84話 第九、南米西部およびメキシコ紀行 八四、メキシコの実況および風俗
読み方を変える
十二月十日(日曜)、晴れ。早朝六時、メキシコ国サリナクルスに着岸す。カヤオよりここに至る二千七マイルあり。当港は巨船自在に防波堤内に入りて、岸頭に繋留するを得、物貨は汽船よりただちに汽車に移積するを得。かくのごとき設置は、南米においてブエノスアイレスを除くほかには、いまだ見ざるところなり。東郷船長および東洋汽船会社出張員小林氏とともに上陸、小林氏の案内にて市場を一覧す。近在の土人ここに来たりて衣食日用品を調達する所にして、わが日本における田舎の祭日の露店を見るがごとし。男子は広帽をかぶり赤裳を着け、すこぶる異装をなす。かつこの辺りの土人は、婦人よく労働すという。その不潔の度は南米に異ならず。市街および家屋は粗にしてかつ低し。左右に山をめぐらすも、みな高からず、山上には灌木あるのみ。年中風強く雨乏しきが故なり。この地北緯十七度、暑気八十三度に当たる。ここより首府メキシコ市まで三十六時間を要す。時間なきをもって上府せず。また、ここよりメキシコ湾に通ずる鉄道ありて、コアツァコアルコス港まで、横断里程約三百マイルあり。当地所見、各一首を得たり。
残月光中船入津、墨南冬暁暖於春、岸頭成列紅裳歩、不是欧人悉土人。
(なごりの月光のなか船は港に入る。メキシコ南部の冬の朝は春の暖かさよりもあたたかい。岸壁のあたりには列をなして紅い衣装を身にまとった人が歩いている。これは西欧の人ではなく、すべてこの地の人なのである。)
メキシコは冬の旅路も暑ければ、芭蕉の蔭に人はすゞめり
また、海門に砲台あるを望みて一吟す。
墨南湾一曲、街路繞山根、辺塞成兵備、砲台挟海門。
(墨南部の湾は曲線を描き、街路は山の根をめぐって続く。はずれの要塞は兵の備えとなり、砲台は湾口を挟んで設置されている。)
午後六時出航す。
十一日、晴れ。終日メキシコ連山を望みて北走す。日まさに入らんとするとき、残光天を染めて、夕景もっとも佳なり。
十二日、晴れ。船中の客は九分どおりシナ人、彼らは終日賭博をなす。
万里長途倦怠生、欲眠食後酒三傾、風軽浪静船窓寂、只聴清人賭博声。
(万里をゆく長い旅路は倦怠を生じ、眠らんとして食後に酒杯を傾けた。風は軽やかに吹き浪も静かで、船窓もまた寂として音なく、ただ清国人の賭博の声がきこえてくるのみである。)
シナ人の幼児、年齢五、六歳なるもの、一手六指、両手十二指あるを見る。船中の一奇観たり。
十三日、晴れ。午前十時入港。その地名はマンサニヨなり。サリナクルスより六百マイルを隔つ。峰巒草木茂生し、浜頭また深林鬱立す。久しく禿山のみを見てこの翠影に接するは、大いに目をたのしましむるに足る。
林丘抱海小湾円、翠影参差映碧漣、霜雪不侵墨南地、水明山紫是終年。
(林と丘が海をいだくように、小さな湾が円を形づくり、みどりの影がいりみだれて青いさざなみにうつっている。霜も雪も墨南部の地を侵すこともなく、山紫水明の天然の美しさは一年を通じてのものである。)
十四日、晴れ。船を進めて桟橋にともづなをつなぐ。岸頭の家屋、小丘の上下に点在し、木造トタンぶきまたは板ぶきにして、みな矮屋のみ。わが北海道北見沿岸の小港に似て、実に寒村の観あり。ただ鉄路のここよりメキシコ市に通ずるあれば、物産の出入港なり。検疫厳なるがために乗客の上陸を禁ぜられ、岸頭にありながら市街に歩を散ずるを得ず。停船中禁足を命ぜられしは、この地を初回とす。当夕降雨あり。メキシコはすべて南米式なり。教育いまだ普及せず、文字を解せざる愚民多く、時間の精確を守らざる等、全く相同じ。旧教の勢力あるも同一なり。某市街にて人口十万に対し、寺院七十カ寺を有する一例を見て推知するに足る。全国の人口一千三百六十万人のうち、百分の十九は白人種、百分の四十三は混血人種、すなわちスペイン人とインデアン人との混血なり。これを通常土人と称す。百分の三十八はインデアン人種なり。そのいわゆる混血種は、血色やや日本人に似たるあり。
十五日、曇り。終日停船。風なくして暑気蒸すがごとし。夜に入りてことにはなはだしく、室内八十五度にのぼる。
十九日、晴れ。午前七時より硫黄を焼きて室内を薫ぜしむ。その臭、鼻をつきて人を窒息せしめんとす。これ米国政府より命じて、船内に病者の有無にかかわらず、消毒法を励行せしむるなりという。余は生来はじめて、かかる狐つき虐待同様の場合を経験せり。午後二時出港。海上の清風はメキシコ滞船中の積累を一掃し去りて、気色蘇するがごとし。
以下、「太平洋帰航日記」に入る。