探検実記 地中の秘密 02 権現台の懐古

1話 探検実記 地中の秘密 02 権現台の懐古

4,235字 約8分 2019年11月3日 公開

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――初めての發掘――權現臺の歴史――貝層より石棒――把手にあらで土偶――元日の初掘り――朱の模樣ある土器――奇談――珍品――地主と駄菓子――鷄屋の跡――

 太古(たいこ)遺跡(ゐせき)發掘(はつくつ)に、(はじ)めて()()(くだ)したのは、武藏(むさし)權現臺(ごんげんだい)である。それは()品川(しながは)(たく)から(きは)めて(ちか)い、荏原郡(えばらぐん)大井(おほゐ)小字(こあざ)(こと)東海道線(とうかいだうせん)(やま)()(せん)(がつ)して()鐵道線路(てつだうせんろ)右手(みぎて)臺地(だいち)がそれで、大井(おほゐ)踏切(ふみきり)から()けば、鐵道官舍(てつだうくわんしや)(うら)から畑中(はたなか)()るのである。

 ()(しか)大概(たいがい)蛇窪(へびくぼ)踏切(ふみきり)(だい)二の(せん)()して、()ぐと土手(どて)(のぼ)つて()くのである。

 初心(しよしん)發掘(はつくつ)としては()權現臺(ごんげんだい)大成功(だいせいこう)であつた。無論(むろん)遺物(ゐぶつ)豐富(ほうふ)でも()つたのだが、(たく)から(ちか)いので、數々(しば/″\)()()られたのと、人手(ひとで)(おほ)かつたのも勝利(しやうり)原因(もと)であつた。

 されば()として、終生(しふせい)(わす)るゝ(こと)出來(でき)ぬのは、この權現臺(ごんげんだい)遺跡(ゐせき)で、其所(そこ)()()(とき)勿論(もちろん)遺物(ゐぶつ)一片(ひとひら)()にしても、()ぐと其當時(そのとうじ)思出(おもひいだ)すのである。成功(せいこう)した其時(そのとき)(うれ)しさも思出(おもひい)でるが、(しか)(おほ)くは其時(そのとき)一處(いつしよ)()つた(とも)の、()んだのや、(とほ)ざかつたのや、いろ/\それを懷出(おもひいだ)して、時々(とき/″\)(へん)感情(かんじやう)()たれもする。

 三十五(ねん)の九(ぐわつ)()(わす)れたが初旬(しよじゆん)であつた。それが權現臺(ごんげんだい)最初(さいしよ)發掘(はつくつ)で、其頃(そのころ)()(たく)陣屋横町(ぢんやよこちやう)()つて、活東(くわつとう)望蜀(ばうしよく)の二()同住(どうじう)して()た。(のち)玄川子(げんせんし)()た。

 文士相樸(ぶんしずまふ)(さか)んな(ころ)なので、栗島狹衣氏(くりしまさごろもし)(ほとん)毎日(まいにち)(やう)()()たので、狹衣子(さごろもし)(おな)朝日新聞(あさひしんぶん)()水谷幻花氏(みづたにげんくわし)も、其縁(そのえん)(あそ)びに來出(きだ)した。

 今日(けふ)天氣(てんき)()いからとて、幻花子(げんくわし)先導(せんだう)で、狹衣(さごろも)活東(くわつとう)望蜀(ばうしよく)の三()が、(くわ)(かつ)いで權現臺(ごんげんだい)先發(せんぱつ)した。(あと)から()()つて()ると、養鷄所(やうけいじよ)裏手(うらて)萱原(かやはら)(なか)を、四(にん)(しき)りに掘散(ほりち)らして()る。なる(ほど)貝塚(かひづか)とは()んな(もの)だなと(はじ)めて()地中(ちちう)秘密(ひみつ)あるを()つた。

 此時分(このじぶん)發掘法(はつくつはふ)といふのは、幼稚(ようち)なもので、幻花()はハンマーでこつこつ()つて、布呂敷(ふろしき)貝殼(かひがら)(しやく)()(くら)ゐ。

 二回目(くわいめ)には矢張(やはり)其人數(そのにんず)で、此方(こちら)は《シヨブル》や、(くわ)()つて()たが、如何(どう)(うま)()かぬものだから、三回目(くわいめ)には汐干(しほひ)(とき)(もち)ゐた熊手(くまで)小萬鍬(せうまんくわ))が四五(ほん)()つたのを持出(もちだ)した(ところ)が、これが非常(ひじやう)有効(ゆうかう)であつたので、(勿論(もちろん)先輩中(せんぱいちう)(すで)小萬鍬(せうまんぐわ)(もち)ゐて()(ひと)()つたさうだが、それは三(ぼん)(づめ)の、(きは)めて(せう)なる(もの)(まへ)鍛冶屋(かじや)に四(ほん)()大形(おほがた)のを別誂(べつあつら)へするなど、大分(だいぶ)乘氣(のりき)()つて()た。(()其頃(そのころ)から(つか)()した)

 といふのが、幻花子(げんくわし)が、小魔石斧(せうませきふ)や、完全(くわんぜん)(ちか)土器(どき)などを()()したので、余等(よら)發掘熱(はつくつねつ)がそろ/\高度(かうど)(たつ)しかけたからである。

 休日毎(きうじつごと)(さそ)ひに()幻花子(げんくわし)()つて()られず。今日(けふ)望生(ぼうせい)翌日(あす)活子(くわつし)(あるひ)は三(にん)(そろ)つて()(うち)に、土偶(どぐう)(あし)()る。小土器(せうどき)()る。大分(だいぶ)景氣(けいき)()いて()た。

 (なら)んで()つて()望生(ぼうせい)膝頭(ひざかしら)(どろ)(うま)つて()るのを、狹衣子(さごろもし)完全(くわんぜん)土器(どき)間違(まちが)へて掘出(ほりだ)さうとすると、ピヨイと望生(ぼうせい)起上(たちあが)つたので、土器(どき)羽根(はね)()えたかと(おどろ)いたのも其頃(そのごろ)

 活東子(くわつとうし)がゴホン/\(せき)をしながら、赤土(あかつち)(した)まで掘入(ほりい)つて、(なに)()ないと(こぼ)したのも其頃(そのごろ)

 初心(しよしん)失策(しつさく)(けつ)して(すくな)くなかつたのだ。

 幻花子(げんくわし)此當時(このたうじ)、ぐツと先生振(せんせいぶ)つて、()りながら種々(いろ/\)講釋(こうしやく)()かせるのであつた。余等(よら)(もつと)興味(きやうみ)(ゆう)して傾聽(けいちやう)したのは、權現臺貝塚(ごんげんだいかひづか)歴史(れきし)であつて、最初(さいしよ)野中(のなか)(くわん)()發見(はつけん)したのを、()(ふか)()して()たので、其頃(そのころ)發掘(はつくつ)をせずとも、表面(ひやうめん)をチヨイ/\掻廻(かきまは)して()れば、土偶(どぐう)土版(どばん)完全(くわんぜん)(ちか)土器(どき)など、ごろ/\(ころ)がり()し、磨製石斧(ませいせきふ)などは、いくらでも()つた。それを幻花子(げんくわし)がチラと(みゝ)(はさ)んで、大井村中(おほゐむらぢう)(のこ)らず(さが)して、(やうや)野中氏(のなかし)寶庫(ほうこ)突留(つきと)めると()もなく、貝塚(かいづか)の一()(ひら)いて其所(そこ)養鷄場(ようけいぢやう)設立(せつりつ)する大工事(だいこうじ)(おこ)り、此期(このき)利用(りよう)して土方(どかた)買收(ばいしう)し、幻花子(げんくわし)種々(いろ/\)珍品(ちんぴん)()()れた(こと)から、地主(ぢぬし)との衝突奇談(しようとつきだん)小作人(こさくにん)との大喧嘩(おほけんぐわ)小南保之助氏(こみなみやすのすけし)貝塚(かひづか)奇遇談(きぐうだん)やら、足立博士(あだちはかせ)()學士時代(がくしじだい)此所(こゝ)()(はち)()された(はなし)やら、却々(なか/\)面白(おもしろ)い。

 (たゞ)()ういふ(はなし)()(とき)は、(あま)遺物(ゐぶつ)()ない(とき)で、土器(どき)(かほ)でも貝層(かひさう)から()やうものなら、呼吸(こきう)をするのさへ(わす)れる(くらゐ)

 活東子(くわつとうし)が十(ぐわつ)卅一(にち)鐵鉢形(てつはつがた)小土器(せうどき)掘當(ほりあ)てながら、(あやま)つてそれを()つたので、破鐵鉢(はてつばつ)綽號(あだな)()りなどしたが、それと同時(どうじ)()した把手附(とつてつき)小土器(せうどき)は、(すこ)()げては()るが珍形(ちんけい)で、優物(いうぶつ)たるを(うしな)はぬ。(第壹圖イ參照)

第壹圖(武藏權現臺)

イ(土器) ロ(土偶顏面) ハ(土偶胴部)

 ()うして(ほとん)毎日(まいにち)(ごと)()つて()(うち)に、萱原(かやはら)を三(げん)(はゞ)で十(けん)ばかり、(みなみ)から(きた)まで掘進(ほりすゝ)んで、(はた)(はう)まで突拔(つきぬ)けて(しま)つた。(高抔形(たかつきがた)茶椀形(ちかわんがた)土瓶形(どびんがた)大小土器(だいせうどき)餘種(よしゆ)石劒片(せきけんへん)石槍(いしやり)貝輪(かひわ)輕石製浮標等(かるいしせいうきとう)()づ)

 これは大變(たいへん)と、總掛(そうがゝ)りで()ならしをして、今度(こんど)(また)(おも)(おも)ひに(ぢん)()り、西(にし)から(ひがし)(むか)つて坑道(こうだう)(すゝ)()けた。

 此間(このあひだ)にチヨイ/\飛入(とびいり)發掘者(はつくつしや)()えた。野中完一氏(のなかくわんいちし)伊坂梅雪氏(いさかばいせつし)小南保之助氏(こみなみやすのすけし)高橋佛骨氏等(たかはしぶつこつしとう)

 十二(ぐわつ)の四()であつた。()幻花子(げんくわし)と二()(くつわ)(なら)べて()つて()ると。

江見(えみ)クン、()た/\』と幻子(げんし)(へん)(こゑ)()した。

 (なに)()たかと(のぞ)いて()ると、眞白(まつしつ)貝層(かひそう)(なか)から、緑泥片岩(りよくでいへんがん)石棒(せきぼう)頭部(とうぶ)()()して()る。

 それが(よこ)文字(もんじ)貝層(かひさう)(あひだ)(はさ)まつて()るのを。

()()る、()()る』と幻子(げんし)調子(てふし)()りながら()つて()くので、()()るに()えぬ。

 殘念(ざんねん)でならぬので、自分(じぶん)持場(もちば)を一生懸命(しやうけんめい)()つたけれど、(なに)()ない。幻子(げんし)大成功(だいせいかう)引替(ひきか)へて大失敗(だいしつぱい)(くわつ)(ぼう)()茫然(ばうぜん)として(しま)つた。

 其翌五日(そのよくいつか)奮然(ふんぜん)として()(たゞ)一人(ひとり)()つた。(さむい)(かぜ)()き、(そら)(くも)つた、(いや)()であつたが、一人(ひとり)で一生懸命(しやうけんめい)()つたけれど、(なに)()()ぬ。(ばん)まで(かゝ)つて(やうや)土器(どき)(ふち)でも()つたらしい(いし)と、把手(とつて)平凡(へいぼん)なのを二三()()たばかり。がツかりして(かへ)つて、食卓(しよくたく)につきながら、把手(とつて)一箇(ひとつ)家人(かじん)(しめ)して、これが()めて土偶(どぐう)(かほ)でも()つたら、昨日(きのふ)敗軍(はいぐん)盛返(もりか)へすものをとつぶやくと、(わき)()()(はゝ)が『おや/\それは人形(にんぎやう)(かほ)ではなかつたのか』といふ。『へえ、人形(にんぎやう)(かほ)だと()いのですが、()うではないのです』と()(こた)へた。

 (はゝ)(かさ)ねて『でも(わたし)には人形(にんぎやう)(かほ)()える』()()うですな、これが眉毛(まゆげ)で、これの(した)()があると()いのですが』と()ひつゝ、小揚子(こやうじ)でツヽくと、(つち)が、ポロリと()ちて、兩眼(りやうがん)(ひら)いた。おや/\と(おも)ひながら、(また)ツヽくと、(はな)(あな)さへ二ツ(ひら)いた。(まさ)しく土偶(どぐう)顏面(がんめん)なのであつた。(第壹圖ロ參照)

 それから(また)調子附(てふしづ)いて、雪中(せつちう)雨中(うちう)(かま)()しに()つて、三十五(ねん)の十二(ぐわつ)三十(にち)棹尾(たうび)成功(せいかう)としては望蜀生(ぼうしよくせい)が、第貳圖(だいにづ)ロの(ごと)口唇具(こうしんぐ)()した。朱塗(しゆぬり)である。

 (もつと)(ふる)つて()たのは三十六(ねん)(ぐわつ)元旦(ぐわんたん)で、此日(このひ)年始(ねんし)()幻花子(げんくわし)は、掘初(ほりぞ)めをすると()つて(たゞ)一人(ひとり)出掛(でか)けたのを、(あと)から、靜灣(せいわん)佳水(かすゐ)天仙(てんせん)望蜀(ぼうしよく)古閑(こかん)狹衣(さごろも)活東(くわつとう)の七(にん)評議(ひやうぎ)(うへ)二人宛(ふたりづゝ)(はう)から(すゝ)んで、(あな)(こも)幻子(げんし)包圍攻撃(はうゐこうげき)して()らうといふので、それ/\に手配(てくば)りしたが、活東子(くわつとうし)不間(ぶま)()つて、(かへ)つて幻花子(げんくわし)(はう)から突貫(とつくわん)(きた)つたのであつた。

 其時(そのとき)の八(にん)(うち)で、活東(くわつとう)天仙(てんせん)古閑(こかん)の三()は、(いま)現世(このよ)(ひと)であらぬ。

 三十六(ねん)()つて()大成功(だいせいかう)をした。一(ぐわつ)十六(にち)には、土器(どき)(しゆ)(もつ)緻密(ちみつ)なる模樣(もやう)(ゑが)いてあるのを、二箇(ふたつ)まで掘出(ほりだ)した。それから四十二(ねん)今日(こんにち)までに()くの(ごと)珍品(ちんぴん)(また)()でずに()る。()藏品中(ざうひんちう)(だい)()()めて、(いま)だ一()(さが)らずに()る。

 それから、土器(どき)種々(いろ/\)()た。奇談(きだん)種々(いろ/\)()つた。

 (かい)をさらひ()すのに(つい)て、活東子(くわつとうし)幻花子(げんくわし)衝突(しようとつ)する。發掘(はつくつ)進路(しんろ)(つい)衝突(しようとつ)する。狹衣子(さごろもし)手傳(てつだ)ひに()ては、つい、(しや)()時間(じかん)(わす)れた(こと)や、佛骨子(ぶつこつし)(あな)(なか)午睡(ひるね)をした(こと)や、これ()奇談(きだん)(おも)なるもの。

 發掘品(はつくつひん)としては三十六(ねん)(ぐわつ)十九(にち)に、活東子(くわつとうし)方形裏模樣(はうけいうらもやう)土器(どき)()し、望蜀生(ぼうしよくせい)が、(どう)(ぐわつ)二十二(にち)壺形土器(つぼがたどき)()し、玄川子(げんせんし)土偶(どぐう)(あし)と、第二圖(だいにづ)ニの(ごと)き、(めづ)らしく複雜(ふくざつ)なる把手(とつて)()し。()(また)土偶(どぐう)(あし)半磨石斧(はんませきふ)、三(ぐわつ)二十二(にち)獸牙製曲玉(じふがせいまがたま)の一(しゆ)(りやく)してキバマガ(第二圖ハ參照)を()し、同月(どうげつ)二十六(にち)に、鹿角製浮袋(ろくかくせいうきぶくろ)(くち)(第二圖イ參照)を()し、四(ぐわつ)()土偶胴部(どぐうどうぶ)(第壹圖ハ參照)を()した(とう)(おも)なる(もの)

第貮圖(武藏權現臺)]

イ(浮袋口) ロ(口唇具) ハ(牙曲玉) ニ(把手) ホ(有孔石器)

 此間(このあひだ)望蜀生(ばうしよくせい)故郷(こきやう)(かへ)り、活東子(くわつとうし)(また)(ふる)はず。幻花子(げんくわし)相變(あひかは)らず。それと玄川子(げんせんし)相手(あひて)にぼつ/\()つて、到頭(たうとう)鷄屋(とりや)(へい)(した)まで()(すゝ)んで、(なつ)(ころ)には()()()場所(ばしよ)()くなつた。

 思出(おもひだ)して()ると()奇談(きだん)があつた。(はゝ)(さい)親類(しんるゐ)子供(こども)や、女中(ぢよちう)や、(とほ)くも()いので摘草(つみくさ)かた/\見物(けんぶつ)()(こと)()つた。其時(そのとき)生憎(あいにく)(なに)()ないので、採集袋(さいしふぶくろ)摘草(つみくさ)()れて(かへ)つた(こと)もあつた。

 (もつと)奇談(きだん)とすべきは地主(ぢぬし)某氏(ぼうし)()(とき)である。とは()らぬので(かい)()げるのに邪魔(じやま)だから、其所(そこ)退()いて()れなんて威張(ゐば)()らして、(あと)地主(ぢぬし)(わか)つて、有合(ありあは)せの駄菓子(だぐわし)()して、機嫌(きげん)()つた(こと)などである。

 やがて其秋(そのあき)には、(のこ)らず貝塚(かいづか)(ひら)かれて、(はたけ)()つて(しま)つたが、それでも余等(よら)未練(みれい)()かされて、表面採集(ひやうめんさいしふ)時々(とき/″\)立寄(たちよ)るが、其後(そののち)とても、土偶(どぐう)()磨石斧(ませきふ)()、三十七(ねん)の九(ぐわつ)には、(だい)()ホの(ごと)有孔石器(ゆうこうせきゝ)をさへ表面(ひやうめん)()た。これは曲玉(まがたま)の一(しゆ)でもあらう。

 これだけ(あら)した權現臺(ごんげんだい)は、其後(そののち)幾變遷(いくへんせん)して、以前(もと)(さま)()()られぬ。四十一(ねん)(なつ)()つて()ると、()鷄屋(とりや)さへ()くなつて(しま)つて()る。幻花子(げんくわし)鷄屋(とりや)出來(でき)(まへ)から()つて()るのだ。()()つてからも三四(だい)主人(しゆじん)(かは)つたのであつた。

 二代目(だいめ)時代(じだい)鷄屋(とりや)番人(ばんにん)()老人(らうじん)()て、いろ/\世話(せわ)をして(ちや)など()れて()れて()たが、其老人(そのろうじん)()もなく()んだので、()んとなく()寂寞(せきばく)(かん)じたのであつた。それから三代目(だいめ)代目(だいめ)とは、無關係(むくわんけい)で、構内(こうない)へは一()(あし)踏入(ふみい)れなかつたが、到頭(たう/\)その鷄屋(とりや)(ほろ)びて(しま)つたので、これを(さいは)ひと佛骨子(ぶつこつし)をかたらひ、(また)(すこ)()つて()た。それでも土器(どき)(ひと)ツ、磨石斧(ませきふ)が一(ぽん)()た。

 此後(こののち)權現臺(ごんげんだい)如何(どう)(かは)るだらう。

 (はじ)めて萱原(かやはら)分入(わけい)つた(とき)()活東子(くわつとうし)()んだ。望蜀生(ぼうしよくせい)如何(どう)したのか、()りつきも()ない。狹衣子(さごろもし)役者(やくしや)()つて、あの(どろ)(しやく)つた()でお白粉(しろしい)()きつゝあり。幻花子(げんくわし)新聞(しんぶん)(はう)(いそが)しいので、滅多(めつた)()ず。自分(じぶん)一人(ひとり)時々(とき/″\)()(はじ)めの(ところ)()つては、往事(むかし)追懷(つひくわい)すると、其時(そのとき)情景(じやうけい)眼前(がんぜん)彷彿(ほうふつ)として()えるのである。が――()()きに其處(そこ)(ひと)屋敷内(やしきうち)にでもなつて、(かき)から(のぞ)(こと)出來(でき)なくなるだらう。

 (わづ)かに五六(ねん)地上(ちじやう)此變化(このへんくわ)である。地中(ちちう)秘密(ひみつ)はそれでも、三千餘年(よねん)(あひだ)(たも)たれたと(おも)ふと、これを攪亂(くわんらん)した余等(よら)は、(たし)かに罪惡(ざいあく)であると(かんが)へずには()られぬのである。

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