山を思う

25話 新道・旧道 奥利根の温泉

1,186字 約2分 2018年8月4日 公開

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 土合から湯檜曾まで軽便鉄道で来て、こゝの宿で遅い昼飯を済ませ、温泉に入った。それから驟雨の中を自動車で水上へ、上牧で途中下車して、新しく出来た大室温泉に入って見た。後者の方が湯は綺麗だが、古い湯の宿の趣は前者の方が遙かにすぐれている。湯檜曾の宿の若い主人は、この冬は貸スキーも五六十台置くつもりだから、是非来てくれと、しきりにいっていた。トンネルが出来て、夜行が通るようになるとこの辺は便利なスキー場になる。

 沼田から湯檜曾までの間、利根川に添っていたる処に温泉がある。上越線の開通をあて込んで温泉掘鑿願いを出したものや許可を得たものが九十数件。あちらこちら、石油を掘るように温泉を掘っている。そんなに沢山温泉をつくってどうする積りだか。勿論湯が出たら権利を売ろうといった手合も多いのであろう。

 翌日は後閑から赤谷川に添う三国街道を入った。汽車の中から川――利根の本流――向いの崖の上に浅黄の布を周囲にさげた、何の面白味もない社が見える。これが磔茂左衛門を祭った地蔵で以前は崖の下の小さな地蔵さんであったが、藤森成吉氏や築地小劇場のために(まさか!)大きく、また殺風景になったとのことである。

 一体この辺には、対照の奇妙な史跡が多い。三国街道を月夜野、押出、廻戸と一里歩いて下新田へ行くと塩原太助の生家があり(代議士生方大吉氏の厳父太吉氏等によって遺跡保存会が設けられ、倉庫には遺物が蒐集してある)、後閑、上牧間には高橋お伝の生家が現存し、利根の右岸、即ち線路の対岸には白木屋お駒がかくれ住んだと伝えるお駒堂がある。講談愛好者にとってはこの辺は地上の天国であろう。

 鬱陶しい梅雨空の下を、ルックサックを背負ってボソボソ歩いた。昔ながらの三国街道である。広い道の両側に並ぶ、屋根に石を置いた大きな家は、一様に黒ずんだ褐色をしていて、所々の軒にさがったエナメル・ペンキ塗の売薬やその他の看板が、不気味な程鮮かに目立つ。新治村の役場で村長さんにあい、猿ガ京の関所のことや、三国峠の話を聞き、役場の裏の麦畑の畔で完全な石鏃を二つ見つけた。この辺、山河のたゝずまい、どこか京都の裏の、出石、豊岡附近に髣髴たるものがある。

 低い空から雨が落ちはじめた。大きな月見草が真昼、頭をもたげて咲き、河鹿の声が街道に添う川からしきりに聞える。鬱蒼たる木立の中に立ちぐされる大きな家、崩れる荒壁、太い柱……、何かしら旅愁に近いものを感じ出した時、後から猿ガ京行の乗合が走って来た。とめて乗ると人絹の靴下をはいた女車掌、前橋あたりから新婚旅行にでも来たらしい男女。湯宿の温泉も相俣の宿もぐらぐらゆれて過ぎ、笹の湯で夫婦者が下りると間もなく猿ガ京。待っていたフオードに乗って永井の宿――こゝには大きな本陣がある――から本街道を離れ、V字形をなす西川の溪谷の、Vの右斜線の上を走って法師温泉へ二里余。

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