83話 第九、南米西部およびメキシコ紀行 八三、メキシコ航路所見
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十一月一日、晴れ。午前八時半、領事館芝崎、菅原両氏とともに電車に駕してカヤオ港に至る。人口三万五千人ありて、ペルー第一の要港なるも、バルパライソよりくだること数等、一つの見るべきものなし。ただちに軽艇に移りて本船に帰る。日本人、シナ人、百余人の入船者あり。シナ人中には、本国の革命軍の応接かつ慰問のために帰航するもの七名あり。梁振華氏その長たり。当日午後六時出港。月明らかに風清くして、熱帯にあるを覚えず。いまだ赤道をこえざるも、日はすでに南天に入る。しかして月なお北天にあり。
二日、晴れ。日中やや炎暑を感ずるも、食時なお発汗するに至らず。終日山影を認めず、晩に至り細雨霧のごときを見る。十月二十四日以来はじめて雨にあう。
十一月三日(日曜)、晴れ。午前、船中消火の演習あり。風軽く波穏やかに、夜に入りて一輪の明月を頭上にいただく。一望すこぶる壮快なり。
一葉舟浮赤道辺、太平洋上水雲連、回頭判得家郷遠、日在南天月北天。
(木の葉のごとき舟が赤道のあたりに浮かび、太平洋上はるかに水と雲とがつらなって見える。頭をめぐらせて、いかに家郷に遠くはなれているかをいまさらのように思い知る。太陽は南の空にあり、月は北の空に見えるのである。)
四日、晴れ。朝来ほとんど無風。暑気にわかにのぼりて七十九度に達す。食堂にては食時に器械扇を運用す。海上飛魚多し。これ赤道の近づきたる印なりとす。
五日、朝雨のち晴れ。午前九時四十四分、赤道を横断す。余の今回の旅行において、赤道横断はまさしく第四回目なり。この日、海水温度を検するに八十度、室内空気の寒暖も同じく八十度を算す。乗客はじめて炎暑を訴うるの声あり。午後六時十分に、太陽は地平線下に入りてその形を失う。ときに、明月さらに東空に懸かる。当夜は満月なり。六時三十分、全く残光を失う。赤道直下なるによる。八時後、雲ことごとく消して、ただ一輸の明月を仰ぐのみ。船客中ドイツ人ウルリヒ氏とともに船橋上に踞し、観月の宴をなして深更に及ぶ。清風おもむろに来たりて、爽快極まりなし。
日落檣頭夜色新、波間一道海如銀、仰望東天天懸鏡、照見遠遊孤客身。
(日は帆柱のかなたに没して夜の気色も新たに、波間に赤道をよぎれば海は銀色にかがやく。ふりあおいで東の空を望めば、鏡をかけたように月が見え、遠くやってきた孤独な旅人を照らしている。)
六日、炎晴。穏波軽風。午後四時、本船の姉妹船たる武陽丸に相会し、互いに汽笛を吹きて過ぐ。この日暑気強く、八十四度にのぼる。夜に入りて、海水滑らかなること油のごとく、明月雲間より照らし来たる。
夜をかさね雲の断間に出る月は、長き船路の友にぞありける
七日、晴れ。終日涼風船熱を洗い去り、ときどき大魚の波間に躍るを見る。当夕、パナマ地峡の運河と同一の地点に来たる。その工事の壮大無比なるを聞き、抜山倒海とはこのことならんと思い、詩歌各一首を賦して所感を述ぶ。
米北米南一峡連、毀山穿石欲通船、人文進歩真堪畏、智圧鬼神工勝天。
(北米と南米とは一峡谷によって連なり、山をこぼち岩石をうがって船を通そうというのである。文化の進歩はおそるべきものがあり、人知は鬼神も圧して人工が天然にまさったのである。)
諸人の力に天も畏るらん、パナマの山を海となしける
深夜天頂を仰ぐに、月まさしく頭上に懸かるを見る。これより後は、月もまた南天に入るべし。
八日、快晴。暑さ強きも、風ありてしのぎやすし。
四過赤道漸帰東、霜月遠洋三伏風、食後納涼雲自散、家山猶在碧空中。
(四たび赤道をよぎりてようやく東に帰れば、霜月(陰暦十一月)のはるかな洋上に三伏〈立秋後最初の庚の日・末伏〉の風が吹いている。食後の納涼には雲もおのずから散り果て、故郷の家も山も遠くふかみどりの空の中にあるのだ。)
九日、晴れ。これまで汽船速力一時間十マイル以下の割合なりしが、今日は十一マイル余を走れり。潮流に順逆あるによる。夜に入れば一天雲なく、波風清涼たり。