きりしとほろ上人伝

2話 きりしとほろ上人伝(2)

6,523字 約13分 1998年6月22日 公開

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 さるほどに「れぷろぼす」は、(いま)だ繩目もゆるされいで、土の牢の(やみ)の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き(わめ)くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、()(ころも)をまとうた学匠(がくしやう)が、忽然(こつねん)と姿を(あらは)いて、やさしげに問ひかけたは、

如何(いか)に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、

「それがしは、帝に(そむ)き奉つて、悪魔(ぢやぼ)に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、

「さらばおぬしは、今もなほ悪魔(ぢやぼ)に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は(かうべ)(たて)に動かいて、

「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、

「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を(ゆる)いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の(いまし)めは、(ことごと)くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃(いんぎん)に礼を()いて申したは、

「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々(しやうじやうよよ)忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、

「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも(はて)ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に(かか)いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時(いつ)か宙を踏んで、牢舎を後に飄々(へうへう)と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を(とば)いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠(おほかはほり)が、黒雲の翼を一文字に飛行(ひぎやう)する如く見えたと申す。

 されば「れぷろぼす」は(いよいよ)胆を()いて、学匠もろとも中空を射る矢のやうに(かけ)りながら、(をのの)く声で尋ねたは、

「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな大神通(だいじんづう)の博士は、世にも又とあるまじいと覚ゆる。」と申したに、学匠は忽ち底気味悪いほくそ笑みを洩しながら、わざとさりげない声で答へたは、

「何を隠さう、われらは、(あめ)が下の人間を(たなごころ)にのせて(もてあそ)ぶ、大力量の剛の者ぢや。」とあつたによつて、「れぷろぼす」は始めて学匠の本性が、悪魔(ぢやぼ)ぢやと申すことに合点(がてん)が参つた。さるほどに悪魔(ぢやぼ)はこの問答の間さへ、妖霊星の流れる如く、ひた走りに宙を走つたれば、「あんちおきや」の都の燈火(ともしび)も、今ははるかな闇の底に沈みはてて、やがて足もとに浮んで参つたは、音に聞く「えじつと」の沙漠でおぢやらう。幾百里とも知れまじい砂の原が、有明の月の光の中に、夜目にも白々と見え渡つた。この時学匠は爪長な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、

「かしこの藁屋(わらや)には、さる有験(うげん)の隠者が住居(すまひ)致いて居ると聞いた。まづあの屋根の上に下らうずる。」とあつて、「れぷろぼす」を小脇に抱いた(まま)、とある沙山(すなやま)陰のあばら家の(むね)へ、ひらひらと空から舞ひ下つた。

 こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の(おきな)ぢや。折から夜のふけたのも知らず、油火(あぶらび)のかすかな光の下で、御経(おんきやう)読誦(どくじゆ)し奉つて居つたが、(たちま)ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも(まが)はうず桜の花が紛々と(ひるがへ)(いだ)いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城(けいせい)が、鼈甲(べつかふ)(くし)(かうがい)を円光の如くさしないて、地獄絵を()うた(うちかけ)(もすそ)を長々とひきはえながら、天女のやうな(こび)(こら)して、夢かとばかり眼の前へ現れた。翁はさながら「えじつと」の沙漠が、片時の内に室神崎(むろかんざき)(くるわ)に変つたとも思ひつらう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどは惚々(ほれぼれ)傾城(けいせい)の姿を見守つて居つたに、相手はやがて花吹雪(はなふぶき)を身に浴びながら、につこと微笑(ほほゑ)んで申したは、

「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に()むとやら承つた伽陵頻伽(かりようびんが)にも劣るまじい。さればさすがに有験(うげん)の隠者もうかとその手に乗らうとしたが、思へばこの真夜中に幾百里とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾城(けいせい)などの来よう筈もおぢやらぬ。さては又しても悪魔(ぢやぼ)めの悪巧みであらうずと心づいたによつて、ひたと御経に眼を(さら)しながら、専念に陀羅尼(だらに)()し奉つて居つたに、傾城はかまへてこの隠者の翁を落さうと心にきはめつらう。蘭麝(らんじや)の薫を漂はせた綺羅(きら)の袂を(もてあそ)びながら、嫋々(たよたよ)としたさまで、さも恨めしげに歎いたは、

如何(いか)に遊びの身とは申せ、千里の山河も(いと)はいで、この沙漠までまかり下つたを、さりとは(きよく)もない御方かな。」と申した。その姿の(たへ)にも美しい事は、散りしく桜の花の色さへ消えようずると思はれたが、隠者の翁は遍身(へんしん)に汗を流いて、降魔の呪文を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔(ぢやぼ)の申す事に耳を借さうず気色(けしき)すらおりない。されば傾城もかくてはなるまじいと気を(いらだ)つたか、つと地獄絵の(もすそ)(ひるがへ)して、斜に隠者の膝へとすがつたと思へば、

「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い口説(くど)いた。と見るや否や隠者の翁は、(さそり)に刺されたやうに躍り上つたが、早くも肌身につけた十字架(くるす)をかざいて、霹靂(はたたがみ)の如く(ののし)つたは、

業畜(ごふちく)御主(おんあるじ)『えす・きりしと』の下部(しもべ)に向つて無礼(むらい)あるまじいぞ。」と申しも果てず、てうと傾城の(おもて)を打つた。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏しまろんだが、忽ちその姿は見えずなつて、唯一むらの黒雲が湧き起つたと思ふほどに、怪しげな火花の雨が(つぶて)の如く乱れ飛んで、

「あら、痛や。又しても十字架(くるす)に打たれたわ。」と(うめ)く声が、次第に家の(むね)にのぼつて消えた。もとより隠者はかうあらうと心に()して居つたによつて、この間も秘密の真言(しんごん)を絶えず声高(こわだか)()し奉つたに、見る見る黒雲も薄れれば、桜の花も降らずなつて、あばら家の中には又もとの如く、油火ばかりが残つたと申す。

 なれど隠者は悪魔(ぢやぼ)障碍(しやうげ)(なほ)もあるべいと思うたれば、夜もすがら御経の力にすがり奉つて、目蓋(まぶた)も合はさいで(あか)いたに、やがてしらしら明けと覚しい頃、誰やら柴の(とぼそ)をおとづれるものがあつたによつて、十字架(くるす)を片手に立ち出でて見たれば、これは又何ぞや、藁屋の前に(うづくま)つて、(うやうや)しげに時儀(じぎ)を致いて居つたは、天から降つたか、地から湧いたか、小山のやうな大男ぢや。それが早くも(あけ)を流いた空を黒々と肩にかぎつて、隠者の前に頭を下げると、恐る恐る申したは、

「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおぢやる。ちかごろふつと悪魔(ぢやぼ)下部(しもべ)と相成つて、はるばるこの『えじつと』の沙漠まで参つたれど、悪魔(ぢやぼ)御主(おんあるじ)『えす・きりしと』とやらんの御威光には叶ひ難く、それがし一人を残し置いて、いづくともなく逐天(ちくてん)致いた。自体それがしは今天が下に並びない大剛の者を尋ね出いて、その身内に仕へようずる志がおぢやるによつて、何とぞこれより後は不束(ふつつか)ながら、御主『えす・きりしと』の下部の数へ御加へ下されい。」と云うた。隠者の翁はこれを聞くと、あばら家の門に(たたず)みながら、俄に眉をひそめて答へたは、

「はてさて、せんない仕宜(しぎ)になられたものかな。総じて悪魔(ぢやぼ)の下部となつたものは、枯木に薔薇の花が咲かうずるまで、御主『えす・きりしと』に知遇し奉る時はござない。」とあつたに、「れぷろぼす」は又ねんごろに頭を下げて、

「たとへ幾千歳を経ようずるとも、それがしは初一念を貫かうずと決定(けつぢやう)致いた。さればまづ御主『えす・きりしと』の御意(みこころ)に叶ふべい仕業の段々を教へられい。」と申した。所で隠者の翁と山男との間には、かやうな問答がしかつめらしうとり交されたと申す事でおぢやる。

「ごへんは御経(おんきやう)の文句を心得られたか。」

生憎(あいにく)一字半句の心得もござない。」

「ならば断食は出来申さうず。」

如何(いか)なこと、それがしは聞えた大飯食ひでおぢやる。中々断食などはなるまじい。」

「難儀かな。夜もすがら眠らいで居る事は如何あらう。」

「如何なこと、それがしは聞えた大寝坊でおぢやる。中々眠らいでは居られまじい。」

 それにはさすがの隠者の翁も、ほとほと(ことば)のつぎ穂さへおぢやらなんだが、やがて(たなごころ)をはたと打つて、したり顔に申したは、

「ここを南に去ること一里がほどに、流沙河(りうさが)と申す大河がおぢやる。この河は水嵩(みづかさ)も多く、流れも矢を射る如くぢやによつて、日頃から人馬の渡りに難儀致すとか承つた。なれどごへんほどの大男には、容易(たやす)徒渉(かちわた)りさへならうずる。さればごへんはこれよりこの河の渡し守となつて、往来の諸人を渡させられい。おのれ人に(あつ)ければ、天主も亦おのれに篤からう道理(ことわり)ぢや。」とあつたに、大男は大いに勇み立つて、

「如何にも、その流沙河とやらの渡し守になり申さうずる。」と云うた。ぢやによつて隠者の翁も、「れぷろぼす」が殊勝な志をことの外(よろこ)んで、

()らば唯今、御水(おんみづ)を授け申さうずる。」とあつて、おのれは水瓶(みづがめ)をかい抱きながら、もそもそと藁家の棟へ這ひ上つて、(やうや)く山男の頭の上へその水瓶の水を注ぎ下いた。ここに不思議がおぢやつたと申すは、得度(とくど)の御儀式が終りも果てず、折からさし上つた日輪の爛々(らんらん)と輝いた真唯中から、何やら雲気がたなびいたかと思へば、忽ちそれが数限りもない四十雀(しじふから)の群となつて、空に(そび)えた「れぷろぼす」が(くさむら)ほどな頭の上へ、ばらばらと舞ひ下つたことぢや。この不思議を見た隠者の翁は、思はず御水を授けようず方角さへも忘れはてて、うつとりと朝日を仰いで居つたが、やがて(うやうや)しく天上を伏し拝むと、家の棟から「れぷろぼす」をさし招いて、

勿体(もつたい)なくも御水を頂かれた上からは、向後(かうご)『れぷろぼす』を改めて、『きりしとほろ』と名のらせられい。思ふに天主もごへんの信心を深う(よみ)させ給ふと見えたれば、万一勤行(ごんぎやう)懈怠(けたい)あるまじいに於ては、必定(ひつぢやう)遠からず御主『えす・きりしと』の御尊体をも拝み奉らうずる。」と云うた。さて「きりしとほろ」と名を改めた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。

     四 往生のこと

 さるほどに「きりしとほろ」は隠者の翁に別れを告げて、流沙河のほとりに参つたれば、まことに濁流滾々(こんこん)として、岸べの青蘆(あをあし)(そよ)がせながら、百里の波を翻すありさまは、容易(たやす)く舟さへ通ふまじい。なれど山男は身の丈(およ)そ三丈あまりもおぢやるほどに、河の真唯中を越す時さへ、水は僅に(ほぞ)のあたりを渦巻きながら流れるばかりぢや。されば「きりしとほろ」はこの河べに、ささやかながら(いほり)を結んで、時折渡りに(なや)むと見えた旅人の影が眼に触れれば、すぐさまそのほとりへ歩み寄つて、「これはこの流沙河の渡し守でおぢやる。」と申し入れた。もとより並々の旅人は、山男の恐しげな姿を見ると、如何なる天魔波旬(てんまはじゆん)かと(はじめ)は胆も()いて逃げのいたが、やがてその心根のやさしさもとくと合点(がてん)行つて、「然らば御世話に相成らうず。」と、おづおづ「きりしとほろ」の(せな)にのぼるが常ぢや。所で「きりしとほろ」は旅人を肩へゆり上げると、毎時(いつ)(みぎは)の柳を根こぎにしたしたたかな杖をつき立てながら、逆巻く流れをことともせず、ざんざざんざと水を分けて、難なく向うの岸へ渡いた。しかもあの四十雀(しじふから)は、その間さへ何羽となく、さながら楊花(やうくわ)の飛びちるやうに、絶えず「きりしとほろ」の頭をめぐつて、嬉しげに(さへづ)(かは)いたと申す。まことや「きりしとほろ」が信心の(かたじけな)さには、無心の小鳥も随喜の思にえ堪へなんだのでおぢやらうず。

 かやう致いて「きりしとほろ」は、風雨も厭はず三年が間、渡し守の役目を勤めて居つたが、渡りを尋ねる旅人の数は多うても、御主「えす・きりしと」らしい御姿には、絶えて一度も知遇せなんだ。が、その三年目の或夜のこと、折から凄じい嵐があつて、神鳴りさへおどろと鳴り渡つたに、山男は四十雀と庵を守つて、すぎこし方のことどもを夢のやうに思ひめぐらいて居つたれば、忽ち車軸を流す雨を圧して、いたいけな声が響いたは、

「如何に渡し守はおりやるまいか。その河一つ渡して給はれい。」と、聞え渡つた。されば「きりしとほろ」は身を起いて、外の闇夜へ揺ぎ(いだ)いたに、如何なこと、河のほとりには、年の頃もまだ十には足るまじい、みめ清らかな白衣(びやくえ)のわらんべが、空をつんざいて飛ぶ稲妻の中に、頭を()れて唯ひとり、佇んで居つたではおぢやるまいか。山男は稀有(けう)の思をないて、千引(ちびき)の巌にも劣るまじい大の体をかがめながら、慰めるやうに問ひ尋ねたは、

「おぬしは何としてかやうな夜更けにひとり歩くぞ。」と申したに、わらんべは悲しげな瞳をあげて、

「われらが父のもとへ帰らうとて。」と、もの思はしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答を聞いても、一向不審は晴れなんだが、何やらその渡りを急ぐ容子(ようす)があはれにやさしく覚えたによつて、

「然らば念無う渡さうずる。」と、双手(もろて)にわらんべをかい抱いて、日頃の如く肩へのせると、例の太杖をてうとついて、岸べの青蘆を押し分けながら、嵐に狂ふ夜河の中へ、胆太くもざんぶと身を(した)いた。が、風は黒雲を巻き落いて、息もつかすまじいと吹きどよもす。雨も川面(かはづら)射白(いしら)まいて、底にも(とほ)らうずばかり降り注いだ。時折闇をかい破る稲妻の光に見てあれば、浪は一面に湧き立ち返つて、宙に舞上る水煙も、さながら無数の天使(あんぢよ)たちが雪の翼をはためかいて、飛びしきるかとも思ふばかりぢや。さればさすがの「きりしとほろ」も、今宵はほとほと渡りなやんで、太杖にしかとすがりながら、(いしずゑ)の朽ちた塔のやうに、幾度(いくたび)もゆらゆらと立ちすくんだが、雨風よりも更に難儀だつたは、(けし)からず肩のわらんべが次第に重うなつたことでおぢやる。始はそれもさばかりに、え堪へまじいとは覚えなんだが、やがて河の真唯中へさしかかつたと思ふほどに、白衣のわらんべが重みは(いよいよ)()いて、今は(あたか)大磐石(だいばんじやく)を負ひないてゐるかと疑はれた。所で遂には「きりしとほろ」も、あまりの重さに圧し伏されて、所詮(しよせん)はこの流沙河に命を(おと)すべいと覚悟したが、ふと耳にはいつて来たは、例の聞き慣れた四十雀の声ぢや。はてこの闇夜に何として、小鳥が飛ばうぞと(いぶか)りながら、頭を(もた)げて空を見たれば、不思議やわらんべの面をめぐつて、三日月ほどな金光が燦爛(さんらん)(まる)く輝いたに、四十雀はみな嵐をものともせず、その金光のほとりに近く、紛々と躍り狂うて居つた。これを見た山男は、小鳥さへかくは雄々しいに、おのれは人間と生まれながら、なじかは三年(みとせ)勤行(ごんぎやう)を一夜に捨つべいと思ひつらう。あの葡萄蔓(えびかづら)にも紛はうず髪をさつさつと空に吹き乱いて、寄せては返す荒波に乳のあたりまで洗はせながら、太杖も折れよとつき固めて、必死に目ざす岸へと急いだ。

 それが凡そ一時(ひととき)あまり、四苦八苦の内に続いたでおぢやらう。「きりしとほろ」は(やうや)く向うの岸へ、戦ひ疲れた獅子王のけしきで、(あへ)ぎ喘ぎよろめき上ると、柳の太杖を砂にさいて、肩のわらんべを抱き下しながら、吐息をついて申したは、

「はてさて、おぬしと云ふわらんべの重さは、海山(うみやま)(はか)り知れまじいぞ。」とあつたに、わらんべはにつこと微笑(ほほゑ)んで、頭上の金光を嵐の中に一きは燦然ときらめかいながら、山男の顔を仰ぎ見て、さも懐しげに答へたは、

「さもあらうず。おぬしは今宵と云ふ今宵こそ、世界の苦しみを身に(にな)うた『えす・きりしと』を負ひないたのぢや。」と、鈴を振るやうな声で申した。……

       ―――――――――――――――

 その夜この方流沙河のほとりには、あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなつた。唯後に残つたは、向うの岸の砂にさいた、したたかな柳の太杖で、これには枯れ枯れな幹のまはりに、不思議や(うるは)しい(くれなゐ)の薔薇の花が、(かぐは)しく咲き誇つて居つたと申す。されば馬太(またい)御経(おんきやう)にも(しる)いた如く「心の貧しいものは仕合せぢや。一定(いちぢやう)天国はその人のものとならうずる。」

(大正八年四月)

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