4話 四 『あいびき』及び『めぐりあい』
読み方を変える
丁度同時代であった。徳富蘇峰は『将来之日本』を挈げて故山から上って帝都の論壇に突入し、続いて『国民之友』を創刊して文名隆々天下を圧する勢いがあった。当時の青年は皆その風を望んで蘇峰に傾倒し、『国民之友』は殆んど天下の思想界に号令する観があった。二葉亭もまた蘇峰が高調した平民主義に共鳴し、臂を把って共に語る友と思込んで、辞を低うし礼を尽して蘇峰を往訪した。が、熱烈なる天才肌の二葉亭と冷静なる政治家気質の蘇峰と相契合するには余りに距離があり過ぎたから、応酬接見数回を重ねた後はイツとなく疎遠となってしまった。が、天下の英才を集めて『国民之友』を賑わすのを片時も怠らなかった蘇峰はこの間に二葉亭のツルゲーネフの飜訳を紙面に紹介して読書界の耳目を聳動した。『浮雲』は初め春廼舎の作として迎えられ、二葉亭の名が漸く知られて来てからもやはり春廼舎の影武者であるかのように思われていた。二葉亭の存在が初めて確実に世間に認められたのは『浮雲』よりはむしろ『国民之友』で紹介された翻訳の『あいびき』であった。
その頃の飜訳は皆筋書であった。大体の筋さえ通れば勝手に省略したり刪潤したり、甚だしきは全く原文を離れて梗概を祖述したものであった。かつ飜訳家の多くは邦文の造詣に貧しいただの語学者であったから、飜訳文なるものは大抵ゴツゴツした漢文崩しやあるいは舌足らずの直訳やあるいは半熟の馬琴調であって、西文の面影を偲ぶに足らないは魯か邦文としてもまた読むに堪えないものばかりだった。この非芸術的濫訳横行の中にあって、二葉亭の『あいびき』は殆んど原作の一字一句をも等閑にしない飜訳文の新らしい模範を与えた。後年盛んに飜訳し出した頃二葉亭は『あいびき』時代を追懐して、「あの時分はツルゲーネフを崇拝して句々皆神聖視していたから一字一句どころか言語の排列までも原文に違えまいと一語三礼の苦辛をした、あんな馬鹿骨折は最う出来ない、今ならドシドシ直してやる、」と笑った事があった。『あいびき』の訳文の価値は人に由て区々の議論があろうが、苦辛惨澹は実に尋常一様でなかった。
が、余り原文に忠実であり過ぎたため、外国文章の句法辞法に熟する人でなくてはとても理解されない難かしいものとなった。尤も当時のタワイない低級小説ばかり読んでる読者に対して一足飛びにツルゲーネフの鑑賞を要求するは豚に真珠を投げるに等しい無謀であって、大抵な読者は最初の五、六行から消化し切れないで降参してしまった。この難解の訳文を平易に評釈して世間に示し、口を極めて原作と訳文との妙味を嘖々激称したは石橋忍月であった。当時の一般読者が『あいびき』の価値をほぼ了解してツルゲーネフを知り、かつ二葉亭の訳文の妙を確認したは忍月居士の批評が与かって大に力があった。
続いて『都之花』の発刊と共に『めぐりあい』が五号に渉って連載された。『あいびき』に由てツルゲーネフの偉大と二葉亭の訳筆の価値とを確認した読者は崑山の明珠を迎うる如くに珍重愛惜し、細さに一字一句を翫味研究して盛んに嘖々した。が、普通読者間にはやはり豚に真珠であって、当時にあってこの二篇の価値を承認したものは真に寥々晨星であった。が、同時にこの二篇に由て初めて崇高なる文学の意義を了解し、堅実なる新らしい文学の基礎を固め、もしくは感激して新文芸の開拓を志すに至ったものは決して少くなかった。国木田独歩の如きは実にその一人であって、独歩一派の自然主義運動は実にこの『あいびき』と『めぐりあい』とに発途しておる。短かい飜訳であるが啻だ飜訳界の新生面を開いたばかりでなくて、新らしい文芸の路を照すの光輝ともなった。その文壇に与えた効果は『浮雲』よりもかえって偉大であったかも知れない。時代の先駈者としての二葉亭の名誉は今から三十余年前にツルゲーネフを飜訳した功績だけでも十分承認しなければなるまい。