5話 五 美妙と紅葉との比較
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美妙と紅葉とは種々の点で違っていた。第一に雅号である。美妙斎美妙と名乗った理由は知らぬが、別段説明を聞かないでも解るほど露骨であって詩人の奥床しさを欠いておる。小説家よりは曲芸師染みて寄席のビラに書かれそうだ。紅葉山人というは青年時代に芝に住っていた因みから紅葉山の人という意味で命じたので、格別捻くらない処に洒落の風が現われている。第二に筆跡である。美妙斎の筆蹟は定家ようの極めて美くしい書風であったが、何となく芸人披露の名弘めの散らしの板下然として気品に欠けていた。紅葉は蜀山人を学んで、若い頃のは蜀山人以上に衒気満々としていたが、晩年はスッカリ枯れ切って蒼勁となった。蜀山人から出て蜀山人よりも力があって、何処となく豪快の風が現われていた。
風采からいっても、美妙は色白な柔々しい、ドチラかというと少し柔気て、如何にも「詩人でございます」といったような美男であったが、紅葉は色の浅黒い、苦み走った、スッキリと背の高い江戸前の、美男というよりは好男子という方であった。美妙は鯔の背のように光ったベラベラ着物に角帯をキチンと締め、イツでも頭髪を奇麗に分けて安香水の匂いをさしていたが、紅葉は燻んだ光らない着物に絞りの兵児帯をグルグル巻いて、五分刈頭の紺足袋で八幡黒の鼻緒の下駄が好きであった。万事がこんな風に著るしく違っていた。
私が先ず二人の性格の相違を著るしく感じたのは初対面の印象であった。美妙斎との初対面は前にもいった通りに何を訊いても知らざる事なく、打てば響くように直ぐ答える博覧に驚かされたが、二度三度と重なるとイツデモ一つ話ばかりをしていて博覧の奥底が忽ち看え透いて来たには嫌気が挿して来た。
紅葉を尋ねたのは美妙に会ってから三、四カ月後であった。その頃紅葉は飯田町の国学院大学の横町にお祖父さんと一緒に住んでいた。美妙の武者窓の長屋よりは気の利いた一軒建であったが、美妙が既に一人前の紳士であったと違って、紅葉はマダ書生ッぽで三畳の書斎に納まっていた。何しろ三畳敷だから二、三人座るとギッシリ詰って身動きも出来ない位で、美妙の書斎のように嚇かし道具を列べる余地もなかったし、美妙のように何でも来いと頤を撫でる物識ぶりを発揮しなかった。例えば美妙は、これなら豈夫知っていまいと窃に予期して質問した西鶴についてすらも初対面の私を煙に巻くだけの批評をしたが、紅葉はこの頃漸と『一代男』を読んだばかしで何が何やらサッパリ解らない、女の行水している処を隣りの屋根から遠目鏡で覗いている画なんぞあって面白そうだが少しも解らない、『源氏』よりは難かしいもんだと率直に答えた。美妙はディッケンスもサッカレーも鵜呑にした批評をしたが、紅葉はやはり難かしくて少しも解らないといった。字引をコツコツ引いて油汗をダクダク出して考え考え読んで、なるほどコイツは巧エやでは少とも面白くないと言った。美妙は学者然と取澄ましていたが紅葉は極めてザックバランで少しも飾らなかった。美妙の知識の領分はかなり広いようだったが、イツデモ一つ領分の中を彷徨して同じ話ばかりしていた。紅葉はこれに反して段々と新らしい領分を開拓して、会う度毎に必ず新らしい本を読んでいて新らしい話をした。
美妙斎は少しも温か味がなかった。何度会っても他人行儀で、心底から胸襟を開いて語るという事がなかった。強ち裃を付けた四角四面の切口上で応接するというわけではなかったが、態度が何となく余所々々しくて、自分では打解けてるツモリだったかも知れぬが、他には何時でも城府を設けてるように見えた。紅葉はこれに反して、腹の中には鉄条網を張って余人の闖入を決して許さなかったが、表面は城門を開放して靴でも草鞋でも出入通り抜け勝手たるべしというような顔をしていた。それゆえ美妙斎とは何年交際っても親友となる事が難かしかったが、紅葉は初対面の時から百年の友のように打解け、戯言もいえば気焔も吐いて誰とでも直ぐ肝胆を照らして語り合った。
その実、紅葉は初対面から誰でも親友扱いするが心から打解けるのではなかった。江戸ッ子風の洒脱らしく見えて実は根ッから洒脱でなかった。硯友社という小さな王国に立籠って容易に人を寄せ付けなかった。実をいったら美妙の方がリベラルで、紅葉の方が遥かにオーソドキシカルであったかも知れぬが、リベラルな美妙が人に嫌われてオーソドキシカルな紅葉がかえって人に親まれたというは紅葉の社交の才が勝れていたからで、文壇的には狭量偏固な鎖港攘夷党であっても、社交上には如才なく振舞って勢力を扶植し、硯友社以外にも多数の後援を擁していた。美妙はこれに反して自分から世間を狭くして友人にも遠ざかったから、文壇的にも社会的にも孤独無援の位置に落ちて、終に悲惨の生涯の幕を閉じた。