15話 第二、豪州紀行 一五、メルボルン市の実況
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八日、曇りのち晴れ。午前十時、ビクトリア州の首府メルボルン市に入港す。シドニーよりここに至る海路、五百七十七マイルあり。さらに小河をさかのぼること数マイルにして、市の中央に着岸す。横浜よりこの港まで七千四十一マイルありという。秋洲船医およびウィルキンソン氏の紹介により、フィッツロイ公園の傍らに寓居を定む。メルボルンの気候はシドニーよりいくぶんか冷気の加わりたるがごときも、朝夕冬服、昼間夏服の気候にして、わが十月はじめごろに似たり。この地冬期といえども、ほとんど降霜を見ることなく、降雪は絶無なりという。ゆえに、家屋は多く暑さをしのぐに適して、防寒の設備を欠くもの多し。しかれども、余の滞在当時は南風黄葉を吹き散じ、菊花多少凋落に傾けるを見る。しかして黄葉ありて紅葉なきは、降霜せざるためならん。
驟雨欲来雲脚低、客窓独坐昼凄凄、濠南秋色転堪愛、黄葉半庭菊一畦。
(いまやにわか雨がふろうとして雲は低くたれこめ、旅宿の窓べにひとり座して昼なおさむざむとした思いをいだく。豪州の南の秋景色はともあれいとおしむに足り、黄葉のなかばする庭には菊のひとむらがある。)
九日、曇り。晴雨定まらず。市中を一過するに、シドニーのごとく繁忙ならざるも、道路広く、街区正しく、遊園多く、なんとなく清閑を覚ゆ。ただし、中央一部の市街はシドニーに譲らざるも、その区域を離るるときは田舎市街のごとし。両市は万事に競争の態度をとり、メルボルン人はメルボルンをもって豪州に冠たりといい、シドニー人はシドニーをもって豪州第一とす。局外よりこれをみるに、シドニー第一、メルボルン第二と定めざるべからず。もし年代の上より比較すれば、メルボルンはシドニーより四、五十年の後に開市せるものにして、今より七十三年以前には一人の白人種を見ざりし地なりという。しかるに僅々六、七十年間にして今日の隆盛をきたせるは、驚くべき発展というべし。博物館、美術館、図書館(以上並立)を一覧す。いずれもシドニーに一歩を譲る。ただし、図書館内に一八三二年以来の各種の新聞を保存せるには驚けり。つぎに博覧会陳列場跡なる水族館に至る。その闊大なるは、他にいまだ見ざるところなり。
十日、雨。秋雨蕭々、南風颯々、晩秋の趣あり。日光丸帰航の途に就くをもって、訪問して船長および船員に一別を告げ、歩を転じて植物園に至る。園内の広くしてかつ美なるはシドニー以上にして、欧米の植物園をしのぐというも過賞にあらず。この落葉蹊をうずむるの晩秋に当たりて、緑草紅花、満園春の光景を呈す。当日サベージクラブ(当市紳士の共楽団)より、臨時名誉会員となすの通牒を得。夜に入りて、その主幹たるシャウ氏来訪あり。
十一日、雨のち晴れ。メルボルン大学に至り、生物学教授スペンサー氏に面会し、校内を一覧す。シドニー大学より歴年浅きも、互いに伯仲の間におる。聞くところによるに、一千十三名の学生中、百六十一人は女学生なりという。シドニー大学の女学生はややこれに倍すとは驚かざるを得ず。豪州は婦人まで男子同様に選挙権を有するだけありて、婦人の活動せるは格別なり。ただし、実際の勢力は米国のごとくはなはだしからず。さらに埋葬地および動物園を一覧して、帰路サベージクラブに立ち寄り、二、三の会員と談話を交ゆ。当日、郊外にて詠じたる一首あり。
暁雨漸収雲未収、卜晴郊外試吟遊、満蹊落葉無人掃、風冷南洲五月秋。
(あけがたの雨がようやくおさまったが、雲はまだ空をおおって、晴れることときめこんで郊外に吟詠の遊びをした。谷をみたす落葉は人の掃くこともなく散り敷いて、風も冷たい南国の五月の秋である。)