2話 〔運動の方法――学ばなければならぬ〕
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ところがこの運動は最も適当な運動であるが、その運動の方法が必要である。どうすれば宜いか。どうしても学ばなければならぬ。これまた維新の命令に知識を万国に求めろという御誓文の一箇条にある。世界から知識を持って来るのである。これまでは支那、印度の知識以外に日本人の脳裡になんら知識がない。ここに万国に知識を求めろという――一度知識を求めると物の善悪邪正順逆は明らかになるのである。また旧来の陋習を除いて天地の公道に基づけとある。真理に照らして有害なものをことごとく棄てろというのである。そうすると平たくいえば学べということで、どうしても盛んに学ぶことが必要である。ところが今日教育は盛んである。国民学を好むことはなかなか盛んである。国民力を盛んに教育に委ねているが、それだけでは足らない。ある意味からいえば日本は学ぶ時代である。学ぶには日本と欧羅巴と言葉が違うから、欧羅巴の言葉を学ばなければならぬ。ところが多数の国民が皆外国の語を学ぶことは出来ないのである。ここに文明協会が現代の新しい知識を、必要なる書籍を選択して翻訳するという必要が起ったのである(拍手喝采)。なるべく知識を全国に広げるというのが文明的運動の基礎を組立てるに必要で、何としても学ばなければならぬ。知識的競争、即ち学術的競争である。
今日独逸が世界の強大なる国を敵としてなお一年有余戦っているところの力は、独逸文化の力、学問の力である。独逸人が腕力の強い訳ではない。独逸人の強は少しも露西亜人の強に優れたものはない。「アングロ・サクソン」に優れたものはない。羅甸を代表する仏蘭西人は、身体は小さいか知らぬが機敏で力が強い。ところが独逸文化の力はすべての方面に入り満ちているのである。これが四方に敵を受けて今日なお防禦より攻勢を取っているゆえんである。露国に向っても仏蘭西に向っても、この節は巴爾幹に向っても四方に攻勢を取っているゆえんである。自己の領土にまだ一歩も敵を入れぬ。この力は何から起ったかといえば文明の力である。平易に説明すれば、学術の力である。
ここに於て、世界の最も優秀なる知識を表したところの種々の必要なる本を選択して、これを国民の多数に別とうというのは、実に時勢に適切な文明的運動の一つであるのである。著名なる学者方が選択して、これを続々刊行してなるべく広く知識を全国に別つ――これは迂遠なことのようであるが、これ一番近道である。無性な人は魚を気楽に取ろうとするから、魚が機敏に遁げる。淵に臨んで魚を羨むよりは網を作るに如かず。
これは次第に文明的競争に向って進む近い例がある。今日は米国とはほとんど兄弟の国のような非常な友国となっている。ところが誤てる独逸の政略のために露国は過って、十年前に日本と戦争を開いた。その時に欧羅巴は何と言ったか。ことに独逸は何といったかと言えば、白人を代表して東洋人の勃興を征伐すると言った。白人を代表して東洋人の俄に勃興したのを征伐することを夢想して、かつて独帝が悪魔が東洋から現れて来たから、君主、大統領、女皇、剣を提げて悪魔征伐に臨む画を書いた。これが黄禍論の起った根本である。東洋の悪魔征伐の名の下に正直なる露帝を、独帝の悪魔が誘惑して東洋に送らした。その時に白人を代表して日本を征伐すると言った。そこで日本人は敵に取って不足はない、何時でも御相手になろうという。好んで敵にはしないが、御出でなさるなら決して大敵を見て退くような臆病な者でない。
ところが如何に威張っても、正宗の剣も、鎮西八郎、本間孫四郎の様な遠矢も大砲の前にはつまらぬ。親船で軍艦には向えぬ。我々は文明的学問を修めて、欧羅巴の海軍陸軍をはじめ、大砲、小銃、無煙火薬等一切を学んだ。電信その他のすべてのものを学んだ。医術も学んだ。金はないが、金は欧羅巴から借りて来る。兵器、弾薬、軍艦、ことごとく欧羅巴から持って来て、欧羅巴を代表して来る敵をことごとく欧羅巴の物を以て征伐した。これは明らかな事実で、これを威張っておって正宗の剣や弓や甲冑でおれば、支那、印度と同じ運命に出遭う。これが孫子のいわゆる糧は敵に依る、敵の兵器を以て敵を打つというのである。これほど旨い兵法はない(拍手笑声起る)。金は外債、兵器弾薬皆外国から持って来る。亜米利加なり方々から密輸入をして、欧羅巴を代表して悪魔征伐に来たものを反対に征伐した。こういうので文明的運動の妙用は此処に在る(拍手喝采)。
その時に露西亜は盛んな宗教国であるから、御寺では神に祈祷をし、軍隊の前には十字架を以て和尚達が臨んで祈祷した。彼等軍隊の上には神が宿っている、悪魔には容易く勝つ、帰ったら勲章を貰う、褒美を貰う、神の下に銃砲の弾丸は中らぬと思っていた。しかし神は間違った思想に保護を与えぬ。却って日本の銃砲が能く中る。向うの銃砲の弾丸は少しも中らぬ。そこであの時は一度誤ったが、どうしてなかなかまだ今度の独逸の如き力とはよほど違っていた。露国も独逸に欺かれたため、真に露国人に愛国心が起って日本を敵としなくなった。戦い半ばに於て過てるということを悟ったのである。
ところが今度の戦争は民族的の戦争で急に恨みが解けぬ。この戦いは長く続くのである。而して独露だけではない。日耳曼スラブニックの戦いばかりでない。日耳曼とアングロサクソン、羅甸を代表する仏蘭西、あるいは東洋の一部及び土耳其人も参加している。まだ範囲は広まるかも知れぬ。印度からマホメットにも飛火しそうになった。大規模の世界の大戦争――亜米利加がこの範囲から免れているが、知らず、他日如何になり行くか。亜米利加の軍備大拡張を見ると、あるいはこの戦争の渦中に投ぜぬともいえない。