44話 スキー・マニア種々相 結論(2)
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いよいよ本当の冬になりました。秋の間、盛んに郊外散歩をしていた人々は家にとじこもり、火鉢にかじりついたり、背中を丸くしてこたつに入ったりしているのでしょう。この頃は野も山も静かになって来ました。
勿論寒い時には、着物を沢山着て、温かい部屋にとじこもり、静かにしているのもいゝものでありましょう。しかしながら、外に出て、少々汗ばむぐらい歩き廻るのも中々悪くないものであります。私は、とかくひきこもりがちな女の人達に、冬の山が持つ面白さと楽しさをお知らせしようと思います。それによって、一人でも二人でも、冬の山登りに出かける方が多くなれば、私は本望を達したという訳になります。
冬の山と申しても、富士山や日本アルプス、或はその他の、雪や氷におおわれた高い山をいうのではありません。この様な高い山の冬の登山は、事実面白くもあり、又楽しくもありますが、これは専門家にまかせておいた方がいゝでしょう。第一、支度が大変です。先ず麓から或程度の高さまでは、スキーで登りますが、これとて所謂スキー場で、遊び半分やるのとは、全く趣を異にします。どう違うかはくわしくお話すると長くなりますから略しますが、重いルックサックを背負っているので、身体のバランスがとりにくいことや、場所によって雪の変化が甚しいことなどが関係すると御了解ねがい度いものです。さてスキーが使用出来ぬ程雪が堅く凍りついている場所へ来るとスキーをぬいで、シュタイグアイゼンというものを、靴に結びつけます。これは鉄で出来ていて、六本、八本、或は十本の鋭い歯を持つカンヂキを、麻のさなだ紐で靴に結びつけるのであります。この鋭い歯がサックサックと堅い雪につきさゝって靴がすべるのをふせぎます。これは非常に大切な登山道具なので、万一はずれたりすると大変なことになります。それで、さなだ紐の結び方にも、一定の方法があります。
またこのような場所では、アイスアックスというものが、絶対に必要です。これは直訳しますと氷斧で、皆さんも運動具店やデパートで御覧になったことがあるでしょうが、頑丈なトネリコのステッキの石突と頭とに鉄がついている、その頭の方が斧になっていて、そこで氷をたゝき割って足場を作りながら山を登るのです。どうかして足をすべらした時などこのアイスアックスで、滑り落ちるのをふせぐという、大切な道具です。それで山登りをする人は、まるで武士が日本刀を大切にするように、アックスを大切にし、ステッキには常にアマニ油をぬり、鉄の部分はピカピカ光らせておきます。この放送の原稿を書きながら、私のアックスはどんなになっているかと思った所が、物置のスミの方に蜘蛛の巣にまみれ、赤く錆びているのを発見しましたが、これでは山のお話をする資格はありません。
ところが、先程申したシュタイグアイゼンも、このアイスアックスも、とにかく堅い氷に突きさゝるように出来ているものですから、余程取扱いになれていないと危いのでして、転んだはずみにおなかにつきさゝったり、足に怪我をしたりします。ですから、このような道具を使用する高い山へ行くことは、先ず専門家にまかせておく方が無難だろうと思います。登る登ると申しましたが、山のテッペンで一生を送るのでない以上、山をおりるのにも同様の道具が必要になり、而も技術的に申しますと、下山の方が登山よりはるかに困難で危険な場合が多いのです。
又このような山へ行くと、温度も零点下何度、或は十何度と降ることがありますから、防寒具も充分持って行かねばならず、よしんば山小屋があっても、設備は不完全ですから、自然、食糧、寝具、場合によっては燃料や、テントまで持って行かねばならず、如何に人夫をやとうにしても、相当な荷物は、自分でしよって行くことになりますから中中大変です。もっとも、男に負けず、男以上の荷物をしよって、どしどし山に登って行く女の方も、あるにはありますが、大抵の御婦人、殊に家庭をもっておられる方々には、この様なことにおすゝめも出来ないし、実際問題として、無理だろうと思います。体力的に無理であるばかりか、時間的にも無理でしょう。と申しますのは、こんな山では、いつ吹雪にあうかも知れず、そのような時にはテントの中なり山小屋なりでいく日でもスクンデいなくてはなりません。大体いく日の山旅をするという予定は立ててあっても、それがどう変化するか見当がつかぬのであります。そうすれば、一家の主婦ともあろうものが無鉄砲にウチをあけておくことが不可能である以上、このような登山はこれまた不可能ということになります。
私がおすゝめする山は、東京で申せば高尾山、あるいは三浦半島の背骨をなす山、大阪で申せば箕面、池田、六甲等北摂の山々、或は河内の山などであります。日帰りで楽に行ける山、或は丘と申した方がいゝかもしれませんが、このような低い山に下駄ばきで、御希望とあらば、ステッキの一本も持って、気軽に出かけて頂きたいのです。
山歩きばかりでなく、すべての運動に洋服がむいていることは、申すまでもありませんが、そのために洋服を作り、おばあちゃんがダンブクロみたいなものを着て、靴ずれの出来た足をひきずって歩くなんてのは、如何に体位向上の今日でも、余り見られたものではありませんから、和服でお出かけになったらいゝでしようがも少々お色気がなさすぎますから、モンペをはくといゝと思います。話がいさゝか脱線しますが、私は以前からモンペ礼讃者でありました。従ってこの頃方々でモンペが使用されているのを見て誠にうれしく思います。ところが、例えば座談会などで私がモンペの話を始めると、あんな変なものを着て、往来が歩けますかという声が御婦人の間で盛んにおこります。座談会というのは不便なもので、しゃべりたい人が大勢いるものですから、私一人で長い時間話をするわけにはゆきません。それでいつもウヤムヤになってしまいます。今日は幸い放送で、誰も邪魔をしないから、諜舌りたいだけモンペ論をやらせて貰いますが、元来モンペというものは、仕事着なのであります。銀座や心斎橋筋を歩く時、或は人を訪問する時に着るものではありません。東北地方や信州あたりのモンペを常用している場所でも、仕事をする時以外にはモンペははきません。ですから、何もモンペをはいて都会の町を歩けというのではない。そら、地震だ、火事だ、空襲だという時に、不断着の上からはけばいゝのです。その為に、モンペを作っておき、どんな暗やみでも分るような場所に置いておけばいゝと思うのです。
中にはモンペという名前が気にくわないという神経質な人もあります。モンペというのはある地方での呼び名で、地方によってタチ方が違うように、名もちがいます。タッツケ、雪袴などとも呼ばれます。雪袴などは、風流な、いゝ名だと思いますが、どんなもんでしょう。タッツケと申すのも人形芝居で、現に人形つかいが用いている服装なのです。
さて、話をもとにもどしますと、山歩きには四季を通じてモンペが便利ですが、特に冬は、これが温くていゝそうであります。朝、ウチを出る時からモンペをはくことはありません。お弁当の風呂敷づつみなり、あるいは御主人のルックサックの中なりに入れて行き、いざ人里はなれて、山にかゝるという時出してはけばよろしい。そして、はき物は下駄に限ります。草履はすべっていけない。あとがけをすればいゝそうですが、兎角冬の山道は、日中になると霜がとけてぬかるみますから、この点から申しましても草履は不向です。
これで山登りに一番大切な足ごしらえは出来ました。あとは出掛けるばかりです。夏と違って大して汗をかきもしませんから、余り大きな水筒を持って行く必要もありますまいが、魔法瓶に熱いお茶でも入れていらっしやい。お弁当も夏と違ってくさる危険はありませんが、御飯等どうかするとひどくつめたくなりますから、熱い飲物が一入うれしく感じられます。
さて冬の山の楽しさは色々ありますが、先ず第一に温かいことが挙げられます。日蔭の道には一日中霜柱が立っていたりして、これは本当に寒いのですが、一度そのような所を通りぬけ、日向の風をよけた場所に出ますと、こゝは又驚く程温かいものです。枯草が太陽の熱を思う存分吸い込み、吸い込み過ぎてその熱をはき出しているという感じさえします。このような枯草や落葉をかき分けて見ますと、弱々しい緑色の草の芽がひそんでいたりします。冬のさなかというのに、自然は、もう春の支度をしているのであります。
同じようなことが樹木についても見られます。常磐木以外の木はすべて葉を失った裸木ですが、細かに見れば、今年の葉が落ちたあとには、もう来年の葉の赤ん坊がちゃんと出来ています。勿論厚い外套をかぶり、一寸見ては葉だか何だか分りませんが、一陽来復とともに、この赤ん坊は外套をぬぎすて、のびのびと手足をのばすのであります。葉が落ちたのは、来年の新しい葉の邪魔をしてはならないから、つまり新しい葉に場所をゆずったのだということを感じます。大きなことをいう様ですが、人間の死ぬこと生れることも、何かこれに似ているのではないでしょうか。木は万遍なく日の光を浴びて立っている。あなた方は裸の木をよく見たことがありますか。これ程無駄のない、しっかりした芸術品は、人間には造ることが出来そうにもありません。
色々な枯草の姿も亦面白いものです。山牛蒡や山法師などという草が、枯れてしかもシャンとしているのを見ると、墨一色の版画を思い出します。それに又、木や草の葉が落ちたので、小鳥の巣を、よく見かけます。どんな鳥がどんな卵をこゝに生み、どんな雛をかえしたのだろうなどと、想像するのも楽しいものです。序に申上げますが、今申した山牛蒡や山法師などという草は、葉も実も枯れたような色をしていますが、これを取って、持って帰りますと、面白い生花が出来ます。ことにリスリンを少々加えた水につけておきますと、一冬は十分もちます。
冬の山はまことに静かであります。たまに小鳥が鳴くくらいで、その他には何の物音もきこえません。小鳥は木の葉が落ちてしまっているので、思いがけない姿を現わすことがあります。その声をきゝ、その姿を見ると、自然その名前を知りたくなって来る。小鳥研究とまでは行かなくても、我々は、こゝで又、自然に対する愛情が、一つ増えたことを感じるのであります。
冬の空の美しさも忘れることが出来ません。幾月も霧がかゝったり、吹雪がふき荒れたりする地方は別ですが、我々の住む関西地方の冬の空は、どうかすると、全く雲が一つも見えぬ位晴れ渡ることが珍らしくありません。この様に空気が澄んでいますから、遠くの方がよく見えます。山の上から見おろす景色程我々に地理の観念をよく与えるものはありません。郷土を愛する心はこの様にして養成されるのでありましょう。
休んでいると、いくら暖かいといっても、とにかく、冬の山ですから、寒くなることがあります。しかし焚火は絶対にいけません。山での焚火は、いつでも禁物ですが、ことにお天気続きの冬は、枯草や枯葉に火が付いたら、とんでもないことになります。
冬の山には蛇とか、毛虫とか、芋虫とかいうような、いやらしいものは全くいません。ですから気軽に、草の上に寝ころがることも出来れば、ガサガサと藪の中をくゞることも出来ます。そして軽く汗ばんだころ、時間でいえば先ず午後二時半か三時頃には、山をおりるのです。日が暮れると急に寒くなりますから、初めから日暮れ時には家に帰っているように、プランを立てることです。
この放送をきいて下さる方は、主として御婦人方だと思います。御婦人方は一家の兵糧係と、昔からきまっています。それで、山登りのお弁当について、若干ウンチクをかたむけようかと思います。お料理の時間のようで一寸気がひけますが、私のうちには子供が沢山いて、よく遠足などに出かけるので、お弁当の研究は相当なものです。さて何といっても日本人にはお米の御飯、さるかに合戦以来のおむすびが第一ですが、これに一寸趣向を加えて見ますと、先ず海苔をやいて半分に切り、それで包める位の大きさに御飯をにぎります。この時お醤油を手に付けながらむすぶと、いゝ味がします。この海苔むすびの中に色々なものを入れ、品数を多くしますと、大人も子供も大喜びです。塩昆布、キャラ蕗、芹の味噌漬、小魚や三度豆の佃煮、でんぶ、鰹節などですが、豆をあまく煮つめたものなども、意外に歓迎されます。梅干は勿論結構ですが、私共銃後の国民はなるべく梅干を戦地に送るようにしなくてはなりません。
普通の海苔巻を作る時、中に沢庵を細長くきざんで入れると、干瓢や高野豆腐とちがって、煮る世話が省けるばかりか、水気があって山登りのお弁当などには持って来いです。
私は、よく子供のお弁当箱を借りて行きます。子供が学校へ持って行くお弁当を作って貰って、持って行きますが、新聞紙二三枚で丁寧にくるんでおけば、御飯がひどくひえることはありません。おまけに、新聞紙は、晩方など、急に寒くなった時、チョッキの下、胸と背中にあてがいますと、とても暖かですし、家へ持って帰ってしわをのばしておけば、一貫目四拾銭で売ることが出来ます。
山登りのお弁当にはサンドイッチにしましても、わざわざハムやソーセージを買って来ることはありません。前の晩の豚カツや魚のフライや焼魚の残ったのに、ちよっとソースか醤油をつけてはさむとか、或はじゃがいもをゆでてつぶしたものに、この様な肉類をまぜてはさむとか、色々方法はあります。一番簡単で又うまいのは前の晩、コロッケを少し沢山作っておき、翌朝これをつぶしてサンドイッチにすることです。あまいジャムサンドイッチも、少し作って持って行けば、お菓子の代りになります、但しパンはトーストにしないと、ジャムの水気をパンがすいこんで、ビショビショになります。さあ、どうぞ皆さん、この次の日曜日からでも、冬の山野にお出かけ下さい。「まず健康」――まったく我々は、大人も子供も、男も女も、丈夫で暮さなくてはいけないのであります。
昭和十三年の初冬「家庭の時間」に表題のような放送を頼まれた。この時は珍しく――事実この時以外やったことが無いが――時計を前において僕が喋舌るのを、家内がその通り筆記した。それがこの全文である。勿論書く方が喋舌るより遅いから、口述筆記の時間は放送時間の四倍くらいかゝったが、大体枚数が分っているので、あとですらすら読んで見ると、時間はきっちりあった。
この放送が原因してかどうかは知らないが、翌年早々「春の山野」について何か書いてくれという註文があった。それが即ちこの次の一文で、読みかえして見ると山野、別して「山」はまったくのお添え物、釣の話が主になっている。
冬の初めに「冬の山野」という題で放送をした。家庭講座だったので、山といっても東京ならば三浦半島の背骨をなす丘や、せいぜい高くて高尾山、大阪ならば生駒連山、二上山、箕面の山を目標として、これ等の山歩きが如何に楽しいかを語った。秋の間、盛んに山野を歩いていた人々が、冬になると家に引き籠って了うが、それではいけない。冬こそは真に自然に近づき親しみ観察すべき季節である――というのが僕の結論だった。勿論今でもそう思っている。
だが、いよいよ春になって見ると、春の山野も悪くない。如何にも場あたりをいうようで、少々きまりが悪いけど、実際問題として、日本内地は、四季を通じて所謂気候温和、暑いといい寒いといっても、殺人的なことはめったに無く、従って、いつだって気軽に戸外に飛びだすことが出来るのだ。
二月十九日の日曜日に、吉野川まで釣に出かけた。下市口で電車を下り、三時間ばかり右岸の諸々方々を歩き廻ったが、気温が高い割合に水温が低く、魚はまるで釣れなかった。釣れぬとなると煙草に火をつけて景色をながめる。大天井や山上ガ嶽にはまだ雪が残っているが、姿の美しい高見山には霞がかゝり、電車の線路には陽炎が立っていた。その線路の横に、おほいぬふぐりの花が咲いていたのに気がつき、「まるで本当の春だな」という友人に、「もう草の花が咲いているからね」と合槌を打ったが、信用しない。それなら見せようと、竿も魚籠もおいたまゝで広い河原を横断して、わざわざ線路の所まで歩いて行った。おほいぬふぐりやはこべを先頭に、花はどんどん咲いて行く。春の進行はすこぶる速い。だから、「たれこめて春の行方も知らぬ間に」などと、悠長なことをいっていないで、山や川や野や原へ出かけて行くにかぎる。
僕みたいに、休みの日には必ずそとへ出る者にとって、一番有難いのは、日が長くなることである。四時半、五時、六時になってもまだあかるいことは、甚だ気持を落ちつかせ、のんびりさせる。これが北欧のように、九時になっても十時になっても明るいとなると、却って間がぬけるが、この辺では丁度いゝ工合の時間に暗くなり、電燈がつく。その頃にはいゝ加減つかれて家に帰り、風呂に入っていっぱいやる。酒ばかりは、どうも、灯がつかないとうまくない。
あたゝかいのも有難いことだ。寒さそれ自体は僕にとっては何等の苦痛でなく、こんな骨皮筋右衛門でいながら、暑い方に負けるが、とにかく服装が身軽になるのがいゝ気持だ。
現在の僕としては、魚が釣れ出すのが何よりもうれしい。寒バエ釣は玄人の芸だなどといわれ、冬中あちこち歩き廻ったが、釣れないこと、おびたゞしい。考えて見ると、猪名川では鼓ガ滝、多田神社の下、武庫川では宝塚の上下約一里半、それから、遠っ走りをして吉野川、どこへ行っても魚はかたまっているし、人間もかたまっている。近所の人々で毎日来るといった手合が、自転車で乗りつけるのだから、僕みたいなサンデー・アングラアは駄目にきまっている。それを、「好きこそ物の上手なれ」ならぬ「下手の横好き」で出かけるのだから、魚が釣れたらどうかしている。
たまに誰もいないと思うと、六甲の方からひどい吹雪が来たりする。何を糞とばかり、首を縮めて竿を持っているのは楽でない。魚が釣れでもするのならば、こいつは悪くないだろうが、ピンともシンとも来ぬ奴を、痩我慢で河岸に頑張っている中に、いつか暮色蒼然、凍えた手で糸を竿から外すと、水っぱながポタポタたれる――こんな真似をしていたが、さて、春ともなれば魚が動くのだ。一寸の麦、三寸の菜種、そのような畑のへりを流れる小川に、モロコやタナゴがピチピチとして、小さなウキの動きにあわせると、仕掛がこまかいから、ピリピリ、存外強く手に来て、よしんば十匹や廿匹でもうれしくなって了う。
昔のことを考えると、仙台の春。あのあたりは先ず五月にならねば春とはいえない位だが、郊外の丘に雪がとけて、そこにもろもろの草の芽が萠え出す。土はしめっていて空には雲雀の声。いちどきに花が咲く。カッコウの鳴きかわす声が聞える森には、いつの間にかかたくりの花がちらほらする。東京で生れて東京で大きくなった僕が、本当に春の呼吸を感じたのは、高等学校の三年間であった。
昔のことはとにかく、今では、至極温暖な関西に住み、物を見る目と感じる心をさえ持っていれば、冬でも緑の草にめぐまれた生活をしているのだが、それにしても、何かしらやはり特に心を打たれる春の現象はある。吉野川のおほいぬふぐりがその一つだし、今晩帰宅して、猫額大の畑にある高菜に、こまかい蕾がいっぱいついていると聞いたのも、その一つである。
菜といえば、大阪近郊の菜種――菜の花の盛りの頃は、電車の中にまでその香がたゞよい、朝の通勤に思わずウトウトしたくなったりすることがある。工場と住宅が多くなり、今では昔ほどのことは無いが、まったく大した菜の花だ。
菜の花のお花見をするのは、雀くらいなものだろう。梅は風流人、桜は有象無象。所謂お花見で騒ぐ人達は、染井吉野を対象とする。本当の桜の味は山桜だ。これは公園や遊園地にはすくなく、昔ながらの山や丘に自生している。
僕は現在、大阪府豊能郡箕面村牧落という所に住んでいる。こゝは箕面の山を北にし、豊中市との境をなす丘陵を南にした一種の高原――といったところで、海抜六十米位のものだが――で、自らゆるい傾斜をなしている関係上、相当大きな貯水池が、あちらこちらにある。
去年の春のことだ。日曜日のこととて箕面公園は大変な人出で、大きくいえば人声が聞える程だ。だが、牧落は至って静かなので、子供をつれてフラリとモロコ釣りに出かけると、ある貯水池で非常に愉快な光景を見た。
下萠はしているが、見たところまだ枯草ばかりの池畔に、お婆さんが二人、めいめい木綿の風呂敷をしいて坐り、二合瓶でお酒盛をしていたのである。年の頃は五十か六十だろう。重詰の弁当を間におき、いゝ気持そうにやっている。空には雲雀が囀り、池の土手にはしどめが咲き、池から流れる小川には芹の根が白い。僕は大きなビルディングで便所を掃除したり、床をこすったりするお婆さん達のくすんだ姿を思い浮かべ、何とはなしに涙ぐましい気持になった。J・M・バリイが日本人だったら、この酒盛をしているお婆さんを主人公に、いゝ脚本を書くだろうという気がした。
だが、これは、大阪人をよく知らぬ僕の誤謬だったかも知れぬ。存外大金持の、而も小金を貸して暮しているという婆さんだったかも知れない。そのような人達が、こんな風に、つゝましく、静かに春をたのしむことが、大阪では比較的多く行われているのだ。
とまれ、春になれば、誰でも戸外に出かける。冬と違って強いて思いをこらし「さアさア皆さん、山野を跋渉しなさい」と放送する必要は更に無い。ほっといても人々は山野に出る。名所や旧蹟は満員となり、汽車や電車は超満員で、酔っぱらいが騒いだり喧嘩が勃発したりする。さればこそ、貯水池の土手に坐っていたお婆さんの気持は尊重すべきであり、人出をさけたルートを考えて歩くハイキングをおすゝめすることも、まんざら無意義ではあるまいと思ったりする。