7話 中年者の幻想 一
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何というあたゝかさだ。このまゝ春になって了うのだろうか。そして、もう十一時だというのに、どこの子供だ、往来で騒いでいるのは。あたゝかい晩には火の番の拍子木の音があまり聞えないから妙だ。
今日会社では、参観に来た一群の女学生が階段をあがって来るのを見て、ませた給仕が二人、ゲラゲラ笑いながら廊下でつきとばしっこをしていた。春なんだ、テニソンがいった「若者の幻想がやわらかく恋の思いに向いて行く」春なんだ。蛙が繁殖作用をいとなみ、オホイヌフグリ――変な名である――が瑠璃色の花を咲かせ、中学二年生の額ににきびの出来る春なんだ。僕も今日は終日、頭の中で歌をうたっていた。ヴァレンシヤ、ラモナ、バルセロナ。だが三十五になると、春の幻想も恋の思い出には向いて行かぬ。もう駄目だ。