孤島の鬼

30話 影武者

2,851字 約6分 2020年10月21日 公開

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 その翌日とうとう恐ろしい破滅が来た。

 お昼過ぎ、私が独で唖の女中の御給仕で(これが秀ちゃんの日記にあったおとしさんだ)御飯をすませても、諸戸が父親の部屋から帰って来ぬので、独で考えていても気が滅入るばかりだものだから、食後の散歩旁々(かたがた)、私は又しても土蔵の裏手へ秀ちゃんと目の話をしに出掛けた。

 窓を見上げて暫く立っていても、秀ちゃんも吉ちゃんも顔を見せぬので、私はいつもの合図の口笛を吹いた。すると、黒い窓の鉄格子の所へ、ヒョイと一つの顔が現われたが、私はそれを見て、ハッとして、自分の頭がどうかしたのではないかと疑った。何ぜと云って、そこに現われた顔は、秀ちゃんのでも吉ちゃんのでもなくて、父親の部屋にいるとばかり思っていた、諸戸道雄の引き(ゆが)んだ顔であったからだ。

 何度見直しても、私の幻ではなかった。まぎれもない道雄が、双生児の(おり)に同居しているのだ。それが分った刹那、私は思わず大声に叫び相になったのを、素早く諸戸が口に指を当てて注意してくれたので、やっと食い止めることが出来た。

 私の驚き顔を見て、諸戸は狭い窓の中から、しきりと手真似で何か話すのだが、秀ちゃんの微妙な目とは違って、それに話す事柄が複雑過ぎるものだから、どうも意味が取れぬ。諸戸はもどかしがって、一寸待てという合図をして首を引込めたが、やがて、丸めた紙切れを私の方へ投げてよこした。

 拾い上げて拡げて見ると、多分秀ちゃんのを借りたのであろう、鉛筆の走り書きで、次の様に(したた)めてあった。

 少しの油断から丈五郎の奸計(かんけい)に陥り、双生児と同じ監禁の身の上となった。非常に厳重な見張りだから、到底急に逃げ出す見込みはない。だが、僕よりも心配なのは君だ。君は他人だから一層危険だ。早くこの島から逃げ出し給え。僕はもう(あきら)めた、凡てを諦めた。探偵も、復讐も、僕自身の人生も。

 君との約束にそむくのを責めないでくれ給え、最初の意気込みに似ず気の弱い僕を笑わないでくれ給え。僕は丈五郎の子なのだ。

 懐かしい君とも、永遠におさらばだ。諸戸道雄を忘れてくれ給え。岩屋島を忘れてくれ給え。そして、無理な願いだけれど、初代さんの復讐などということも。

 本土に渡っても警察に告げる事丈けは止して下さい。長年の交誼(こうぎ)にかけて、僕の最後の御頼みだ。

 読終って顔を上げると、諸戸は涙ぐんだ目で、じっと私を見おろしていた。悪魔の父は、遂にその子を監禁したのだ。私は道雄の豹変(ひょうへん)を責めるよりも、丈五郎の暴虐を恨むよりも、形容の出来ない悲愁に打たれて、胸の中が空虚(うつろ)になった感じだった。

 諸戸は親子という苟且(かりそめ)(きずな)に、幾度心を乱したことであろう。遥々(はるばる)この岩屋島を訪れたのも、深く思えば、私の為でもなく、初代の復讐などの為では無論なく、その実は、親子という絆のさせた業であったかも知れないのだ。そして、最後の土壇場になって、彼は遂に負けた。異様なる父と子の戦いは、かくして終局をつげたのであろうか。

 長い長い間、土蔵の窓の諸戸と目を見交していたが、とうとう彼の方から、もう行けという合図をしたので、私は別段の考えもなく、殆ど機械的に諸戸屋敷の門の方へ歩いて行った。立去る時、諸戸の青ざめた顔のうしろの薄暗い中に、秀ちゃんの怪訝(けげん)な顔がじっと私を見つめているのに気づいた。それが一層私を果敢(はか)ない気持にした。

 だが、私は無論帰る気になれなんだ。道雄を救わねばならぬ。秀ちゃんを助け出さねばならぬ。仮令道雄が如何(いか)に反対しようとも、私は初代の敵を見捨ててこの島を立去ることは出来ぬ。そして、あわよくば、なき初代の為に、彼女の財宝を発見してやらねばならぬ。(不思議なことに、私は何の矛盾をも感じないで、初代と秀ちゃんとを、同時に思うことが出来た)諸戸の頼みがなくても、警察の力を借りるのは最後の場合だ。私はこの島に踏み止まって、もっと深く探って見よう。滅入(めい)っている諸戸を力づけて、正義の味方にしよう。そして、彼の優れた智恵を借りて、悪魔と戦おう。私は諸戸屋敷の自分の居間に帰るまでに、雄々(おお)しくもこの様に心を()めた。

 部屋に帰って暫くすると、久しぶりで傴僂の丈五郎が醜い姿を現わした。彼は私の部屋に這入ると、立ちはだかったまま、

「お前さんは、直ぐに帰る支度をなさるがいい、もう一時でもここの家には、いや、この岩屋島には置いておけぬ。サア、支度をなさるがいい」

 と呶鳴った。

「帰れとおっしゃれば帰りますが、道雄さんはどこにいるのです。道雄さんも一緒でなければ」

「息子は都合があって逢わせる訳には行かぬ。が、あれも無論承知の上じゃ。サア、用意をするのだ」

 争っても無駄だと思ったので、私は一先ず諸戸屋敷を引上げることにした。無論この島を立去る積りはない。島のどこかに隠れていて、道雄なり秀ちゃんなりを、救出(すくいだ)す手だてを講じなければならぬ。

 だが、困ったことには、丈五郎の方でも抜目なく、一人の屈強な下男をつけて、私の行先を見届けさせた。

 下男は私の荷物を持って先に立って歩いて行った。先日私に話しかけた不思議な老人の小屋の所へ来ると、いきなりそこへ這入って行って、声をかけた。

(とく)さん。おるかな。諸戸の旦那の云いつけだ。舟を出しておくれ。この人をKまで渡すのや」

「この客人が一人で帰るのかな」

 老人はやっぱり、此間(このあいだ)の窓から半身を出して、私の顔をジロジロ眺めながら、答えた。

 そこで結局、下男は私を、その徳さんと云う老人に預けて帰ってしまったのだが、丈五郎が、謂わば彼の裏切者であるこの老人に私を(たく)したのは、意外でもあり、薄気味悪くもあった。

 とは云え、この老人が選ばれたことは、私にとって非常な好都合である。私は大略(たいりゃく)(こと)仔細(しさい)を打あけて、老人の助力を乞うた。どうしても今暫く、この島に踏止(ふみとど)まっていたいと云い張った。

 老人は、先日と同じ筆法で、私の計画の無謀なことを説いたが、私があくまでも自説をまげぬので、遂に我を折って、私の乞いを容れてくれたばかりか、丈五郎をたばかる一つの名案をさえ持出した。

 その名案というのは。

 疑深い丈五郎のことだから、私がこのまま島に留まったのでは、承知する筈もなく、引いては私を預った老人が恨みを買うことになるから、兎も角一度本土まで舟を渡して見せなければならぬ。

 それも、徳さんが一人で舟を漕いで行ったのでは、何の利目(ききめ)もないのだが、(さいわい)、徳さんの息子が私と年齢も、背恰好も似寄りだから、その息子に私の洋服を着せ、遠目には私に見える様に仕立てて、本土へ渡すことにしよう。私は息子の着物を着て徳さんの小屋に隠れていればよいというのであった。

「お前さんの用事が済むまで、息子にはお伊勢(いせ)参りでもさせてやりましょうわい」

 徳さんは、そんなことを云って笑った。

 夕方頃徳さんの息子は私の洋服を着込んで、そり身になって徳さんの持舟に乗り込んだ。

 私の影武者を乗せた小舟は、徳さんを漕ぎ手にして、行手にどの様な恐ろしい運命が待構えているかも知らず、夕闇迫る海面を、島の切岸に沿って進んで行った。

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