本文へ移動

ノベリズ

書いて、読む

作品 新着 人気 タグ 作家 青空文庫 探す 棚 書く

木枯

前田 夕暮 全2話 1,316字 2025年4月20日

この画面をそのまま印刷(または PDF として保存)できます。 作品のページへ戻る

1. 夜

 私の追憶のなかで木枯の音がきこえる。木枯の凄まじい音にまじつて、とぎれとぎれに呼ぶ人の声がきこえる。

 どうつといふ海嘯のやうな、天も地も吹きとばしさうな風の音が、裏山の方から捲きかへして寄せてくる。と、青竹の数百本、数千本が一時に殺到して、私の寝てゐる上の屋根に掩ひかぶさるやうになつて、大擾乱(じようらん)の騒音に、何も彼も引きさらつて行く。

「おおい……。」

「おおい……。」

「おおい……。」

 といふ人のかぼそい声が幽かに、風の底でかすれてきこえる。それは向う山のやうでもあり、裏山のやうでもあり、田圃中のやうにもきこえる。風に吹きとばされる寂しい幽かな人声は、私の追憶のなかで、いかにも哀れに絶え絶えときこえる。

 あたりは一面のうす墨を流して、雑木山の裸の尖つた梢が、うす明るい空に、疎らに黒く見える。そして、その梢でさへが、北から南の方へ揺れなびいてゐる。その雑木山のつづきには大きな一かたまりの針葉樹林が、ただ黒く、ただに暗く、空の下に凍つた夜の胞衣のやうにかたまつてゐる。

 私の追憶のなかの人声は、はうはうとしてその黒い胞衣の森からくる。

2. 昼

 日のあたつた往還が水をかけられたやうに、さつとうす暗くなつたと思ふと、忽ち眼がさめたやうに明るくなる。木の葉が光つてとぶ。日光のなかを縞目をなしてとぶ。太陽の破片がとぶ。空が皺んで、その皺んだ空の一部が吹き捲られて、さつと地に落ちる。

 私は往還の方へ門(かど)の小坂を駈けおりてみる。

 黒い頭巾を被(かぶ)つた老婆が二人対き合つて立話をしてゐる。

「えらい風だな。もし。」

「ほんとにどえらえ風だ。」

「お前さんとこの隣の源坊は神かくしに逢つたちふ話だが、ほんとかな。」

「ほんとでなくつてどうするべい、えらえ事になつたもんだ、昨日の朝裏山に薪(もしき)をとりに行つてな……。」

「あのえらえ木枯にな。」

「さうだよ、あのえらえ風の日、源坊一人で燃し木を採りに行つたきり帰つて来ねえのでの、昼になつても、夕方になつても、影も見せねえでの。」

「それで、親達は騒ぎ出したんだな、無理はねえさな、親達の身になつてみれば、源坊は一人子だものな。」

「それで、昨夜(ゆうべ)は村から村へ、山から山へ提灯を十張(はり)も十五張(はり)もつけてな、太鼓を敲いたり、鉦を敲いたりして、村の衆が二三十人も出てからな、夜徹し大騒ぎして探したんだがな。今朝になつても到頭わからねえつて、一先づ村の衆は引上げて来たのさ。」

「親達はさぞ歎かつしやるだらうのう。」

「それは気狂のやうなものさな。」

「早く見附かればええがな。」

「とてもさ、神匿に逢つちや二日や三日ぢや帰りつこはないでな。」

「そのうちに、親達が諦めた時分に、髪の毛をほうけさせて、着物も何もかぎ裂きにでもして、ぼうつとなつて帰つて来ないものでもないでな。」

「どんなもんだかな、ほんとに可哀相なことをしたものだの。」

「ほんとにこんなえらい木枯の吹く日は天日(てんぴ)も薄れるつていふからな。どんな魔がささねえものでもねえだよ。」

「さうとも、さうとも、子供はこんな日に外にゐるもんぢやないでな。早く家に這入つてゐな。」と私の方を視て、独語のやうに言つた老婆の顔は、乾いた畑の土の色をしてゐた。

 私は急に怖しくなつて、わつと言つて家へ駈込んだ。

木枯 — 前田 夕暮 — https://noveliz.cc/n/xfpvrzjke3

ノベリズ

作品の一覧 新しい話 よく読まれている 5分で読める 教科書で読んだ作品 タグから探す 書き手の一覧 青空文庫を読む 更新のフィード 書く人へ このサイトについて 決まりごと 扱うものについて 運営への連絡

書いて、読む。読みやすさを最優先に作っています。