深夜の市長

3話

6,029字 約12分 2010年11月15日 公開

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「おう、――」と、下の老人は人を喰ったような返事をし「商売繁昌だな。人殺しも賑やかでいいのう」

「なにイ……」

 と別の声が憤りを見せるのを、

「オイ云うな」と始めの声が停めて「どうだ『深夜の市長』、逃げて来たやつを隠しゃしないだろうネ」

 僕はハッとした。途端に壁を抑えていた靴がズルリと下に滑った。十センチも滑ったような気がしたが、本当はほんの僅かだったかもしれない。こいつはいけない――と、僕は歯を喰いしばってウンと両足を踏んばった。

「相変らず鼻が利くねえ」と老人の声で「叶わないよ、お前さん方には……。さあさあ中に一匹だけ隠して置いたから、摘みだして手柄になせえ」

 もう少しで僕は呀ッと叫ぶところだった。ひどい奴があればあったものだ。引張りこんで置いて、僕を相手に売りつけようとは……。八ツ裂にしても足りない奴……と、憤慨し、こっちから進んで飛び下りようとした刹那、

「いや、悪かった悪かった、『市長さん』騒がして済まなかったネ。はッはッはッ」

 と笑いに紛らす声がした。

「隠して置いたというのに、連れてゆかないというのかい」

 そのとき誰の声だか、呀ッという叫び声がして、それに追っかぶせるように老人の声で、

「サアしみったれた見方なんかするない。もっと奥まで入って、よく調べろッ」

 真下になにか黒い影がドサリと飛びこんで来たと思うと、

「うわーッ」

 という獣のような叫び声をあげたものがあった。だが直ぐさまガラガラというなにか引っくりかえったらしい物音と共にまた外へ跳ね出していった者があった。

「あッはッはッ、あッはッはッはッ」

 老人は無遠慮に、いつまでも笑い続けていた。

「……だから止せといったのに……。相手が悪い……」

 と(たしな)めるような声が切れ切れに聞えた。どうやら一人の方が、この穴蔵の中を覗こうとしたところを、老人にエイッと尻を突かれて、穴蔵の中に転げこんだものらしかった。

「若いの、向うへ行っちまったから、もう大丈夫だ。そろそろ下りてきてはどうだ」

 僕はホッとした。危い瀬戸際であった。もうやられたかと思った刹那に救われたのだった。途端に関節から急に力が抜けてしまって、あれよという間もなく、こんどは自分の身体がツーと下に動きだすと、呀ッという間もなくドーンと大きな音をたて、いやというほど額と腰骨とを固いものにぶっつけた。骨がビーンと音をたてて震え、暫くは起き上ることもできなかった。

「なかなか頑張り屋だのう。悪いことするだけあって……」

 老人は褒めたのか冷かしたのか分らないような云い方をした。そのころ僕はようやくのことで、「深夜の市長」と呼ばれる老人に礼を述べる気力を取りかえした。

「……しかし思い違いなすっているようだが、僕は別に悪いことをしたわけじゃないんです」

「あッはッはッ、隠すところは、まだ可愛いいな。悪いことをしない奴は、あんな風に逃げないもんだぜ」

 そういわれて気がついたが、さっき僕がそこの横丁を逃げているときの気持は、捕っては一大事だというので、まるで犯罪者のような挙動で駆けだしていたから、そこを老人の炯眼(けいがん)に睨まれたのかもしれない。こうなってはもう隠しているべき場合ではないと思った。それで、実はこうこういうわけで……と、僕の妙な趣味生活のことや、また先刻見たり聞いたりした怪事件について、一伍仔什(いちぶしじゅう)を詳しく老人に説明したのだった。

「……それで、現場に落ちていた証拠物件を、ここにちゃんと持っているのですが、いま出して見ましょう」

 といって、オーヴァのポケットの中を探りはじめると、老人はそれを抑えた。

「ちょっと待て。いま入口を締めて、明りをつけるから……」

 老人は立上ると、狭い入口に向ってなにかゴソゴソやっていた。やがてバサリと上から落ちて来たものがある。それはどうやら継ぎだらけのカーテンまがいのもののようであった。それが済むと、老人は背のびをして、壁土をバラバラ落していたが、やがてパッと天井に思いがけなくも明りがついた。驚いて見上げると、それはどこから電気を引張ってきたのかしらないが、煌々(こうこう)たる自動車用電球らしいものが二本の線と共にぶら下っているのであった。――始めて見るこの狭い穴蔵の中の様子、それは天然の押入といったのが一等適切に云いあらわしているような土窟であった。壁も天然の土壌であるけれど、そこに棚のようなものを刳りぬいて、食器らしいものがゴタゴタと並べてあった。

「さあ、見せて貰うか。――」

 始めてつくづくと老人の顔を見る機会を得た。なるほど鬚が生えていると思ったが、まるで鬚の中から眼玉と鼻の先が出ているといった方がいいくらいの、見るからに身体が痒くなるような無精鬚を生やした老人だった。これが「深夜の市長」と呼ばれる人物なのであるか。だが老人の眼は、羊の眼のように柔和だった。そしてピョコリと飛びだした赤い鼻頭には無限のユーモアが宿っていた。鬚の中に埋れた唇をモゴモゴやって、老人は僕の顔をジロジロ眺めながら目顔で催促した。

 実をいうとそのとき僕は、すこし当惑している最中だった。それはポケットに入れて置いた筈の時計と十銭白銅三個が、どこかに引懸って、取出そうとしても、なかなか出てこないのだった。

「あれッ、変だナ……」

 なかなか出て来ないということが、後にこの怪事件を解くことの手懸りになったのであるが、そのときはそんなこととは夢にも気づかず、見せるといったものが、あまりに出て来ないので、僕が出し惜しみをしているように老人に誤解され一喝を喰いはしないか――と、それを心配して、一層心は焦った。

「落したな。――」

「いいえ、そうじゃないんで、ここに入っているんですが、どうしたのか出て来ないんです。なにかにくっついているようなんです。うーン」

 と僕が力一杯、引出そうとするのを見ると老人は、

「おっとおっと待った。人生無理をするなよ――ということがある。オーヴァを脱いでからにしたらいいじゃないか」

 と注意をした。

 なるほどと思って、僕はオーヴァを脱ぎにかかった。(ボタン)を外して脱ごうとするが、どうしたのか脱げない。右のポケットのところが妙に洋服の上に縫いつけられたような具合で、離れない。

「これは妙だ。可笑しいことがある。……」

 僕は両手を、その縫いつけられたようなところへ持っていって、様子を調べてみると、果然、何ものかが洋服とオーヴァとをピシャリと縫いあわしているのだった。一体どこでこんな悪戯(わるさ)をされたのかと思って、なおも両手でもって縫いつけられた糸目を探してみた。そうしているうちに、

「おや、――」

 と、思わず驚きの声をあげてしまったが、固く縫いつけられていると思った洋服とオーヴァとが、今度はまるで蒲団の糸目が外れたように、ポツンと離れてしまった。なんだか狐に化かされているような塩梅で、拍子ぬけがした。オーヴァは楽々と脱げた。そしてポケットの中から、懐中時計と三枚の十銭貨幣とが出てきた。僕はそれを(てのひら)の上に載せて、老人の顔の前に持っていった。

「これが、その証拠物件なんで……」

「…………」

 老人は黙って僕の掌の中を眺めた。そしてマッチの軸木の先で、それをいじりまわしていたがやがて顔をあげて、ジロリと僕の顔を見た。その面にはなにか僕に抗議するような色があらわれていた。

「……素人(しろうと)はこれだから困るねえ」

 と老人は重い口を開いた。

「素人?」

 そのとき僕はハッキリと自分の失策に気がついた。僕は証拠物件を手に入れることに夢中になっていたので、その時計や貨幣の上に残っていたろうと思われる指紋のことには一向気がつかなかったのだった。僕はその時計を、うっかりしてそのまま手づかみで拾い上げてしまったのだった。それから後も、僕は何度となくその時計を手づかみにした。そのために、折角大事な指紋がついて居りながらそれを滅茶滅茶にしてしまったのだった。探偵小説作家を自任して居りながら、なんという迂濶なことをやったものだろう。これでは素人と何のかわるところもない。いや(かね)て知っていながら、うっかりやっちまっただけに、自分の粗忽加減に只呆れるより外なかった。

「指紋を滅茶滅茶にしてしまって、どうも残念です」

「うん、指紋はこれじゃ仕様がないねえ」老人は案外あっさりと返事をした。その語勢には、なにか外に、もっと別の言葉を期待していたように聞えた。僕が怪訝(けげん)な面持で、老人の顔を見詰めていると、「深夜の市長」は急にニヤニヤ笑いながら、

「お前さんは、右のポケットにナイフを持っているだろう。それも型のすこし大きいやつだろう」

「えッ、――」

 僕はギクリとした。ナイフといえば、僕はいつも大型の七つ道具のついたナイフを持って歩いていた。それはいつもチョッキの右下のポケットに入れてあった。ソッと、触ってみると、そのときもその場所に固いものが手に触れた。たしかに大型のナイフを持っていた。

「そうだろう。……これを御覧よ。このニッケル貨幣は三枚とも糊で貼りあわせたように、ピタリとくっついて離れない。何故だろう? これはつまり、このニッケル貨幣が強い磁力を持っているせいなんだ。いまお前さんが取出したとき、変な恰好をして繋がっていたから、それで気がついたのだ。こいつは余程風変りな事件だぞ」

 老人はそういって、首をかしげた。密着して離れない三枚のニッケル貨幣!

「そんなことから風変りな事件だということが分るんですかね。もっともニッケル貨幣同志で、こんなにくっつき合っているのを見たのは今が始めだけれど……」

「実に風変りだ。だが風変りだけに、こいつは早く種があがるかも知れないよ。まだ有る筈だ。ほらこれだこれだ。この時計を御覧よ」と老人は懐中時計の硝子蓋を叩きながら、目を輝かした。「こいつは占めたぞ。この時計はいい塩梅に停らないでコツコツ動いている」

「時計がどうしたんです」

「うん、これは面白い」と老人は独りで悦に入りながら

「この時計の針を見て御覧よ。どうだネ」

「ははア」

「なにを見ているんだ。この指針(はり)がいま何時何分を指しているかというんだ。ね、今ちょうど十一時四十分を示しているじゃないか。ところでいま本当の時刻は……」と老人は隅の方をゴソゴソ探していたが、やがてこの土窟には不似合なピカピカする大型の懐中時計を探し出してきて、「今正に午前二時二十分だ。いいかネ」

「どうしたんでしょう。莫迦(ばか)に僕の拾った時計は狂っていますね。僕の腕時計を見ましょう。……ああ、停っている」

 手首を伸ばして見ると、僕の腕時計は停っていた。よく見るとそれも道理だった。硝子蓋がどこかへ飛んでしまっていた。先刻のされたときに飛んでしまったのにちがいない。

「そうだ、ちょうど二時間四十分遅れている。これは面白い。これだけの材料があれば、この事件の仕掛が分らんこともあるまい」

「どうも貴方は不思議な人ですね。まるで探偵のようなことを云うじゃありませんか。それに科学にもなかなか(くわ)しいようだし……」

 と、僕があけすけな質問をすると、

「なアに付け焼刃さ。科学の方は速水輪太郎(はやみりんたろう)から輸入した聞き覚えだ」

「速水輪太郎?」

「うん、奇妙な街の科学者さ。そうだ、速水に、この謎を解かせるのが一番いい。君、いいやお前さん、済まないが、この時計とニッケル貨幣とを速水に届けてくれまいか。もちろん今手紙を書くがネ」

「…………」

 呆気にとられている僕に構わず、老人はポケットを探って、小さい紙片を出し、その上にちょこちょこと何か走り書きをして、それをクルクルと丸めた。それから、汚いボロ布の中に、時計とニッケル貨幣と、その手紙を丸めたものを包んで、僕の手に渡した。

「これを速水輪太郎氏に届けるんですね。速水氏の所番地は?」

「なアに所番地なんか要るものか。……銀座のM百貨店の裏通りにブレーキという十銭洋酒立飲店(スタンド)がある。夜といわず昼といわず、そこで虎になっている年増女の客がいるから、そいつに云ってこれを速水へ渡してくれといえばいいんだ。それだけで分らなかったら、女の左の耳朶(みみたぼ)を見るがいい。そこにRと入墨(いれずみ)がしてあるのが、その虎女だ」

 僕はこのルンペンみたいな老人が、彼に似合わしからぬ色っぽい女を知っていることを聞いて驚いたが、老人は別に得意そうな色も見せなかった。僕は妙な事件から、妙な老人に会って、それからまた妙なことを頼まれて、なんだか夢に夢を見ているような気持になってきた。

 僕は外面(そとも)の気配に聞き耳をたてながら、

「まだ出てゆくのは危いですね」

 というと、老人は、

「そうさなあ、――」

 といって、特徴のある小鼻を左右から拇指(おやゆび)と人指し指とで摘んでスーッと先の方へ引張った。さっきから見ていると、老人はよくそんな動作をやってみせた。この寒いのに汗でも小鼻の脇についているのかと思ったが、そうではなくて、これは「深夜の市長」どのの一つの癖でもあり、且つ唯一の娯楽でもあるらしく思われた。

「それでは……」

 と云いかけた途端に、遠くの方で低くサイレンの唸り声が聞えた。

 ――火事かな!

 と、考えている(ひま)に、そのサイレンはどんどんこっちへ近づいて来た。紛れもなく出火らしい。

「ほう、時も時……」

 と呟いて、老人は幕の外へ()い出した。すると何者かが、バタバタとこっちへ駈けつけてくる気配だ。僕はハッとなって、思わず土窟の片隅に小さく縮まった。

「市長さん、遅れまして何とも申訳ござんせん」と、跫音がピタリと止ると、入れ代って脳天より出るような声、「只今火を発しましたるは、これより南へ二丁ほど先、横川橋は四丁目十六番地に所在致しまする油倉庫にござりまする。原因万端取調べ中でござりまするが後刻申し奉ります。へえ、お静かに、お静かに……」

「ご苦労、――」

「お言葉、まことに有難うさんで……」

 ツツツーとまた引擦るような跫音がして、脳天声の主は向うへ去っていった。

「ハテ殺人事件のあとに、続いて油倉庫の火事とはうますぎるが……。おう、若いの、いいきっかけが、向うの方からお出でなすったぜ。さあ、このどさくさに紛れて、早く抜け出すんだ」

 そういった「深夜の市長」の声に、僕は思わず躍りあがった。最早このときにはウーウーとサイレンが二重にも三重にも鳴りだした。僕はパッと外へ顔を出した、すぐ前の屋根の向うが真赤だ。油倉庫の火事だけあって、どッどッと立ち(のぼ)紅蓮(ぐれん)の炎の勢の猛烈さ。しかしこれを感心してみとれていることはできなかった。これこそ勿化(もっけ)の幸いと、僕は老人に挨拶もそこそこに火事場の方へ道をとって走りだした。

「いいかネ。頼んだことを忘れるな」

「承知しましたッ」

 それから僕は火事場へ駈けつけると見せて、実は刻々に殖えてくる寝ぼけ(まなこ)の弥次馬の間を掻きわけ掻きわけ、どんどん脇道の方へ曲っていった。もう誰にも咎められはしなかった。そして一台の円タクを拾うと、それに乗って浅草の住居の方角へどんどん急がせた。

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