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隠岐がよひの船

田山 花袋 全1話 1,061字 2022年3月12日

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1. 隠岐がよひの船

 九月から先は、海が荒れて、ともすると一週間も交通の途絶えるやうなことがあるさうであるけれども、普通はその間は大してひどいところではなかつた。何方かと言へば佐渡にわたるよりも楽であるかも知れなかつた。境の港。朝八時の出帆。これが日によつて外港めぐり内港めぐりの二航船を互に交代にやることになつてゐて、初めの日は島前の赤灘(あかなだ)瀬戸から別府、菱(ひし)に寄港して午後の四時頃に島後の西郷港に着し、二時間ほどそこにゐて、今度は知夫里(ちふり)、崎の二外港に寄港して、終夜航行して、その暁に地蔵岬の鼻にかゝる。これが一つ。その翌日には、それを反対(あべこべ)に、境から二つの外港に寄港して矢張午後四時頃に西郷港に着き、今度は内港の二つに寄港して帰途につくやうになる。これが一つ。この二つの循環航行が絶えず常に行はれてゐるのである。船はさう大して大きくはないが、それでもさう危険ではない。何年にもさうした間違ひはないといふことである。

 その船には気のきいた中年のボウイがゐて、いろいろと海の話をして呉れたことなどを思ひ起す。また私の行つた日は、朝から雨で却てその方が凪で好いなどゝ負け惜しみを言つたが、中程から夥(おびたゞ)しく荒れて、赤灘の瀬戸あたりに行つた時には、島の徙崖(しがい)がすぐ眼のまへに見えて居りながら、容易にその中に入ることが出来なかつたことを思ひ起す。それにしても私は何んなに隠岐(をき)にあくがれたであらうか。私はその青螺(せいら)を海濤(かいたう)の中に見るためにわざわざ日の御崎までも行つたではないか。地蔵岬の鼻まで行つたではないか。そして其の暗澹とした北海の中にその青螺の髣髴を望んで何とも言はれない憧憬を感じたではないか。寧ろそれは其隠岐の島が長い間かゝつてたうとう私を引寄せたと言つても好いのである。それは島といふものは面白い。伊豆の大島でも、佐渡島でも、何処でも面白い。然し隠岐ほどのなつかしさは其他に何処にあるであらうか。あの世離れた崎の港、スラングのわるく際立たない島の娘の群、自然に見事な海門の形を成してゐる西郷の港、島前の出口から烏帽子岩(えぼしいは)、冠岩(くわんむりいは)等を隔てゝ遙かに島後の大満寺山(だいまんじやま)を眺めた形。山陰道を旅行する人はもう少し多く隠岐を訪(と)うてもわるくはあるまいと私は思ふのである。

 島の港々から漕ぎ寄せて来る船、そこにどつさり節(ぶし)を唄ふ芸者が乗つてゐたり、宿屋の名の黒々と記されてある番傘を持つた酌婦らしい女が蓮葉に客に物を言つてゐるのも何となくなつかしい。西郷の港では、雨の土砂降りに降る中に尻からげをして白い脛(はぎ)を出してゐる娘達が友禅モスリンの帯の色彩をあたりに際立たせて迎ひに出てゐた。

隠岐がよひの船 — 田山 花袋 — https://noveliz.cc/n/zdxrt5rwsa

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