山を思う

22話 新道・旧道 藤原盆と「心」

1,264字 約3分 2018年8月4日 公開

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 何百年か前に建てられたまゝの、釘をまるで使わず、何から何までくさびどめのUの家の一間で、言葉は出せず、ウーンとうなって、目の前の壁に立てかけられた、驚嘆すべき品物を見た。ほかでもない木の盆で……。

 直径は三尺にあまる。丸く、菊の花のような模様がついている。が、これ、模様というような生やさしいものではない。熟達の生む恐るべき正確と放胆とを以て、中心から外辺へ、力まかせに刀で刳った痕跡である。そしてそれに塗った漆の色は、いさゝか唐突で気恥かしいが、最も佳良なダンヒルのパイプが持つ、あの濃赤紫である。これこそ腕力の工芸品、見て力を感じる。

 大利根の原流地、二千メートルを越える山々の麓にかたまった藤原の部落、鬱蒼たる処女林の中で、霧の深い朝夕、山刀をたっつけの腰に結びつけた男が、グイグイと木を刳ってこれを作ったのだ。大小角円いろいろな盆、相当の数に達すると背に負って、湯檜曾へ三里、沼田へ八里、売りに出たのを、人々は別に何とも思わず買い求めては使用し、使用しては壊していた。が、今ではもう藤原盆は出来ない。轆轤(ろくろ)細工の安い品がどんどん製造されるからである。事実、その後三国越の宿々で、轆轤の音は聞き、あのこまかい木屑は見たが、二本の腕で刀を振う人は見受けなかった。聞いて見ても、そんなことをする者はいなかった。藤原盆ばかりではない、本当の芸術は売買を禁じられたのでなく、売買されなくなったのである。それにしても何も知らず何も思わず、このような盆を三度の食事に使用していた頃の人が羨しい。

 芸術といえば、あの禁芸術売買の清雲寺の本山というのが、沼田の北三里余の迦葉山にある龍華院彌勒寺で初祖は天台の慈覚大師(円仁)、中興は慈運律師云々と書いたところで大した面白味もなかろうが、迦葉山は日本三天狗の一、大峰(大和)小峰(下野)の間に位する中峰、開運の神として附近の尊敬をあつめている。糸井への途中二三人の男が旅姿で路を急ぐのを見た。その一人が腰に天狗の面を下げていたのを、子供へのみやげだろう位に思っていたが、あれは迦葉山へ参るので、毎年蚕を当てるために参詣し、紙張りの天狗の面を借りて来ては翌年返しに行き、新しいのを借りて来るのだと聞いた。

 開運の神であるが故に、迦葉山では金を貸す。神様がお寺で金貸業をやっているとは如何にも出鱈目みたいだが、これがいわゆる縁起で、種銭と称し、金額は普通廿銭程度、せいぜい五十銭どまり、証文も入れねば何もしない。円の中に「心」とした紙に包んで貸してくれるのを、翌年倍にして返す。つまり心を抵当に……といって語弊があるなら良心による貸借で、いつ頃から行われて来たのかは知らぬが、興味の深い習慣である。

 迦葉山を信仰する者が非常に多数である一つの大きな原因に、現住職――この辺では御前と呼んでいる――清水浩龍師の人格があることは疑いない。師は絶対無妻、社会事業にもいろいろと尽力され、殊に不遇な男の子、例えば孤児とか、片親の無い子とかを集めて育てあげ、現にそのような子供が三十人以上に達していると。

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