けて、自分の身上などを細々打明けて話すほど捌けていた。が、心から捌けて洒落であったかというと実は余り洒落でなかった。些細な事を執念く気に掛けて何時までも根に葉に持つ神経質であった。が、表面はガラガラして江戸ッ子とアングロサクソンを搗交ぜた紳士形気を理想としていた。
紅葉は親分肌で、門下や友人の面倒を能く見た。が、厚意をありがたがって感謝しないと不機嫌だった。殊に門下生に対しては、七尺去って師の影を踏まずというような厳格な奴隷的道徳を強圧した。『青葡萄』という作に、自分は鞭と縄とで弟子を薫陶するというような事をいってるが、門下の中には往来で摺違った時、ツイ迂闊して挨拶しなかったというので群集の中で呼留められて、新兵が古兵にトッチメられるように威丈高に叱られたり、正月の年始が遅れたとか近火の見舞をいわなかったとかいうので勘気を蒙むったりしたものもあった。
門下生ばかりでなく、友人関係の同人に対しても草創時代の同輩は別として、後進生に対しては世話もする代りに先輩の権威で臨んだものだ。北村三唖が紅葉に疎んぜられたのも、初めは何かの用事で暫らく無沙汰をした時、「少とも顔を見せんじゃないか、他の家へは行っても俺の家へは来る閑はないのか、」と妙な見当違いを諷てこすられた。三唖も旋毛の少々曲った変梃な男だから嫌気がさして復た暫らく足を遠のくと、今度は他の家へはマメに出掛けるくせに社のものの方へはまるきり鼬の道てのは余まり義理を知らなさ過ぎるぜと、一々不義理を数え立てられてネチネチと油を搾られた。三唖は紅葉に引立てられたのだから、腹の中では済まないと思ったろうが、口不調法の男だからもぞくさして弁解もしなかった、詫りもしなかった。これが益々紅葉の気に入らなかった。その上に三唖が頻繁に出入したのが社外の異宗門だったので、終には謀叛人扱いされて棄てられてしまった。三唖は紅葉の世話になったという条、『石倉新五左衛門』を認められて『新著百種』に推薦されたというだけであったが、この一篇の原稿の斡旋を永久に徳として弟子の礼を執らなかったのが忘恩者として紅葉の勘気に触れた所以で、三唖はこれがために紅葉の勢力圏の新聞社や雑誌社からボイコットされてしまった。
乙羽もまた紅葉の世話になった男である。が、乙羽もまた硯友社外の誰とでも交際したのが紅葉の気に入らないで折々忌味をいわれた。が、乙羽は三唖と違って如才ない利口者だったから、三唖のように紅葉の機嫌を損じるような事は做なかったし、背後に資本家の博文館を背負っていたから紅葉の方でも遠慮していた。それでも博文館に入ってから一年ほど経った或時、近頃は忙がしくて紅葉さんの許ばかりへ行ってられないで諸方へ顔を出すので、紅葉さんの御機嫌が悪くて困ると愚痴を覆した事があった。
こんな塩梅に人の世話もしたが十分感謝して自分を立てないと満足しない親分肌通有の欠点をも持っていた。それでも後進生や門下生が帰服していたのは紅葉が文壇に勢力があったばかりでなく、尋常ならぬ熱情と親切とを持っていたからであった。紅葉は人に叱言をいう時は涙をボロボロ覆して、これほど俺のいうのが解らないかと泣く事が珍らしくなかったそうだ。この熱情とこの親切とがあってあれだけの門下を養成し、多数の硯友社員を一身同体の如くに率いて活動する事が出来たのであろう。紅葉は確に人に長たる親分的性格を有っていた。