5話 〔独立すべき自然の権利〕
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ご覧なさい。全体、人間はひどい目に遭っても、その権力のある者に向って、あるいは政府が一つ成立てば、その法律に向って柔順に服従する性質をもっているのである。妄りに反抗するものではないのである。然るに何故に反抗するかというと、忍び得るだけは忍んで、忍ぶべからざるに至って、初めて窮鼠猫を噛むの勇を起して、反抗を始めるのである(拍手)。何故に亜米利加合衆国は十八世紀の末に母国に背いたか。同じ同胞の国である。同じアングロサクソンである。それが何故に英国に背いたか。乱を好み、戦いを好み、血を見て満足するという野蛮的行為であるか。決してそうではない。母国が合衆国に向って加えたところの種々の税、種々の法律、これに不満である。そこで、不満を訴えるのである。訴えると、母国は殖民地が反抗すると誤解して、愈々厳重な取締りをする。その時に当って、合衆国民はよほど忍んだのである。よほど忍んで、決して離るるの意はないのである。ここに於て、パァリアメントに嘆願をする。あまり惨酷であるからもう少し寛大にしてもらいたいと嘆願をしたのである。またキングに対してもどうか寛大にしてもらいたいと嘆願をしたのであるが、ここに於てはキングもパァリアメントも聾で耳が聞えない。合衆国の困難を耳に入れてくれない。もはや已むを得ぬというところに至って、反抗が起ったのである。その反抗する時に何と言ったか。諸君がデクレレーションを読めば直ぐ分るが、ライト、権利である。侵すべからざる権利、この権利に依て母国に向って剣を抜いた。こういう理窟のものである。
これは日本には無いことであるが、世界には沢山ある。ここに於て革命もまた権利である。君主があまり暴虐をやると、革命が起る。革命は初めは反乱であるが、反乱ではない権利である。支那に於てもその通り、革命は正義なりというて、三千年前に支那の聖人達は革命というものを是認したのである。湯武の暴伐、支那の議論は大分手厳しい。民の意を失えば、これを君主と言わぬ。悪逆無道の人は君主でない。君主は民意を得なくてはならぬ。人心を失えば匹夫である。匹夫紂王を誅するを聞く、未だ君を弑するを聞かずというものである。ちょうど華盛頓が兵を挙げたのもこれと同様で、謀叛ではない。人間には独立すべき自然の権利がある。一つのライトがある。独立の宣言書を見ると、韻を踏んで書いてある。よほど文章家である。イットイズライト、イットイズライトとあって、これを以て母国に向ったのである。人間というものは、ある度合までは、順良なるものである。ある度合までは忍ぶのである。忍ぶべからざるに至って、これが反抗する時には、あたかも噴火山の破裂するが如き、猛烈なる力を以て臨むのである。