ボロ家の春秋

3話 ボロ家の春秋(3)

4,838字 約10分 2016年2月15日 公開

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 その夜タロコ亭についたのは、午後の七時頃です。タロコ亭は横丁のどんづまりにある小さな中華飯店で、飾窓には(うま)そうな鶏の丸焼きだの豚の脚などがぶら下っていました。僕らが入って行くと、奥の調理場から陳さんが肥躯をあらわして、やあやあどうぞ、と二階の小室に案内してくれました。壁には峡谷を描いた中華風の絵がかけてあって、陳さんはそれを指しながら、これが台湾のタロコ峡だと説明しました。陳さんの生家はその近くにあるということです。ただし画家の僕から見て、あまりその絵は上出来だとは思えなかった。

 卓を囲んだのは、僕、野呂、陳さん、それにもう一人、陳さんの下で働いている孫伍風という若い男。なかなか機敏そうな筋肉質の若者で、陳さんの紹介によると、少林拳法の達人なんだそうです。宴なかばに孫は(もと)めに応じて、その拳法の型を見せてくれましたが、その拳の動きの早いことと言ったら、まるで流星みたいで、こんな男と喧嘩でもしたら、一瞬に即死させられるだろうと思ったほどです。ちょっと沖縄の唐手にも似ています。孫の右頬には一筋大きな切り傷の(あと)がありますが、やはり喧嘩か何かで受けた創傷なのでしょう。

 卓には御馳走が次々出ました。白片鶏(パイペンチイ)だの炒鶉蛋(チャオアムタン)だの蝦仁吐糸(シャーレントウスウ)だのその他いろいろ。あまり食べたことのない御馳走ばかりです。僕はあまりガツガツすると日本人の名誉に関すると思い、あまり食べないようにしたが、野呂と来たらわき目もふらずせっせと食べました。まったく自意識のないやり方です。酒は老酒(ラオチュウ)でした。この方は僕も遠慮なくゴシゴシ飲んだ。

 陳さんの話では、不破という男はもともと悪い男ではないが、少々金銭的にはだらしない方で、それで今度のような事件をおこして身を誤ったのだという。戦後しばらく不破は『ニュー小説』という純文芸雑誌の編集長をやっていて、そこで陳さんと知り合ったということです。陳さんはビール(健康上の理由で老酒は()っているとの由)のコップを傾けながら、自慢しました。

「わたしはこれでもね、芸術にはとても理解があるんでね」

 この中華飯店のデブ主人が芸術に理解があるなんて、意外でもあり、またとても嬉しくなったものですから、僕も胸を張って言いました。

「実は僕も及ばずながら、芸術家のはしくれです」

「ほう。ほう」と陳さんは感嘆の声を上げ両掌をかるく打ち合わせました。「して、どの方面の芸術で?」

「絵画です」

 そして僕は自分の所属団体や現在までの業績について、ささやかな説明をこころみました。すると陳さんはすっかり感激して、もっと飲みなさいもっと飲みなさいとコップに老酒を()いで呉れ、以後友人としてつき会って欲しいなどと言う。がらりとかわった歓待ぶりになったものですから、野呂はそれを見て面白くなくなったのでしょう。僕らのやりとりをしばらく横目で(にら)んでいましたが、頃あいを見はからって、ぐふんとわざとらしい(せき)をして、おもむろに、

「僕も小説を勉強して、今までに十編ばかり書きましたが、なかなかうまく行かないものですなあ。ハッハッハア」

 と突拍子もない笑い声をつけ加えました。すると陳さんは且つは驚き、且つは相好(そうごう)をくずして、芸術家がかくも一堂に会するはめでたいことだなどと言いながら、野呂のコップにもせっせと老酒を注いでやりました。野呂はすっかり面目をとり戻して、にこにこしながら老酒を()めています。昨夜の引越し祝いとは打ってかわり、陽気は堂に満ち、飲むほどにいささかの躁狂的な傾向もあらわれて来たようです。もっとも躁狂的傾向といっても、それは僕と野呂だけで、孫伍風は酒は一滴も飲まないし、陳大人はビールだけですから、どうも躁狂の原因はかの老酒にあったらしい。老酒は老酒でも、ふつうの老酒ではなかったらしい。笑い(だけ)か何かのエキスを混ぜてあったんじゃないか、と僕は今でも考えているのですが、もしそうだとすれば、僕らはうまうまと陳さんのハメ手に引っかかったわけです。すっかり陽気を発した僕ら二人は、下手糞(へたくそ)な浪曲をうなってみたり、立ち上って孫伍風の拳法の型の真似をしたり、わいわい騒いでいるうちに、陳さんがポケットからやおら書類のようなものを取出した。不破に関する書類だけれども、一応目を通して、もし賛成ならば署名と拇印(ぼいん)を押して呉れと言う。僕らはすっかり浮かれていたものですから、不破に関しては陳さんは最大の被害者だし、言わば被害者の総代みたいなものだから、万事陳さんにお任せすると、ろくに書類も見ず、即座に唯々諾々(いいだくだく)と署名し拇印を押しました。これひとえにかの特別製老酒のなせるわざです。ほんとに注意すべきことですねえ。陳さんはその書類を満足げに受取り、内ポケットにしまい込むと、掌をぽんぽんと叩きました。すると階下から給仕の足音がして、上って来たのは糖醋鯉魚(タンツーリーギョ)です。これがすなわち料理のコースの()めで、僕らはそれをむさぼり食い、最後の乾盃をしておいとますることになりました。外に出ても心が浮き浮きして、鳩の街にでも行こうかと僕が誘ったが、野呂はイヤだと言う。かりそめにも自分は先生と呼ばれる身分であるからして、そんな不倫の(ちまた)におもむくわけにはいかない、そう野呂は言うのですが、やはり金を使うのが惜しかったんじゃないでしょうか。

「お互いに若い清純な芸術家なんだから、まっすぐ家に帰ろうよ」

 そこで僕も鳩の街はあきらめて、小型タクシーに乗って、まっすぐ代田橋に戻って来ました。このまま眠るのは惜しいような夜でしたが、二人とも台所で歯をみがき、肝臓薬を五粒ずつ()んで、東西両室にわかれてグウグウ眠ってしまいました。

 さて、翌朝目が覚めたのが午前六時半です。宿酔(ふつかよい)の気味もなく、頭はさっぱりして、さっぱりというよりポカンと空虚になっていて、狐でもおちたような気分でした。台所に行くと野呂はもう起きていて、がばがばと顔を洗っておりました。

「おはよう」

「やあ、おはよう」

「さっぱりした気分だね」

「うん。まるで頭がバカになったようだ」

「昨夜は(たの)しかったね。陳さんってとても好い人だなあ」

「そうだね、え。それに料理が(うま)かったよ。毎日あんな旨いものが食えるといいねえ」

老酒(ラオチュウ)もおいしかった。でも、ちょっとへんな酔い方をしたようだったねえ」

「そうだ。僕も今それを変に思っていたところだ」

「酔っぱらった揚句(あげく)に、書類か何かに捺印(なついん)署名したっけねえ」

「あっ、そうだ。あれは何の書類だったんだろう」

「僕も今思い出そうとするんだが、どうしても思い出せないんだ」

「ふしぎだねえ。やっぱり老酒のせいかな。そう言えばあの老酒は、ちょっと茗荷(みょうが)のにおいがしたようだ」

 そして二人はあれこれと考えてみましたが、どうしても思い出せない。そこで仕方なく二人は顔を見合わせて、ハッハッハアと笑い合ったのですが、外国の(ことわざ)に、最後に笑うものがもっともよく笑う、というのがあるそうですねえ。どうも僕ら二人は最初に笑い過ぎた傾向がある。と言うのは、それから三日目の夕方のことです。コンニチハという声と共に、一人の若者が跫音(あしおと)も立てずスイスイと庭に入って参りました。見るとあの孫伍風です。

「やあ、いらっしゃい。先日は御馳走さまでした。何か御用ですか?」

「今月の家賃、いただきに、来たヨ」

「え。家賃?」

 僕がびっくりしたような声を出したものだから、野呂も西室からごそごそと首を出しました。孫は平然たる表情で言いました。

「そう。家賃よ」

「家賃って、誰にはらうんですか」

「誰にって、あんた、陳大人によ」

「そりゃ無茶ですよ。孫さん」と野呂が半身乗り出して口を入れました。「だってこの家は不破氏のものでしょ。陳さんに僕らが家賃払うわけがないよ」

「この家、陳大人が、押えた。早く家賃払うよろし」

「押えたって、孫さん」僕は笑いながら孫をたしなめました。「僕らの同意もないのに、そんなことは出来ませんよ。さては陳さん何かかん違いをしてるな」

「同意したではないか」

 孫伍風は多少むっとしたらしく、眼をキラリと光らせました。見ると両方の手がもう半分ぐらい拳固(げんこ)の形になっています。先日の手練のほどを思い出して、僕はすこし気持がひるみましたが、それでもなお元気を出して、

「僕らがいつそんな同意をしました?」

「あの晩、ちゃんと、拇印を押したでないか。ずうずうしいぞ」

 僕と野呂は同時にアッと叫び、顔を見合わせました。

「今月の家賃四千円、すぐさま払うよろし。払えなければトットと出て行くよろし」

 そして孫伍風は拳固をピッタリと構え、じりじりと板の間に近づいて来る。たどたどしい日本語がかえって凄味をそえました。

「払うか、払わないか、一体どっちよ!」

「払うよ。払いますよ」

 ついに僕は悲鳴に似た声を出した。そしてあわてて部屋にかけこみ、財布の中から千円札四枚をとり出して、孫に手渡しました。すると孫はにやりと笑ってポケットから賃貸借通帳を取出し、それにぽんと印を()してこちらに寄越(よこ)した。それを見ると家の借り手は、僕と野呂の二人の連名になっています。野呂も孫の気魄(きはく)に圧倒されたのか、若干あおざめていました。孫は入って来た時と同じように、全然跫音を立てず、スイスイと庭を出て行きました。跫音を立てないのも、修練のひとつなのでしょう。

「バカにしてやがる」

 と僕は(つぶや)きました。陳の横暴もさることながら、うかうかと捺印したマヌケな自己に対する嫌悪。それにもう一人この家に野呂というマヌケがいる、そのことのうとましさで、僕は腹の中が真黒になったような気がしたのです。野呂も同じ思いだと見えて、唇を噛んで僕をにらんでいる。その野呂に僕はつけつけと言ってやりました。

「さあ。これでお互いが極め付きのマヌケだということが、はっきり判っただろ。家賃の割前二千円、早く出せよ」

「イヤだよ。君が勝手に払ったんじゃないか」と野呂は口をとがらせました。

「なに。払わない。じゃ払わなくてもよろしい。その代り君はこの家の借り手じゃなくなるぞ。君は僕の居候(いそうろう)だ!」

「居候? 居候でも結構だ」

「断っておくが、家主は居候を何時でも追い出す権利があるんだぞ。出て行かなきゃ刑事を連れて来るだけだ。そうすれば家宅侵入罪でひっくくられるぞ!」

「そんな滅法なことがあるもんか」

 三十分間もそんな言い合いをしたでしょうか。いくら横車を押そうとしても、野呂自身も捺印したことだし、少しずつ自分の非を認めて折れてきました。そして結局四千円のうち千八百円を野呂が持ち、僕は二千二百円ということになりました。どうしてこんなことになったかと言うと、野呂の部屋は西側だから西日が射す。部屋の条件として四百円がた悪いというのが野呂の主張で、その主張を僕が呑んだわけですな。それも初めは八百円がた悪いと言い張るのを、やっとのことで半分に値切ったわけです。野呂にかかっては夕日ですら金銭に換算される。こういう男と今後同居して行かねばならない。それを思うとほんとに情なくなって、全く涙が出そうな気分でしたな。

 で、またその夜も酒になった。しょっちゅう酒ばかり飲んでいるようですが、我々(しいた)げられたる者は、虐げられたる苦しみをごまかすために、酒でも飲まなきゃやりきれないのです。この夜の酒宴は、今後の対策の協議という名目だったのですが、ろくに結論も出ずに終った。警察に訴えようかという案も出たけれど、うかうかと捺印してしまったことだし、相手はすでに差押え処分か何かを完了しているに違いないし、しかも第三国人のことだし、憎まれると大変なことになりそうだというわけで、それはお流れになりました。弁護士に相談する案もありましたが、これは野呂のケチンボ根性でぜんぜん駄目。そのうちにまた野呂の泣き上戸が始まって、れいの如く、神も仏もないものかと泣きわめく始末で、九時頃には大叫喚()にこのヤケッパチの酒宴は終りを告げました。

 そして十日過ぎ、半月過ぎても、不破夫妻はとうとう戻ってきませんでした。

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