山を思う

9話 中年者の幻想 三

380字 約1分 2018年8月4日 公開

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 蛙の繁殖作用は、浅間しいの凄じいのというのを通り越して、むしろサブライムである。僕は子供の時、四谷の家から永田町の幼稚園へ行っていたので、毎朝清水谷公園の前を通ったが、あすこの大きな溝が、春になると、蛙の死骸で一杯になった。

 二三年前の六月上旬、信州から越中へ山を越えた時、一日黒部川の平で遊んだ。岩魚を釣りに、左岸の岩を伝わって行くと、とある岩の水たまりに蛙が沢山いて、例のいとなみをやっていた。こんな山の中でさえもと、蛙という動物が平素人間に近く住んでいるものであるだけに、変な気持がした。

 南米には助産蛙というのがいる。雌が産卵する時、雄は上から押したり、腹をさすったりして、それを助ける。「妻君がお産をする時、亭主が安居酒屋へビールを飲みに行ったりする人間よりも、余程感心ではありませんか」――これは動物学教授が講義の中にはさむユーモアの一例である。

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