7話 第一、周遊の目的および太平洋紀行の部 第七、無形精神上の文明は競争淘汰の結果
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人あり、説をなして曰く、無形精神上の文明は、宗教の力によらざれば進むることあたわず、しかしてその宗教はヤソ教に限ると。政教子曰く、宗教は直接に人の精神に関係するをもって、その進歩すなわち精神上の文明を進むることを得るは必然なりといえども、精神上の文明を進むるの方法は、決して宗教のみに限るにあらず、いわんやその宗教はヤソ教に限るというにおいてをや。余輩、ここに至りて一言弁明せざるをえず。今、ヤソ教は精神上の文明を進むるの力あるゆえんを証せんと欲せば、まず歴史上、ヤソ教と西洋の文明の関係を知らざるべからず。中古、ヤソ教の欧州を一統し、学問、芸術みなヤソ教にもとづきて講究したる時は、精神上の文明最も発達せざりし時なり。すなわち、この時を歴史上にて中古の暗世と称す。しかして、近世文化のにわかに興りたるは、ヤソ教中より出でたる結果にあらずして、ヤソ教外より発したる影響なり。すなわち、十字軍の東征よりアメリカ発見、インド洋航海等のこと起こり、欧州の人民ただちにアラビア、インド等の新文物に接し、これをその国に伝来し、加うるに当時ギリシアの古文学再興せるをもって、新旧相合して文明の新元素を醸成するに至れり。これ、すなわち今日の文明の起源なり。そのいわゆるインド、アラビアはヤソ教国にあらず、ギリシアまたヤソ教国にあらず。果たしてしからば、ヤソ教国の文明は、仏教国、イスラム教国等の源泉より流出せるものなり。
かの近世星学の祖先たるコペルニクス、ガリレイ、ブルーノ等は、みなヤソ教の旧説に抗して天文の新知識を与えたるものなり。かの近世哲学の祖先たるデカルト、スピノザ等は、みなヤソ教の妄見を脱して思想の新世界を開きたるものなり。近世の学術の新理一歩進むごとに、ヤソ教はその旧来の解釈を変じて、学術の原則に付会せんことをつとむるにあらずや。もし、果たして欧米諸国の駸々として文明に進むゆえんのものヤソ教に由来すというときは、ヤソ教の炎勢は、その文明とともに次第にさかんならざるをえず。しかるにその教、近年に至り著しくその勢力を減じ、大いに衰微の兆候を現ぜしはいかん。もしまた、精神上の文明はヤソ教より発生すというときは、ヤソ教を信ずるものに限り美徳を有すべき理なり。しかるに、欧州上流社会はヤソ教を信ずるものかえって少なく、ヤソ教を信ぜざるものにしてかえって美徳を有する者多しという。これによりてこれをみるに、欧米精神上の文明は、決してヤソ教中より発生せるにあらず、決してヤソ教の感化をまちて進達せるにあらず、ただ社会の風俗、習慣、経験、教育等の結果なり。その風俗、習慣、経験、教育は、今日今時に始まるにあらず、数世の間、人々社会の間に競争淘汰せる結果なり。例えばここに一商あり、詐欺を用いて商業をなし、他商あり、真実を用いて商業をなし、二人相競争するときは、その結局、詐欺の真実にしかざることを知るに至る。ここにおいて、真実は商業上に必要なることの風説を社会の上に流すに至り、その説相伝えて風をなし、俗をなし、一般の性質となり、自然の教育となり、善良の商人を化成するに至るなり。ゆえに、余はこれを競争の結果という。
わが人民は数千年来太平の海波に浴し、数百年来外国の交際を絶ちしをもって、未競争、未経験の人なり。これに反して、西洋人は既競争、既経験の人なり。われがこの人民と競争して今日及ばざるは、もとより道理のあるところにして、決してその人民ヤソ教を奉信するによるにあらざるは明らかなり。しかるに、わが邦人もしこの道理を知らずして、精神上の進歩はひとりヤソ教に任じて、さらにこれを進歩する方法を講ぜざるときは、ただにその進歩の実功を見ざるのみならず、余はなはだ恐る、わが国の文明はようやく退歩して、欧州中古の暗世と同一に帰せんことを。これ、余が欧州政教の実際上の関係を視察せんことを欲せしゆえんなり。これ、余が今度遠遊を計画したるゆえんなり。