21話 新道・旧道 禁芸術売買
読み方を変える
――むさし野の花は白い。栗、ごぼう、ねぎ、レールに添う鉄道草、街路の生垣になってほこりをあびた……こゝまで書いて手帳には大きな? がついている。名を知らぬ木にぶつかったからである。こまかい白い花を沢山つける、あまり品のよくない木である。? に続いて――目に痛く青いものは生薑の葉、麦は根まで枯れていて、畑の一隅に火をつけたら、ボーッと燃え上ってしまいそう――と、
こんなことを手帳に書くために出て来た旅ではないが、恐ろしく暑い日で、昼近い水上行の汽車の中へ、それが進行中であるにも関わらず、風さえ吹き込まぬ。高崎までの退屈な三時間、仮睡するなり、本を読むなり、時間を潰す方法はあるが、それでは余り無責任なような気もして、窓から外を見ると、それがこの「むさし野の花は白い」になる、といった次第。
然し高崎からは景色がよくなった。右が赤城、左は榛名、榛名は雲でよく見えなかったが、赤城の裾の線には、まったくのんびりしてしまう。その間を流れて来る利根川を、渋川のさきの「第一利根川橋梁」で越して敷島駅を過ぎると、山が両方から迫って来て、川と線路とがからみ合う。第三橋梁棚下トンネル、第四橋梁と、殆ど連続しているあたりの景色、殊にこの棚下トンネルを出て鉄橋にさしかゝった時、右には切り立った岩壁、下には紺碧の瀞水、そして左にやゝひらいた沼田の、いわば盆地ともいうべき小平原と、その向うの葉山茂山の上に雪をいたゞく谷川岳あたりの山とを見た時、それがほんの一瞬間であっただけに、思わずあっ!と声を立てた。
沼田に着くと、駅まで来た友人Uに、文字通り引ずり下された。バスで勢いよく急坂を上り、Uの家で冷水一杯、汗をふくと同時に空のルックサックを背負ってまた靴をはいた。沼田は真田信幸の居城、利根川の東にて片品、薄根の二水を南北に帯び……というと古めかしいが、赤城山が北東にのばした緩やかな大裾野を、以上の三川が切りきざんで残した不規則のテーブル・ランド、攻めるに難い上に、この丘陵の上から豊富に清水がわき出すのだから、いざ籠城という時にも至極便利だったろうと思う。今でも昔ながらの碁盤目の街路、何度も大火はあったが、このプランだけは変っていない。このような真直な通の一つを、ものゝ一丁も行くと、もう急坂だ。それを下り片品川をあぶない吊橋で渡って糸井の部落まで一里。散在する家々は養蚕で忙しく、初夏の静かな空気にさわさわと蚕が桑をかむ音さえ伝わる。この青空、赤城山、桑の広葉、黒く赤い漿果! われわれは塵をあげて路を急いだ。
こゝに清雲寺という禅寺がある。迦葉山にある龍華院彌勒寺の末寺で、非常に背の高い萱葺の山門があり、その前の、普通葷酒の山門に入るを禁ずることをきざんだ石には、筆太に「禁芸術売買」としたのがきざんである。かゝる文句が諸方の寺にあるものか、またこれが仏教の方で果して如何なる意味を持っているのか、寡聞にして知らぬが、これをこの文字通りに解釈して、さて何かしら頭をなぐられたような気持にならざるを得なかった。
この附近にも水のわく段丘があり、われわれはそこで蚊に刺されながら指で地面をひっかき廻した。石斧、石鏃、石匙、繩紋のある土器の破片、動物の骨等がこゝから出るのである。赤城の裾に住んでいた太古の人々、かれ等の生活、恋愛……泥だらけな手でバットを吸いながら、われわれはとりとめもない話にふけった。