10話 古事記 上つ卷 序并はせたり 〔八俣の大蛇〕
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かれ避追えて、出雲の國の肥の河上、名は鳥髮といふ地一に降りましき。この時に、箸その河ゆ流れ下りき。ここに須佐の男の命、その河上に人ありとおもほして、求ぎ上り往でまししかば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣く。ここに「汝たちは誰そ」と問ひたまひき。かれその老夫、答へて言さく「僕は國つ神大山津見の神の子なり。僕が名は足名椎といひ妻が名は手名椎といひ、女が名は櫛名田比賣二といふ」とまをしき。また「汝の哭く故は何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八稚女ありき。ここに高志の八俣の大蛇三、年ごとに來て喫ふ。今その來べき時なれば泣く」とまをしき。ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば、「そが目は赤かがち四の如くにして身一つに八つの頭八つの尾あり。またその身に蘿また檜榲生ひ、その長谷八谷峽八尾を度り五て、その腹を見れば、悉に常に血垂り六爛れたり」とまをしき。ここに赤かがちと云へるは、今の酸醤なり。ここに速須佐の男の命、その老夫に詔りたまはく、「これ汝が女ならば、吾に奉らむや」と詔りたまひしかば、「恐けれど御名を知らず」と答へまをしき。ここに答へて詔りたまはく、「吾は天照らす大御神の弟なり。かれ今天より降りましつ」とのりたまひき。ここに足名椎手名椎の神、「然まさば恐し、奉らむ」とまをしき。
ここに速須佐の男の命、その童女を湯津爪櫛に取らして、御髻に刺さして七、その足名椎、手名椎の神に告りたまはく、「汝等、八鹽折の酒を釀み八、また垣を作り《もとほ》し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの假を結ひ九、その假ごとに酒船一〇を置きて、船ごとにその八鹽折の酒を盛りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく設け備へて待つ時に、その八俣の大蛇、信に言ひしがごと來つ。すなはち船ごとに己が頭を乘り入れてその酒を飮みき。ここに飮み醉ひて留まり伏し寢たり。ここに速須佐の男の命、その御佩の十拳の劒を拔きて、その蛇を切り散りたまひしかば、肥の河血に變りて流れき。かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃毀けき。ここに怪しと思ほして、御刀の前もちて刺し割きて見そなはししかば、都牟羽の大刀一一あり。かれこの大刀を取らして、異しき物ぞと思ほして、天照らす大御神に白し上げたまひき。こは草薙の大刀一二なり。
かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき地を出雲の國に求ぎたまひき。ここに須賀一三の地に到りまして詔りたまはく、「吾此地に來て、我が御心清淨し」と詔りたまひて、其地に宮作りてましましき。かれ其地をば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らしし時に、其地より雲立ち騰りき。ここに御歌よみしたまひき。その歌、
や雲立つ 出雲八重垣。
妻隱みに 八重垣作る。
その八重垣を一四。 (歌謠番號一)
ここにその足名椎の神を喚して告りたまはく、「汝をば我が宮の首に任けむ」と告りたまひ、また名を稻田の宮主須賀の八耳の神と負せたまひき。
一 島根縣仁多郡、斐伊川の上流船通山。
二 日本書紀に奇稻田姫とある。
三 強暴な者の譬喩。また出水としそれを處理して水田を得た意の神話ともする。コシは、島根縣内の地名説もあるが、北越地方の義とすべきである。
四 タンバホオズキ。
五 身長が、谷八つ、高み八つを越える。
六 血がしたたつて。
七 女が魂をこめた櫛を男のミヅラにさす。これは婚姻の風習で、その神祕な表現。
八 濃い酒を作つて。
九 サズキは物をのせる臺。古代は綱で材木を結んで作るから、結うという。
一〇 酒の入物。フネは箱状のもの。
一一 ツムハは語義不明。都牟刈とする傳えもある。
一二 後にヤマトタケルの命が野の草を薙いで火難を免れたから、クサナギの劒という。もと叢雲の劒という。三種の神器の一。
一三 島根縣大原郡。
一四 や雲立つは枕詞。多くの雲の立つ意。八重垣は、幾重もの壁や垣の意で宮殿をいう。最後のヲは、間投の助詞。