南半球五万哩

88話 第一〇、太平洋帰航日記(付世界周遊再見) 八八、ハワイ見物および日本移民の近況

962字 約2分 2011年10月25日 公開

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 三日、晴れ。石田氏とともに監獄を一覧す。獄内広からず、設備可ならざるも、囚徒を遇することすこぶる寛なりという。日本人にて入獄せるもの六十余人あり。つぎに当地の中学校を参観す。校長スコット氏は今より三十年前、大学予備門の教師にして、余も二年間その教授を受けたることあり。午後、今村氏の案内にて望月料理店に至り、日本式の温浴をなし、かつ日本式の晩餐を喫す。すべての設備は、東京の料理店と毫も異なることなし。庭前には海水の岸頭を洗うありて、風光また佳なり。今夕満月なるも、淡雲ありて清朗ならず。

 四日、晴れ。午時、総領事の好意により、送別の午餐を授けらる。午後五時出航す。上野、赤井、今村、石田、勝又等の諸氏十余名の送行をかたじけのうす。夜に入りて一天片雲なく、明月ひとり皓々たり。

檀山去入有無中、船走斜陽影外風、万頃波頭雲不礙、一輪明月照荒洪。

檀山(ホノルル)を去って有るか無きかの間に入る。船はななめさす陽光のうちを走り、光の外から風が吹いてくる。広々とした海波のかなたには雲一つなく、やがて一輪の明月が果てしない海を照らしたのである。)

 ハワイはまことに絶海の孤島にして、総面積六千四百五十四方マイルあり。これをわが台湾に比するに、約二分の一に当たる。人口十六万人のうち、種々の人種別あれども、日本人多数を占め、大約七万の日本人ありという。ホノルル港のごときは四万の人口中、半数は日本人なり。ゆえに、街上を見るに日本服を着たる婦人、列をなして来往す。時まさに新年にして、軒前旭旗と松竹を飾る家、いたるところに櫛比し、また海岸には漁船の旭旗を掛くるもの多く、一見日本の孤島に来たるの思いをなす。日本新聞も『布哇新報』、『布哇日日新聞』、『日本時事』の三種あり。

 また、当地労働者の毎年日本に送金する金額、大約一千万円と称す。したがって、日本人の勢力のいかんを知るべし。実にハワイは日本移民の一大成功場たり。気候は春夏秋冬の別なく、寒暖は平均を保ち、七十度より八十度の間を出でず、昼と夜との間も、二、三度の相異あるのみ。余の滞在中は日中七十七、八度、夜間七十四、五度なりしが、年中同様の気候なりという。これ、四時のうち夏のみありて春秋冬なしというべし。

 五日、晴れ。南風暑を送り来たり、寒暖計八十度にのぼらんとす。夜に入り雲月曚々たり。

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