山を思う

5話 秋になる 五

1,256字 約3分 2018年8月4日 公開

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 四五年前の秋、スコットランドのアクレイ湖畔で摘んだヘザアの花、小さな額ぶちに入れて置いたが、いつか忘れていた。四五日前、ふと思い出した戸棚をさがしたら、硝子が割れて、只さえ乾いた花や葉は、ボロボロになっていた。この次、思い出して見る時には恐らく鼠が喰っちまっていることであろう。なまなましい心の痛手も三鞭(シャンペン)の泡のように景気のいゝ恋愛も、その思出となるといつの間にか黴が生えたり、鼠に喰われたりする。いわゆる人生のこと、よくは判らないが、大方これでいゝのだろう。

 秋といっても十一月。スコットランドは冬が長い。ストーヴのそばを離れると寒くてやり切れぬような季節である。

 朝、九時近くなってトロサックス・ホテルの人気の無いヴェランダに立った私は、まっ向から照りつける太陽に、いさゝか面喰ったが、ズラリと並んだ籐椅子の一つに腰を下してシガレットに火をつけると同時に、太陽の光が極めて強いのに似合わず、空気は霜を含んで恐ろしく寒いのに気がついた。と見る、ヴェランダからだらだらと傾斜した芝生。芝生に接してコンクリートの大道、それから長い草の原がちょっと見えて、あとは一面に乳白色の霧である。霧の上に岩と、茶褐色の草とに掩われた山巓が浮き上るのは、恐らくベン・ベニュウであろう。

 前の晩、暗くなってから着いたのだから、実は何が何やら判らぬ筈ではあるが、旅に馴れた身の、ベッドの中でトロサックスの地図を開いて、いさゝかあたりの地理を調べて見た。それによると、この乳白色の濃霧は、アクレイ湖の上に漂っているのに相違ない。九時半、十時、十時半と、太陽が昇るに従って霧が散り、やがて美しい秋晴れになるのであろう。だが、あの、往来の向うの草の中で動いているのは、一体何だろう?

 両手を上衣のポケットにつっこんだ儘、私はヴェランダを下りた。芝生を横切って道路に出る。もう靴は露で濡れている。道路の向うの原には……足を踏み込む気がしなかった。長い、膝位までは充分ありそうな、枯れた羊歯に露と、それから針の様な霜とが一面に着いている。見る見る霧は上って行く。恰度大きな毛布を巻くような有様である。突然ガサッと音がして、私の前に立ち現われたのは、一匹の羊であった。長い、黒い毛。ふくふくと太って、顔がむやみに小さく見える。その小さい顔を曲げて、しばらくは私とにらめっこである。

Baa, baa, black sheep,

Have you any wool ?

 あんまりいつ迄も私の顔を見るので、すこし顔負けして、いきなり私はこう云ってやった。羊は吃驚したらしく、ちょっと首を振ったが、ガサリと草を分けて霧の中にかくれた。

 それから三十分ばかり、私は湖畔の路を歩いた。いたるところ、ヘザアの花の盛りである。二三本摘んで手帳にはさむ。いつの間にか霧はすっかり上って、アクレイ湖にさゞなみも立たぬ美しい日になった。

 ――考えて見ると、あれが大正十一年の秋だから、この秋でまる四年になる。忘れるにしては早すぎるようだが、私の記憶には大分黴が生えた。

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