深夜の客

5話 レコード

2,861字 約6分 2013年2月6日 公開

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「譲治は段々気が落ちついて来ると、余りにも恐しい罪に(おのの)きました。咄嗟の間に人間を二人も殺し、しかも、一人は命にも代え難い愛妻なのです。親友はあのごたごたの始まる前に逃げ帰ったと見えて、警官が来た頃には姿は見えませんでした。血の海の中に彼は一人ぽかんと、失神したように短刀を握っていたのです」

「短刀を渡したのはその親友ではなかったのですか?」

「あるいは?――と考えないではなかったのですが、短刀は自分のものだし、何の証拠もないことだし、――どうすることも出来ませんでした。それに、その後の親友は実に至れりつくせりの親切ぶりを示してくれましたので――。弁護士を頼むことから、減刑運動から、女の子を手許に引取って立派な令嬢に仕上げてやるという約束までしてくれました。兄弟だって、これほどまでにつくしてはくれまいと思うほどだったのです。譲治は涙を流して感謝し、一時にもせよ、彼を疑ったことを後悔し、全財産の監理から、女の子の将来まで一任したそうです」

「よほど、善良な方なんですわねえ」

「ですが、段々日を()るに従って、彼の頭にいろいろな疑いが起りました。やたらむしょうに突いたが、肉体を突刺したような手応えは一度もなかった。それだのに、冬子は背中から肺臓を突貫かれ、仙ちゃんは心臓を突かれている。どうもそれが分らないのでした。記憶が次第に整って来るにつれ、妻が死際に、あなた武さんを押えてよ、と、云った言葉も、また刺そうとしているのが夫だったとしたら、その夫へ救いを求めていたのも変です。暗闇に紛れて、何者かがやったのではないか、と考え始めるようになりました。その何者とは一体誰でしょう? その場に居合せたとしたら、それは親友一人しかありません、しかし、その人は何一つ証拠を残していないばかりか、警官が飛んで来た時には、もう現場にいなかったのですから――」

「誰が警察へ知らせに行ったのです?」

「公衆電話だったそうです。無論誰だか分りませんでした。――で、譲治も一時はもしかしたら? と疑ってみたのですが、仮りに親友が殺したにしても、その後の仕打ちが余りにも親切なので、恨む気にもなれなかった。どんな事であろうと、罪は一人で背負おうと決心したそうです。が、また冷静に考えると馬鹿々々しくなって、自分に覚えがないのだから、これは飽くまで争わなければならない、という気も起るのです。そこで、なおよく記憶を辿ってみると嘗て妻の母が、冬子を譲治が知る以前に、親友が彼女へ求婚したことがあったと話したこと、親友が余りにも仙ちゃんに敵意を持っていたこと、妻がひどく彼を嫌って避けていたこと、等を思い合せてみた時、彼は思わずハッとして唇を噛みました」

「譲治さんは始めて、親友の奸計にまんまとのったことを、お知りになったのですね?」

「そうです。愛する妻は殺され、自分は罪なくして死刑に処せられる、しかもその敵のような男に、恩人から譲られた財産まで自由にする権利を与えてしまったのか、と思うと彼の憤りは極点に達しました。それから間もなく発狂して、自殺したのです」

「親友はどうしました?」

「譲治の金で相場をやり、今は大金持ちになっています」

「女の子は?」

「その事なのです。女の子が成人した暁、必ず譲治を恨むに違いない。恨まれるのは仕方がないけれど、彼女が世間へ対して、どんなにか肩身狭く暮らす事だろう、と思うと堪まらない。どうぞ真犯人を見出して、娘のために父が無罪であったことの証明(あかし)を立てて頂きたい、という譲治の切なる願いを果してやりたくて、実はお願いに上ったのでございます」洋子は当惑した。

「しかし、証拠は何一つないのでしょう?」

「証拠はレコードに残っています」

「そのレコードは――、もうないのでしょう?」

「それが不思議な事で私の手に入ったのです。それで急に彼の約束を果す日が来たと思い、脱獄したわけなんです。――私の仲間がある屋敷に強盗に入り、偶然盗んだ着物の間から一枚のレコードが出た、家へ帰ってかけてみたら(とて)も物凄かったので、毀すのも薄気味が悪いから、納める積りでお寺の縁の下へかくしておいた、という話を聞いたのです」

「強盗に入った屋敷というのはどこです?」

「沼津の有松武雄の家なんです」

「それでは――」尾越はにっこりして、

「有松を殺害したのは私です。実はこの前脱獄した時、彼を訪問して譲治の話をしてやりました。有松は両人を殺害したのは自分だと白状しましたから、潔く自首しろと薦めました。彼も必ず自首すると誓ったにかかわらず今日まで実行しませんでした。多分、私が間もなく捕えられて刑務所へ入ったと聞いて、安心してしまったのでしょう。ところが今度の脱獄をニュースで知ってから、すっかり脅えてしまい、私を捕えるようにお願いする積りで、先生へ長距離電話なんかかけたのでしょう」

「汽車を飛び降りた二つの影は?」

「一つは私で、一つは仲間の奴、そのレコードを盗んだ男です」

「何故、通路であんな話をなすったんです? 人に聞かれたら危険だとは思いませんか?」

「先生にだけ聞かせる積りだったんです。非常ベルで驚いているところだから、先生が怪しい話声を聞いたと仰有って下されば騒ぎは一層大きくなりましょう?」

「どういうわけでそんな事をしたんです?」

「停車を長びかせたかったのです。仕事最中に先生に訪問されては、都合が悪いと思ったから。しかし、私も有松を殺す気はなかったのですが、先方でいきなりピストルを向けたもんですから、つい――」

「では、今度はあなたに自首して頂かなければなりませんね。それでないと、可哀想に美和子さんに嫌疑がかかっていますから――」

「無論、自首いたします。この事さえお引受け下されば、私の用事は終るのですから、しゃばにぐずぐずしていることはありません」

 尾越は懐中からレコードを出してテーブルの上に置いた。洋子はレコードをかけた。二人は緊張した。

「かかるべしとはしらつゆの、草踏みしだき庭伝い、忍びよったる盛遠は、月こそ冴ゆれ恋の闇、キャッー あれ――、あなた助けて――、アレー武さんが仙ちゃんを――、あなた! あなた早く来て、武さんを押えてよ。――ウム、この野郎、やったな! 血迷うな、僕に何の恨みが――、僕を殺してどうするんだ あれッ、あなた! ひ、ひと殺し、ヒェッ、あなた助け――」

 言葉に交る烈しい雑音、それはその場の光景を物語るように聞えた。文句はそこで途切れ、あとはまるで闇の中に沈んでゆくような無気味な沈黙の中に、針の廻る音のみが物淋しく聞えていた。

 洋子はぞっとして、

「これだけ立派な証拠があったのに――」と、歓声をもらした。

「先生、では、どうぞ、お願いいたします。私は死刑囚の依頼をやっと今日果し得たかと思うと、胸がすくようです。――脱獄をやったからにはまた罪が重くなりましょう。が、私の心の荷は軽くなりました。どうぞ、美和子さんの将来もお願いいたします」

「承知いたしました」

 暁の霜を踏んで、深夜の客はどこともなく姿を(くらま)した。

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