37話 八幡の藪知らず
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兎も角横穴へ這入って、宝が已に持出されたかどうかを確かめて見る外はなかった。私達は一度諸戸屋敷に帰って、横穴探険に必要な品々を取揃えた。数挺の蝋燭、マッチ、漁業用の大ナイフ、長い麻縄(網に使用する細い麻縄を、出来るだけつなぎ合わせて、玉を拵えた)等の品々である。
「あの横穴は存外深いかも知れない。『六道の辻』なんて形容してある所を見ると、深いばかりでなく、枝道があって、八幡の藪不知みたいになっているのかも知れない。ホラ『即興詩人』にローマのカタコンバへ這入る所があるだろう。僕はあれから思いついて、この麻縄を用意したんだ。フェデリゴという画工の真似なんだよ」
諸戸は大げさな用意を弁解する様に云った。
私はその後「即興詩人」を読み返して、彼の隧道の条に至る毎に、当時を回想し、戦慄を新たにしないではいられぬのだ。
「深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その様の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心に何ともおもはず。画工はまた予め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ点し、一つをば猶衣のかくしの中に貯へおき、一巻の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり……」
画工と少年とは、斯様にして地下の迷路に踏み入ったのであるが、私達も丁度その様であった。
私達はさっきの太い縄にすがって次々と井戸の底に降り立った。水はやっと踝を隠す程しかなかったけれど、その冷さは氷の様である。横穴は、そうして立った私達の、腰の辺に開いているのだ。
諸戸はフェデリゴの真似をして、先ず一本の蝋燭をともし、麻縄の玉の端を、横穴の入口の石畳の一つに、しっかりと結びつけた。そして、縄の玉を少しずつほぐしながら、進んで行くのだ。
諸戸が先に立って、蝋燭を振りかざして、這って行くと、私が縄の玉を持って、そのあとに続いた、二匹の熊の様に。
「やっぱり、仲々深そうだよ」
「息がつまる様ですね」
私達はソロソロと這いながら、小声で話し合った。
五六間行くと穴が少し広くなって、腰をかがめて歩ける位になったが、すると間もなく、洞穴の横腹に又別の洞穴が口を開いている所に来た。
「枝道だ。案の定八幡の藪不知だよ。だが、しるべの縄を握ってさえいれば、道に迷うことはない。先ず本通りの方へ進んで行こうよ」
諸戸はそう云って、横穴に構わず、歩いて行ったが、二間も行くと、又別の穴が真黒な口を開いていた。蝋燭をさし入れて覗いて見ると、横穴の方が広そうなので、諸戸はその方へ曲って行った。
道はのたうち廻る蛇の様に、曲りくねっていた。左右に曲る丈けではなくて、上下にも、或時は下り、或時は上った。低い部分には、浅い沼の様に水の溜っている所もあった。
横穴や枝道は覚え切れない程あった。それに人間の造った坑道などとは違って、這っても通れない程狭い部分もあれば、岩の割目の様に縦に細長く裂けた部分もあり、そうかと思うと、突然非常に大きな広間の様な所へ出た。その広間には、五つも六つもの洞穴が、四方から集って来て、複雑極まる迷路を作っている。
「驚いたね。蜘蛛手の様に拡がっている。こんなに大がかりだとは思わなかった。この調子だと、この洞穴は島中端から端まで続いているのかも知れないよ」
諸戸はうんざりした調子で云った。
「もう麻縄が残少なですよ。これが尽きるまでに行止まりへ出るでしょうか」
「駄目かも知れない。仕方がないから、縄が尽きたらもう一度引返して、もっと長いのを持って来るんだね。だが、その縄を離さない様にし給えよ。大切の道しるべをなくしたら、僕等はこの地の底で迷子になってしまうからね」
諸戸の顔は赤黒く光って見えた。それに、蝋燭の火が顎の下にあるものだから、顔の陰影が逆になって、頬と目の上に、見馴れぬ影が出来、何だか別人の感じがした。物云う度に、黒い穴の様な口が、異様に大きく開いた。
蝋燭の弱い光はやっと一間四方を明るくする丈けで、岩の色も定かには分らなんだが、真白な天井が気味悪くでこぼこになって、その突出した部分から、ポタリポタリと雫が垂れている様な箇所もあった。一種の鍾乳洞である。
やがて道は下り坂になった。気味の悪い程、いつまでも下へ下へと降りて行った。
私の目の前に、諸戸の真黒な姿が、左右に揺れながら進んで行った。左右に揺れる度に彼の手にした蝋燭の焔がチロチロと隠顕した。ボンヤリと赤黒く見えるでこぼこの岩肌が、あとへあとへと、頭の上を通り越して行く様に見えた。
暫くすると、進むに従って、上も横も、岩肌が段々眼界から遠ざかって行く様に見えた。地底の広間の一つにぶっつかったのである。ふと気がつくと、その時、私の手の縄の玉は殆どなくなっていた。
「アッ、縄がない」
私は思わず口走った。そんなに大きな声を出したのではなかったのに、ガーンと耳に響いて、大きな音がした。そして、直ぐ様、どこか向うの方から、小さな声で、
「アッ、縄がない」
と答えるものがあった。地の底の谺である。
諸戸はその声に、驚いてうしろをふり返って、「エ、なに」と私の方へ蝋燭をさしつけた。
焔がユラユラと揺れて、彼の全身が明るくなった。その途端、「アッ」という叫声がしたかと思うと、諸戸の身体が、突然私の眼界から消えてしまった。蝋燭の光も同時に見えなくなった。そして、遠くの方から、「アッ、アッ、アッ……」と諸戸の叫声が段々小さく、幾つも重なり合って聞えて来た。
「道雄さん、道雄さん」
私は慌てて諸戸の名を呼んだ。
「道雄さん、道雄さん、道雄さん、道雄さん」と谺が馬鹿にして答えた。
私は非常な恐怖に襲われ、手さぐりで諸戸のあとを追ったが、ハッと思う間に、足をふみはずして、前へのめった。
「痛い」
私の身体の下で、諸戸が叫んだ。
なんのことだ。そこは、突然二尺ばかり地面が低くなっていて、私達は折重なって、倒れたのである。諸戸は転落した拍子に、ひどく肘をうって、急に返事をすることが出来なかったのだ。
「ひどい目にあったね」
闇の中で諸戸が云った。そして、起上る様子であったが、やがて、シュッという音がしたかと思うと、諸戸の姿が闇に浮いた。
「怪我しなかった?」
「大丈夫です」
諸戸は蝋燭に火を点じて、又歩き出した。私も彼のあとに続いた。
だが、一二間進んだ時、私はふと立止ってしまった。右手に何も持っていないことに気づいたからだ。
「道雄さん、一寸蝋燭を貸して下さい」
私は胸がドキドキして来るのを、じっと堪えて、諸戸を呼んだ。
「どうしたの」
諸戸が、不審そうに、蝋燭をさしつけたので、私はいきなりそれを取って、地面を照らしながら、あちこちと歩き廻った。そして、
「何でもないんですよ。何でもないんですよ」
と云い続けた。
だがいくら探しても、薄暗い蝋燭の光では、細い麻縄を発見することが出来なかった。
私は広い洞窟を、未練らしくどこまでも、探して行った。
諸戸は気がついたのか、いきなり走り寄って、私の腕を掴むと、ただならぬ調子で叫んだ。
「縄を見失ったの?」
「エエ」
私はみじめな声で答えた。
「大変だ。あれをなくしたら、僕達はひょっとすると、一生涯この地の底で、どうどうめぐりをしなければならないかも知れぬよ」
私達は段々慌て出しながら、一生懸命探し廻った。
地面の段になっている所で転んだのだから、そこを探せばよいというので、蝋燭で地面を見て歩くのだが、段々になった箇所は、方々にあるし、その洞窟に口を開いている狭い横穴も一つや二つではないので、つい、どれが今来た道だか分らなくなってしまって、探し物をしている内にも、何時路をふみ迷うか知れない様な有様なので、探せば探す程、心細くなるばかりであった。
後日、私は「即興詩人」の主人公も、同じ経験を嘗めたことを思い出した。鴎外の名訳が、少年の恐怖をまざまざと描き出している。
「この時われ等が周囲には寂として何の声も聞えず、唯ゞ忽ち断へ忽ち続く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。……ふと心づきて画工の方を見やれば、あな訝かし、画工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。……その気色たゞならず覚えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。……われは画工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなしとむつかりたり。画工は、そちは善き子なり、画きてや遣らむ、果子をや与へむ、こゝに銭もあり、といひつゝ衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる銭をば、ことごとく我に与へき。我はこれを受くる時、画工の手の氷の如く冷になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。……さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり。そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ」
即興詩人達は、間もなく糸の端を発見して、無事にカタコンバを立出でることが出来たのである。だが、同じ幸運が私達にも恵まれたであろうか。