4話 4
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そこへ宿下りをしていたお梶さんが帰って参りました。
綾子さんはお梶さんの顔を見ると急に元気づいたので、私まで何だか安心したような気がいたしました。お梶さんは文夫さんのお母様とは乳姉妹で、また文夫さんの乳母でもありましたので、今は文夫さんに仕えるような心持ちで、心から綾子さんを大事にして居ました。
『梶に見せて上げるものがあるわよ』
綾子さんはじぶくろからキャビネ形の写真を出して来ました。
『こんなお写真見たことある? 文夫さまのお書斎をお片付けしたら、お机の上の書簡紙の間から出たんだけれどもね』
お梶さんは写真を手にして、一と目見ますと忽ち変な表情をいたしました。
『このお写真が――、まあ! どうして――。お書斎にございましたんですって?』
『梶は知ってるんでしょう? 私、ついぞこんなお写真拝見したことがなかったわ』
『不思議でございますねえ。これがどうしてお書斎にございましたか知ら?』
お梶さんはじっとその写真を見詰めているようなのですが、実はその眼はお写真を見ているのでもなく、何かこう幻影を追いながら、深い物思いにでも沈んでいるという風なのです。私は変だなと、心に思いました。
『ちょいと拝見』
無雑作にいって、お梶さんの手から写真を取って見ました。処々汚点が出たり、色が変ったりして大分古ぼけてはいますが、顔の処だけははっきりとしていました。古風な椅子に腰かけている若い女の傍に、倚り添うようにして一人の青年が立って居ます。女は文夫さんの母君、御木井男爵夫人と直ぐ分りました。男の方は父君男爵ではありませんでしたが、私はその顔を見て吃驚しました。それは忘れようとしても忘れられない、あの昨日の朝アパートのエレベーターの前で見た気味の悪い男、その男の顔そっくりではありませんか。しかし私は何気なく申しました。
『文夫さんのお母様、ほんとにお美しいお方でしたのねえ。そしてこの方はどなたなの?』
綾子さんはこの男は誰だか知らないと見えて、お梶さんの顔を見て云いました。
『梶、どなたなの?』
『叔父様でいらっしゃいます。大旦那様の弟ご様で――』
お梶さんは重苦しい調子でいって、深い溜息をつきました。
叔父様だと聞いて、綾子さんも急に写真を見直しました。
『印度に往って入らっしゃる叔父様なの?』
『はい』
『梶、私は叔父様のお写真ってもの今まで拝見した事がなかったのよ。だからどんなお方かと思っていたの。こんないいお写真があるんなら何故アルバムにはっておかないんでしょう。お母様も御一緒だしね。私は叔父様のお写真は家には一枚もないものかと思ってたわ』
『はい。一枚もないはずなんでございます。殊にこのお写真はどうしてもこのお邸にある理がないのでございます。まさかお写真がひとりで歩いて参ったんでもございますまいに――』
綾子さんは笑い出しました。それに釣られて私も笑いました。しかしお梶さんだけは大真面目なんです。のみならず何か怖しい幻にでも襲われているように、息をはずませながら何となく落付を失っているようなのです。
私はお梶さんの様子を注意深く見ながら、綾子さんに云いました。
『文夫さんがどこからか持っていらしたんではありませんの?』
『それなら必ず私に見せますわ』
と綾子さんは直ぐに否定しました。
『すると文夫さんがお亡くなりになった後に、どなたかがお置きになったんですわね』
綾子さんは首を振って、
『あの後、お書斎には私の外、絶対に誰も入れませんでしたわ』
お梶さんは黙って考えつづけています。写真がある以上、何人か入ったと見なければなりません。誰も入ってはならないという書斎に何人かこっそりと忍び込んだのでしょう。そして何のためにこの写真を残して去ったのでしょう。一体それはいつの事でしょう。これは何か文夫さんの死に関係があるのではあるまいか。私の好奇心は少しずつ動き始めました。
私はお梶さんに訊いてみました。
『このお写真は、このお邸内には一枚もないはずだと仰しゃいましたね。それはどういう理ですの?』
『細かい事はここでは申上げかねますが、このお写真はたった一枚を残して全部破り棄てられたのでございます。種板までも――』
『そして残った一枚は?』
『それは――。その一枚を持っていた人が、ここへ来たんでございましょうか?』
お梶さんは昂奮に震るえて、その顔は真青になって居りました。
私はもう一度写真を見改めましてから、お梶さんに訊いてみました。
『実はね、このお方昨日ある処でお見かけしたように思うんですが、違いますか知ら? お年頃は五十がらみで、何だか頬に大きな傷がおありになりはしないでしょうか?』
それを聞いてお梶さんは一層青くなりました。急に眩がすると云って、額を押えながら引退ってしまいましたので、これ以上何も訊くことが出来ませんでしたが、お梶さんのこの様子を見て、この写真と文夫さんの自殺との間には、何等かの関係があるに相違ないと疑わずにはいられませんでした。お梶さんもそれに気付いてあんな異常の動揺を感じたのではありますまいか。