2話 間引菜(2)
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(奧州、仙臺、岩沼の、得平が膏藥は、
あれや、これやに、利かなんだ。
皹なんどにや、よく利いた。)
そこで床平が、自分で燒あとへ貼出したのは――
(何うしよう、身代、今の間に、床平が恁う燒けた。
水や、火消ぢや消えなんだ。
曉方なんどにや、やつと消えた。)
行つたな、親方。お救米を噛みながら、江戸兒の意氣思ふべしである。
此のおなじ火事に、靈岸島は、かたりぐさにするのも痛々しく憚られるが、あはれ、今度の被服廠あとで、男女の死體が伏重なつた。こゝへ立つたお救小屋へ、やみの夜は、わあツと言ふ泣聲、たすけて――と言ふ悲鳴が、地の底からきこえて、幽靈が顯はれる。
しきりもない小屋内が、然らぬだに、おびえる處、一齊に突伏す騷ぎ。やゝ氣の確なのが、それでも僅に見留めると、黒髮を亂した、若い女の、白い姿で。……見るまに影になつて、フツと消える。
その混亂のあとには、持出した家財金目のものが少からず紛失した。娯樂ものの講談に、近頃大立ものの、岡引が、つけて、張つて、見さだめて、御用と、捕ると、其の幽靈は……女い女とは見たものの慾目だ。實は六十幾歳の婆々で、かもじを亂し、白ぬのを裸身に卷いた。――背中に、引剥がした黒塀の板を一枚背負つて居る。それ、トくるりと背後を向きさへすれば、立處に暗夜の人目に消えたのである。
私は、安直な卷莨を吹かしながら、夜番の相番と、おなじ夜の彌次たちに此の話をした。
三日とも經たないに……
「やあ、えらい事に成りました。……柳原の燒あとへ、何うです。……夜鷹より先に幽靈が出ます。……若い女の眞白なんで。――自警隊の一豪傑がつかまへて見ると、それが婆だ。かつらをかぶつて、黒板……」
と、黄昏の出會頭に、黒板塀の書割の前で、立話に話しかけたが、こゝまで饒舌ると、私の顏を見て、變な顏色をして、
「やあ、」
と言つて、怒つたやうに、黒板塀に外れてかくれた。
實は、私は、此の人に話したのであつた。
こんなのは、しかし憎氣はない。
再び幾日の何時ごろに、第一震以上の搖かへしが來る、その時は大海嘯がともなふと、何處かの豫言者が話したとか。何の祠の巫女は、燒のこつた町家が、火に成つたまゝ、あとからあとからスケートのやうに駈る夢を見たなぞと、聲を密め、小鼻を動かし、眉毛をびりゝと舌なめずりをして言ふのがある。段々寒さに向ふから、火のついた家のスケートとは考へた。……
女小兒はそのたびに青く成る。
やつと二歳に成る嬰兒だが、だゞを捏ねて言ふ事を肯かないと、それ地震が來るぞと親たちが怯すと、
「おんもへ、ねんね、いやよう。」
と、ひい/\泣いて、しがみついて、小さく成る。
近所には、六歳かに成る男の兒で、恐怖の餘り氣が狂つて、八疊二間を、縱とも言はず横とも言はず、くる/\駈つて留まらないのがあると聞いた。
スケートが、何うしたんだ。
我聞く。――魏の正始の時、中山の周南は、襄邑の長たりき。一日戸を出づるに、門の石垣の隙間から、大鼠がちよろりと出て、周南に向つて立つた。此奴が角巾、帛衣して居たと言ふ。一寸、靴の先へ團栗の實が落ちたやうな形らしい。但しその風は地仙の格、豫言者の概があつた。小狡しき目で、じろりと視て、
「お、お、周南よ、汝、某の月の某の日を以て當に死ぬべきぞ。」
と言つた。
したゝかな妖である。
處が中山の大人物は、天井がガタリと言つても、わツと飛出すやうな、やにツこいのとは、口惜しいが鍛錬が違ふ。
「あゝ、然やうか。」
と言つて、知らん顏をして澄まして居た。……言は些となまぬるいやうだけれど、そこが悠揚として迫らざる處である。
鼠還穴。
その某月の半ばに、今度は、鼠が周南の室へ顯はれた。もの/\しく一揖して、
「お、お、周南よ。汝、月の幾日にして當に死ぬべきぞ。」
と言つた。
「あゝ、然やうか。」
鼠が柱に隱れた。やがて、呪へる日の、其の七日前に、傲然と出て來た。
「お、お、周南よ。汝旬日にして當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
丁度七日めの朝は、鼠が急いで出た。
「お、お、周南よ。汝、今日の中に、當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
鼠が慌てたやうに、あせり氣味にちか寄つた。
「お、お、周南、汝、日中、午にして當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
其の日、同じ處に自若として一人居ると、當にその午ならんとして、鼠が、幾度か出たり入つたりした。
やがて立つて、目を尖らし、しやがれ聲して、
「周南、汝、死なん。」
「あゝ、然やうか。」
「周南、周南、いま死ぬぞ。」
「然やうか。」
と言つた。が、些とも死なない。
「弱つた……遣切れない。」
と言ふと齊しく、ひつくり返つて、其の鼠がころつと死んだ。同時に、巾と帛が消えて散つた。魏の襄邑の長、その時思入があつて、じつと見ると、常の貧弱な鼠のみ。周南壽。と言ふのである。
流言の蠅、蜚語の鼠、そこらの豫言者に對するには、周南先生の流儀に限る。
事あつて後にして、前兆を語るのは、六日の菖蒲だけれども、そこに、あきらめがあり、一種のなつかしみがあり、深切がある。あはれさ、はかなさの情を含む。
潮のさゝない中川筋へ、夥しい鯔が上つたと言ふ。……横濱では、町の小溝で鰯が掬へたと聞く。……嘗て佃から、「蟹や、大蟹やあ」で來る、聲は若いが、もういゝ加減な爺さんの言ふのに、小兒の時分にやあ兩國下で鰯がとれたと話した、私は地震の當日、ふるへながら、「あゝ、こんな時には、兩國下へ鰯が來はしないかな。」と、愚にもつかないが、事實そんな事を思つた。
あの、磐梯山が噴火して、一部の山廓をそのまゝ湖の底にした。……その前日、おなじ山の温泉の背戸に、物干棹に掛けた浴衣の、日盛にひつそりとして垂れたのが、しみ入る蝉の聲ばかり、微風もないのに、裙を飜して、上下にスツ/\と煽つたのを、生命の助かつたものが見たと言ふ。――はもの凄い。
恁うした事は、聞けば幾らもあらうと思ふ。さきの思出、のちのたよりに成るべきである。
處で、私たちの町の中央を挾んで、大銀杏が一樹と、それから、ぽぷらの大木が一幹ある。見た處、丈も、枝のかこみもおなじくらゐで、はじめは對の銀杏かと思つた。――此のぽぷらは、七八年前の、あの凄じい暴風雨の時、われ/\を驚かした。夜があけると忽ち見えなく成つた。が、屋根の上を消えたので、實は幹の半ばから折れたのであつた。のびるのが早い。今では再び、もとの通り梢も高し、茂つて居る。其の暴風雨の前、二三年引續いて、兩方の樹へ無數の椋鳥が群れて來た。塒に枝を爭つて、揉拔れて、一羽バタリと落ちて目を眩したのを、水をのませていきかへらせて、そして放した人があつたのを覺えて居る。
見事に群れて來た。
以前、何かに私が、「田舍から、はじめて新橋へ着いた椋鳥が一羽。」とか書いたのを、紅葉先生が見て笑ひなすつた事がある。「違ふよ、お前、椋鳥と言ふのは群れて來るからなんだよ。一羽ぢやいけない。」成程むれて來るものだと思つた。
暴風雨の年から、ばつたり來なく成つた。それが、今年、しかもあの大地震の前の日の暮方に、空を波のやうに群れて渡りついた。ぽぷらの樹に、どつと留まると、それからの喧噪と言ふものは、――チチツ、チチツと百羽二百羽一度に聲を立て、バツと梢へ飛上ると、また颯と枝につく。揉むわ搖るわ。漸つと梢が靜まつたと思ふと、チチツ、チチツと鳴き立てて又パツと枝を飛上る。曉方まで止む間がなかつた。
今年は非常な暑さだつた。また東京らしくない、しめり氣を帶びた可厭な蒸暑さで、息苦しくして、寢られぬ晩が幾夜も續いた。おなじく其の夜も暑かつた。一時頃まで、皆戸外へ出て涼んで居て、何と言ふ騷ぎ方だらう、何故あゝだらう、烏や梟に驚かされるたつて、のべつに騷ぐ譯はない。塒が足りない喧嘩なら、銀杏の方へ、いくらか分れたら可ささうなものだ。――然うだ、ぽぷらの樹ばかりで騷ぐ。……銀杏は星空に森然として居た。
これは、大袈裟でない、誰も知つて居る。寢られないほど、ひつきりなしに、けたゝましく鳴立てたのである。
朝はひつそりした。が、今度は人間の方が聲を揚げた。「やあ、荒もの屋の婆さん。……何うでえ、昨夜の、あの椋鳥の畜生の騷ぎ方は――ぎやあ/\、きい/\、ばた/\、ざツ/\、騷々しくつて、騷々しくつて。……俺等晝間疲れて居るのに、からつきし寢られやしねえ。もの干棹の長い奴を持出して、掻して、引拂かうと思つても、二本繼いでも屆くもんぢやねえぢやあねえか。樹が高くつてよ。なあ婆さん、椋鳥の畜生、ひどい目に逢はしやがるぢやあねえか。」と大聲で喚いて居るのがよく聞えた。まだ、私たち朝飯の前であつた。
此が納まると、一時たゝきつけて、樹も屋根も掻みだすやうな風雨に成つた。驟雨だから、東京中には降らぬ處もあつたらしい。息を吐くやうに、一度止んで、しばらくぴつたと靜まつたと思ふと、絲を搖つたやうに幽に來たのが、忽ち、あの大地震であつた。
「前兆だつたぜ――俺あ確に前兆だつたと思ふんだがね。あの前の晩から曉方までの椋鳥の騷ぎやうと言つたら、なあ、婆さん。……ぎやあ/\ぎやあ/\夜一夜だ。――お前さん。……なあ、婆さん、荒もの屋の婆さん、なあ、婆さん。」
氣の毒らしい。……一々、そのぽぷらに間近く平屋のある、荒もの屋の婆さんを、辻の番小屋から呼び出すのは。――こゝで分つた――植木屋の親方だ。へゞれけに醉拂つて、向顱卷で、鍬の拔けた柄の奴を、夜警の得ものに突張りながら、
「なあ、婆さん。――荒もの屋の婆さんが、知つてるんだ。椋鳥の畜生、もの干棹で引掻き《まは》いてくれようと、幾度飛出したか分らねえ。樹が高えから屆かねえぢやありませんかい。然うだらう、然うだとも。――なあ、婆さん、荒もの屋の婆さん、なあ、婆さん。」
ふり《まは》す鍬の柄をよけながら、いや、お婆さんばかりぢやありません、皆が知つてるよ、と言つても醉つてるから承知をしない。「なあ、婆さん、椋鳥のあの騷ぎ方は。」――と毎晩のやうに怒鳴つたものである。
……話が騷々しい。……些と靜にしよう。それでなくてさへのぼせて不可い。あゝ、しかし陰氣に成ると氣が滅入る。