美妙斎美妙

4話 四 人気失墜の原因

2,409字 約5分 2014年8月3日 公開

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 美妙斎はドウシテ人気を失墜したろう。美妙斎について実は余り多くを知っていないから、私の憶測が(あた)るか中らないかは請合(うけあ)わないが、試みにその原因を数えようなら、

 第一、美妙斎には限らないが、少年名を成すは第一の不幸で、美妙斎は余り早くから世間に管待(もては)やされ過ぎた。詩人には随分早くから売出したのが古今珍らしくないが、美妙斎は世間に出るなり直ぐ大家となってしまった。二十(はたち)か二十一で一躍して数年以上の操觚(そうこ)の閲歴を持つ先輩を乗越して名声を博し、文章識見共に当代の雄を以て推される耆宿(きしゅく)と同格に扱われた。如何に天才でも非凡人でもこう易々(やすやす)とトントン拍子に成上ると勢い矜驕(きょうきょう)となり有頂天(うちょうてん)となるは人間の免かるべからざる弱点である。美妙斎は余りに早く大家となったために自分をもまた余りに高く買い被り過ぎて少しも造詣(ぞうけい)に励まなかった。自然頭の中が忽ち空乏となって、文章上の工風(くふう)も構想上の進歩も行詰(ゆきづま)って飽かれてしまった。

 第二、美妙斎の人気を博した第一の理由は文章上の新味であるが、この新味はこれまでの日本文には余りなかった非情物即ち草木や動物の擬人法、(たと)えば花が(ささや)いたとか犬が欠伸(あくび)したとかいうような文句や、前にもいった足利(あしかが)時代の「おじゃる」(ことば)や「発矢(はっし)!……何々」というような際立(きわだ)った誇張的の新らしい文調であったので、初めの珍らしい中こそヤンヤと喝采(かっさい)されたが、段々()れると鼻に附いて飽かれてしまった。匂いの高いものは鼻に附くようになると嘔吐(むかつ)くほどイヤになるもんで、美妙斎の文章の新味も余り香気が高過ぎたので一時は盛んに管待(もては)やされたが、その反動として今度は極端に(きら)われるようになった。

 第三、美妙斎に限らず、創作家は余り評論をしない方が得策である。創作家と評論家とは(おの)ずから領分が違ってる。二者共に長ずる少数特殊の人を除いては、創作家は評論をするとボロが出る。どういうもんだか美妙斎は評論が好きで、やたらと幼稚な評論をしては頭の貧弱を惜気(おしげ)なく(さら)け出してしまった。殊に美妙斎の生緩(なまぬる)い冗漫の言文一致は論難に不適当であって、いとど薄弱なる議論を益々力弱くさせて世間の軽侮を招くようになった。(この点においてはかつて一度もマジメな議論をした事のない紅葉は有繋(さすが)に怜悧であった。)

 第四、美妙斎は余りに多才多能で、何でもちょっとは器用にやってのけたので、一事の完成に全力を注がなかった。創作もすれば評論もする、文学も論ずれば婦人も論ずる、小説の評判が悪くなると字引を作る、著述が受けなくなると算盤を持つ、(はなは)だしいのはラムネの製造までもして損をしたというように、始終転々して一事を貫く熱心が欠けていた。文壇に乗出したそもそもの初めこそ小説を生涯の使命とする意気込(いきごみ)があったらしいが、人気が去ってからは他の仕事に転々して、最後に再び文壇に舞戻った時は()う時代に遅れてしまって、口を(のり)するに忙がしくて捲土重来(けんどちょうらい)の花を咲かせようとする意気地が抜けていた。

 第五、美妙斎は人となりが偏狭で、誰とでも親密になれなかった。かつ誠実が多少乏しかったようである。その頃我々は大抵独身で、始終互いに往来して共に飲食する事が珍らしくなかったが、美妙と一緒に飯を()ったという話を誰からも聞いた事がなかった。勿論(もちろん)美妙の家で蕎麦(そば)一つ御馳走(ごちそう)になったという人もなかったようだ。かえって美妙を尋ねる時は最中(もなか)の一と折も持って行かないと御機嫌(ごきげん)が悪いというような影口(かげぐち)があった。かつ、文人の集まる席へ案内されても滅多に顔を出さなかった。尾崎と一緒に下宿して一つ鍋のものを突ッついた仲でありながら、文壇の羽振(はぶり)()くなると忽ち裏切してしまった。二葉亭(ふたばてい)とは親同士が同僚であって、小学時代からの友人であったが、中年以後は全く疎隔して音信不通であった。文壇人とは誰とも面識があったが、親友というものは殆んど一人もなかったようだ。であるから金港堂を離れて後の美妙斎は全く孤立して、誰とも交際(つきあ)わないから随って誰にも余り同情されないで、社会的にも私的交際にも段々存在を認められなくなってしまった。

 第六、稲舟女史との関係については真相を判断する材料を持っていないが、無責任な新聞紙に大袈裟に伝えられるほどの不徳が美妙にあったとは思われない。美妙にも必ず同情すべき気の毒な事情があったろうと思うが、平生(へいぜい)誰とも交際わないから自然文壇の同情が薄く、同情したいにも同情するだけの材料を持ってる者がなかったから、(かげ)にも日向(ひなた)にも美妙のため弁疏する事が出来ないで、新聞紙の報道を半分虚伝と思いつつも暗々裡(あんあんり)に認める外はなかった。実をいうと、日本のような道徳的基準の低い国で美妙が犯したぐらいの恋愛的過失で社会的に葬むられてしまうというのは不思議である。が、嶮峻(けんしゅん)隘路(あいろ)に立つものは拳石(こいし)にだも(つまず)いて直ぐ千仭(せんじん)の底に()ちる。人気が落ちて下り坂となった時だから、責むるに足りない(いささ)かの過失でも取返しの付かない意外な致命傷となったのであろう。愛の冷却した夫婦の結合は不自然であるとか虚偽であるとかいう勝手な理窟(りくつ)を附けて不条理極まる破縁を不人情とも没義道(もぎどう)とも思わず、あるいは三角や四角の恋愛を臆面もなく手柄顔(てがらがお)に告白するのを少しも(あやし)まない今から考えると、ただこれだけで葬むられてしまったのは誠に気の毒であった。

 以上は美妙が文壇に失墜した所以(ゆえん)の重なる理由である。それ以外に幾多の遠因も近因もあろうが、畢竟(ひっきょう)するに最後が極めて悲惨であったのは自ら求めて世間や友人の同情を薄くしたためである。文壇が美妙に(そむ)いたのではなくて美妙が文壇に背いたのである。

 だが、ドウしてこんな風に偏小狭隘求めて世間に遠ざかるようになったかというと、美妙をこんなに偏屈に孤立を好むようにならしめた所以の美妙の生立(おいた)ちの家庭の事情に(さかのぼ)らねばならないが、美妙と交際の極めて浅かった私はこれを(きわ)むるだけの材料に不足しておる。が、美妙の生立ちには一貫した一条の悲劇的径路があったように聞いている。

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