3話 ボロ家の春秋(3)
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その夜タロコ亭についたのは、午後の七時頃です。タロコ亭は横丁のどんづまりにある小さな中華飯店で、飾窓には旨そうな鶏の丸焼きだの豚の脚などがぶら下っていました。僕らが入って行くと、奥の調理場から陳さんが肥躯をあらわして、やあやあどうぞ、と二階の小室に案内してくれました。壁には峡谷を描いた中華風の絵がかけてあって、陳さんはそれを指しながら、これが台湾のタロコ峡だと説明しました。陳さんの生家はその近くにあるということです。ただし画家の僕から見て、あまりその絵は上出来だとは思えなかった。
卓を囲んだのは、僕、野呂、陳さん、それにもう一人、陳さんの下で働いている孫伍風という若い男。なかなか機敏そうな筋肉質の若者で、陳さんの紹介によると、少林拳法の達人なんだそうです。宴なかばに孫は需めに応じて、その拳法の型を見せてくれましたが、その拳の動きの早いことと言ったら、まるで流星みたいで、こんな男と喧嘩でもしたら、一瞬に即死させられるだろうと思ったほどです。ちょっと沖縄の唐手にも似ています。孫の右頬には一筋大きな切り傷の痕がありますが、やはり喧嘩か何かで受けた創傷なのでしょう。
卓には御馳走が次々出ました。白片鶏だの炒鶉蛋だの蝦仁吐糸だのその他いろいろ。あまり食べたことのない御馳走ばかりです。僕はあまりガツガツすると日本人の名誉に関すると思い、あまり食べないようにしたが、野呂と来たらわき目もふらずせっせと食べました。まったく自意識のないやり方です。酒は老酒でした。この方は僕も遠慮なくゴシゴシ飲んだ。
陳さんの話では、不破という男はもともと悪い男ではないが、少々金銭的にはだらしない方で、それで今度のような事件をおこして身を誤ったのだという。戦後しばらく不破は『ニュー小説』という純文芸雑誌の編集長をやっていて、そこで陳さんと知り合ったということです。陳さんはビール(健康上の理由で老酒は断っているとの由)のコップを傾けながら、自慢しました。
「わたしはこれでもね、芸術にはとても理解があるんでね」
この中華飯店のデブ主人が芸術に理解があるなんて、意外でもあり、またとても嬉しくなったものですから、僕も胸を張って言いました。
「実は僕も及ばずながら、芸術家のはしくれです」
「ほう。ほう」と陳さんは感嘆の声を上げ両掌をかるく打ち合わせました。「して、どの方面の芸術で?」
「絵画です」
そして僕は自分の所属団体や現在までの業績について、ささやかな説明をこころみました。すると陳さんはすっかり感激して、もっと飲みなさいもっと飲みなさいとコップに老酒を注いで呉れ、以後友人としてつき会って欲しいなどと言う。がらりとかわった歓待ぶりになったものですから、野呂はそれを見て面白くなくなったのでしょう。僕らのやりとりをしばらく横目で睨んでいましたが、頃あいを見はからって、ぐふんとわざとらしい咳をして、おもむろに、
「僕も小説を勉強して、今までに十編ばかり書きましたが、なかなかうまく行かないものですなあ。ハッハッハア」
と突拍子もない笑い声をつけ加えました。すると陳さんは且つは驚き、且つは相好をくずして、芸術家がかくも一堂に会するはめでたいことだなどと言いながら、野呂のコップにもせっせと老酒を注いでやりました。野呂はすっかり面目をとり戻して、にこにこしながら老酒を舐めています。昨夜の引越し祝いとは打ってかわり、陽気は堂に満ち、飲むほどにいささかの躁狂的な傾向もあらわれて来たようです。もっとも躁狂的傾向といっても、それは僕と野呂だけで、孫伍風は酒は一滴も飲まないし、陳大人はビールだけですから、どうも躁狂の原因はかの老酒にあったらしい。老酒は老酒でも、ふつうの老酒ではなかったらしい。笑い茸か何かのエキスを混ぜてあったんじゃないか、と僕は今でも考えているのですが、もしそうだとすれば、僕らはうまうまと陳さんのハメ手に引っかかったわけです。すっかり陽気を発した僕ら二人は、下手糞な浪曲をうなってみたり、立ち上って孫伍風の拳法の型の真似をしたり、わいわい騒いでいるうちに、陳さんがポケットからやおら書類のようなものを取出した。不破に関する書類だけれども、一応目を通して、もし賛成ならば署名と拇印を押して呉れと言う。僕らはすっかり浮かれていたものですから、不破に関しては陳さんは最大の被害者だし、言わば被害者の総代みたいなものだから、万事陳さんにお任せすると、ろくに書類も見ず、即座に唯々諾々と署名し拇印を押しました。これひとえにかの特別製老酒のなせるわざです。ほんとに注意すべきことですねえ。陳さんはその書類を満足げに受取り、内ポケットにしまい込むと、掌をぽんぽんと叩きました。すると階下から給仕の足音がして、上って来たのは糖醋鯉魚です。これがすなわち料理のコースの止めで、僕らはそれをむさぼり食い、最後の乾盃をしておいとますることになりました。外に出ても心が浮き浮きして、鳩の街にでも行こうかと僕が誘ったが、野呂はイヤだと言う。かりそめにも自分は先生と呼ばれる身分であるからして、そんな不倫の巷におもむくわけにはいかない、そう野呂は言うのですが、やはり金を使うのが惜しかったんじゃないでしょうか。
「お互いに若い清純な芸術家なんだから、まっすぐ家に帰ろうよ」
そこで僕も鳩の街はあきらめて、小型タクシーに乗って、まっすぐ代田橋に戻って来ました。このまま眠るのは惜しいような夜でしたが、二人とも台所で歯をみがき、肝臓薬を五粒ずつ服んで、東西両室にわかれてグウグウ眠ってしまいました。
さて、翌朝目が覚めたのが午前六時半です。宿酔の気味もなく、頭はさっぱりして、さっぱりというよりポカンと空虚になっていて、狐でもおちたような気分でした。台所に行くと野呂はもう起きていて、がばがばと顔を洗っておりました。
「おはよう」
「やあ、おはよう」
「さっぱりした気分だね」
「うん。まるで頭がバカになったようだ」
「昨夜は愉しかったね。陳さんってとても好い人だなあ」
「そうだね、え。それに料理が旨かったよ。毎日あんな旨いものが食えるといいねえ」
「老酒もおいしかった。でも、ちょっとへんな酔い方をしたようだったねえ」
「そうだ。僕も今それを変に思っていたところだ」
「酔っぱらった揚句に、書類か何かに捺印署名したっけねえ」
「あっ、そうだ。あれは何の書類だったんだろう」
「僕も今思い出そうとするんだが、どうしても思い出せないんだ」
「ふしぎだねえ。やっぱり老酒のせいかな。そう言えばあの老酒は、ちょっと茗荷のにおいがしたようだ」
そして二人はあれこれと考えてみましたが、どうしても思い出せない。そこで仕方なく二人は顔を見合わせて、ハッハッハアと笑い合ったのですが、外国の諺に、最後に笑うものがもっともよく笑う、というのがあるそうですねえ。どうも僕ら二人は最初に笑い過ぎた傾向がある。と言うのは、それから三日目の夕方のことです。コンニチハという声と共に、一人の若者が跫音も立てずスイスイと庭に入って参りました。見るとあの孫伍風です。
「やあ、いらっしゃい。先日は御馳走さまでした。何か御用ですか?」
「今月の家賃、いただきに、来たヨ」
「え。家賃?」
僕がびっくりしたような声を出したものだから、野呂も西室からごそごそと首を出しました。孫は平然たる表情で言いました。
「そう。家賃よ」
「家賃って、誰にはらうんですか」
「誰にって、あんた、陳大人によ」
「そりゃ無茶ですよ。孫さん」と野呂が半身乗り出して口を入れました。「だってこの家は不破氏のものでしょ。陳さんに僕らが家賃払うわけがないよ」
「この家、陳大人が、押えた。早く家賃払うよろし」
「押えたって、孫さん」僕は笑いながら孫をたしなめました。「僕らの同意もないのに、そんなことは出来ませんよ。さては陳さん何かかん違いをしてるな」
「同意したではないか」
孫伍風は多少むっとしたらしく、眼をキラリと光らせました。見ると両方の手がもう半分ぐらい拳固の形になっています。先日の手練のほどを思い出して、僕はすこし気持がひるみましたが、それでもなお元気を出して、
「僕らがいつそんな同意をしました?」
「あの晩、ちゃんと、拇印を押したでないか。ずうずうしいぞ」
僕と野呂は同時にアッと叫び、顔を見合わせました。
「今月の家賃四千円、すぐさま払うよろし。払えなければトットと出て行くよろし」
そして孫伍風は拳固をピッタリと構え、じりじりと板の間に近づいて来る。たどたどしい日本語がかえって凄味をそえました。
「払うか、払わないか、一体どっちよ!」
「払うよ。払いますよ」
ついに僕は悲鳴に似た声を出した。そしてあわてて部屋にかけこみ、財布の中から千円札四枚をとり出して、孫に手渡しました。すると孫はにやりと笑ってポケットから賃貸借通帳を取出し、それにぽんと印を捺してこちらに寄越した。それを見ると家の借り手は、僕と野呂の二人の連名になっています。野呂も孫の気魄に圧倒されたのか、若干あおざめていました。孫は入って来た時と同じように、全然跫音を立てず、スイスイと庭を出て行きました。跫音を立てないのも、修練のひとつなのでしょう。
「バカにしてやがる」
と僕は呟きました。陳の横暴もさることながら、うかうかと捺印したマヌケな自己に対する嫌悪。それにもう一人この家に野呂というマヌケがいる、そのことのうとましさで、僕は腹の中が真黒になったような気がしたのです。野呂も同じ思いだと見えて、唇を噛んで僕をにらんでいる。その野呂に僕はつけつけと言ってやりました。
「さあ。これでお互いが極め付きのマヌケだということが、はっきり判っただろ。家賃の割前二千円、早く出せよ」
「イヤだよ。君が勝手に払ったんじゃないか」と野呂は口をとがらせました。
「なに。払わない。じゃ払わなくてもよろしい。その代り君はこの家の借り手じゃなくなるぞ。君は僕の居候だ!」
「居候? 居候でも結構だ」
「断っておくが、家主は居候を何時でも追い出す権利があるんだぞ。出て行かなきゃ刑事を連れて来るだけだ。そうすれば家宅侵入罪でひっくくられるぞ!」
「そんな滅法なことがあるもんか」
三十分間もそんな言い合いをしたでしょうか。いくら横車を押そうとしても、野呂自身も捺印したことだし、少しずつ自分の非を認めて折れてきました。そして結局四千円のうち千八百円を野呂が持ち、僕は二千二百円ということになりました。どうしてこんなことになったかと言うと、野呂の部屋は西側だから西日が射す。部屋の条件として四百円がた悪いというのが野呂の主張で、その主張を僕が呑んだわけですな。それも初めは八百円がた悪いと言い張るのを、やっとのことで半分に値切ったわけです。野呂にかかっては夕日ですら金銭に換算される。こういう男と今後同居して行かねばならない。それを思うとほんとに情なくなって、全く涙が出そうな気分でしたな。
で、またその夜も酒になった。しょっちゅう酒ばかり飲んでいるようですが、我々虐げられたる者は、虐げられたる苦しみをごまかすために、酒でも飲まなきゃやりきれないのです。この夜の酒宴は、今後の対策の協議という名目だったのですが、ろくに結論も出ずに終った。警察に訴えようかという案も出たけれど、うかうかと捺印してしまったことだし、相手はすでに差押え処分か何かを完了しているに違いないし、しかも第三国人のことだし、憎まれると大変なことになりそうだというわけで、それはお流れになりました。弁護士に相談する案もありましたが、これは野呂のケチンボ根性でぜんぜん駄目。そのうちにまた野呂の泣き上戸が始まって、れいの如く、神も仏もないものかと泣きわめく始末で、九時頃には大叫喚裡にこのヤケッパチの酒宴は終りを告げました。
そして十日過ぎ、半月過ぎても、不破夫妻はとうとう戻ってきませんでした。