深夜の客

3話 義賊の訪問

1,775字 約4分 2013年2月6日 公開

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 有松は死を予知していたか、あるいは何事か危険の身に迫るのを感じて、洋子へ電話をかけたものではなかったろうか、もう一汽車早く乗れば、その危険から逃がれ得たかも分らないのに、と彼女は残念に思った。

 終列車に乗り込んだ洋子は疲れきっていたが、妙に眼が冴えて、居眠りする気にもなれなかった。

 帰宅すると客が応接室に待っていた、彼女は用談をすませ、玄関へ送り出したのは、もうかれこれ一時近かった。

 あと片づけに来た女中には早く休むように云って、自分はたったひとり応接室に居残った。邪魔される事なしに、静かに独りで考えたかったからだ。

 美和子の運命、それは余りにも(むごたら)しいものであった、彼女は胸が痛くなるような気持ちがした。――実父は母を殺して牢死し、いままた養父は非業の最後をとげている、稀れにみる美貌の孤児の背景はあたかも血をもって描かれたものであった。

 夜は次第に更けてゆく。

 洋子は身動きもしないで物思いに沈んでいた。瓦斯(ガス)ストーヴの火が青く見える。

 すると、庭を誰やら忍び歩いているような音がした。この夜更けに! と思い、窓を開けて外を眺めたが何も見えない、植込の闇は深く、ひっそりとしている。

 彼女は窓を閉め、ストーヴの側に椅子をすすめたが、また微かな音を聞いた、と、思うと、今度は歯の浮くような響がした。

 振り向いてみると、窓に人影が映っている、ハッとしている間に硝子(ガラス)を切り、窓のかけ金を外して、覆面の男がひらりと部屋の中へ入って来た。

 洋子は()ち上り、ベルを押そうとすると男はその手を押えて、

「人をよばないで下さい。どうぞ騒がないで――私はお宅へ泥棒に来たのではありません。先生にお目にかかりたくって参ったのですから――」

「それなら、何故、玄関から案内を乞うておいでにならないのですか?」

「表玄関から――、上られる身ではございませんので――」

 応接室の硝子窓を破って闖入するほどの兇漢にも似ず、その声は柔らかくいかにも優しい、しかもどうやら聞き覚えがあるようにさえ思われるのだった。

 男はやがてテーブルの上に短刀を置いた。洋子はそれをちらりと横眼で見た。彼はポケットを探り、ダイヤ入の指輪と釘二三本とを同じくテーブルの上に載せて、無言でポケットをたたいて見せた。もはや身に寸鉄も帯びていないという事を示す積りらしかった。

 深夜、危険を冒して入って来た位だから、並々ならぬ用事があるに違いないと思ったので、洋子は椅子の一つを指差して、

「どうぞ、お掛け下さい」と云ってから、改めて、

「一体、あなたはどなたなんですか?」と詰問するように云った。

 男は覆面を()った。彼女はびっくりした、その顔には見覚えがある。沼津の松並木で擦れ違った時、運転手と並んで腰かけていた貴公子風の男だった。恐らく汽車を飛び降りた影の一つも同人に違いない。聞き覚えのある声だと思ったのも道理だ。(すで)に彼女は通路で話していた彼の声を聞いていたのだから。

 彼女の驚いている顔を見ながら、落付き払って、

「私は脱獄囚尾越千造でございます」と名乗った。洋子は二度びっくりした。

「お驚きになりましたか?」

 ちょっと返事が出来なかった。

 覆面を脱いだ男は色白の女のような美しい顔をしていた。これがもし玄関から一人の訪客としてやって来たのだったら、義賊尾越千造だと名乗られても、恐らく信じられなかったであろう。それほど態度にも容貌にも兇悪のかげはみじんも見えなかった、反って人の好さそうな貴公子にさえ見えるのだった。

「先生、どうか、少時私の申上げることに、お耳をお貸し下さい」

 洋子は無論その願いを拒むわけにはゆかなかった。こんな優しい顔はしているが、彼女がもし先方の乞いを退けたら、どんな態度に出るか分らなかった。

「承わりましょう。が――、夜も更けていますから、どうぞお早くお話し下さい」

 尾越は嬉しそうに、小腰を屈め、

「そう仰しゃって下さるだろうと思って居りました。やはり、私の眼は過まらなかった!」と呟いた。やや沈黙の後、

「今度私が脱獄した理由、それは決して自分自身のためにやったのではないのです。あの男のため、いや、ある男の頼みを果してやるためだったのです。先生、私はあなたの前に偽りのない事実をお話しいたします、それをお聞きの上、是非先生もお力をお貸し下さいますように、お願いいたします」

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