4話 4
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夫人は食事もろくろくしないで、その男の話を聞いていた。
「私と弟とは二人きりの兄弟ですが、母異いで、弟は私の実母が死んだ後に来た母に生れたのです。
今考えると継母と継母の実兄、つまり私の伯父にあたる人ですが、その二人は腹を合せていて弟に伯爵家を相続させ、同時に全財産を弟のものにしたかったんだと思います。
私は継母や伯父に甘やかされて育ち、弟は厳格に育ちました。継母は私に対しては実に優しく、何でも云いなり放題になってくれます、お小遣は父に内緒でいくらでも呉れますし、何事によらず私は自分の思うままに振舞って、実に我儘一杯に育ちました。
中学を卒業する一年ほど前、当時ジョホールで大農園を経営していた伯父は何年振りかで帰朝いたしました。伯父は実の甥の弟よりも、私の方を大変可愛がってくれまして、どこへ行くにも私を連れて歩きました。遊びを覚えたのはその時が最初でした。しかも指導者は現在の伯父ではありませんか。
私は金が自由になるのと身分があるのとで、どこへ行っても大いにもてました。若様々々と大切にされ、いい気持になって遊び暮らして、果ては外泊する事さえあるようになったんです。厳格な父の手前は母がうまくつくろってくれ、陰になり日向になりしてかばっていてくれるので、父は何も知りませんでした。
中学へ遅れて入学した私と、早く入学した弟とは同級だったのです。
火花を散らすような勉強を強いられる者と、酒色にふけって学校なんかろくすっぽ行かない者とその二人が一緒に一高の試験を受けたわけなんですが、弟が美事に及第して、私が落第したって別に不思議はないはずですのに、私は非常に憤慨して、彼を恨みました。
少しくやけになっている処へ、何も知らない父は弟がよく出来るというので、私よりも次第に彼の方を可愛がるようになり、私の事は懶け者だの、低能だの、と顔を見る度に罵倒するので、我慢しきれなくなって、恰度ジョホールへ帰ろうとしている伯父に従いて、私も南洋へ行ってしまったんです。
なアに日本にばかり陽は照らないさ。という伯父の言葉は大変に嬉しかったんです。
私は自分の悪い事はすっかり棚に上げ、父をも母をも弟をも恨んでいました。
ジョホールに着いて間もなく、伯父は私を慰めてくれる積りだったのでしょう、虎狩に連れて行きました。山蛭に悩まされた記憶はいまだに忘れられませんが、それよりもなお一層忘れられない恐しいことがあったのです。それは一緒に連れて行った苦力が逃げ遅れて、虎に喰い殺された時の光景です。実に今思い出してもゾッといたします。
伯父は、お前が虎に喰い殺された。と云って、東京の家の者達を驚かせてやったら面白かろう、と冗談交じりに云いました。そいつはうまい考えだと手をうって喜んだものです。
――家の奴等、どんな顔をしやあがるか、愕くかな、悲むかな。
そんな詰らぬ事を考えながら、うかうかと伯父の口車にのって私が死んだと知らせてやったんです。そしてひそかに皆の驚く顔を想像して、愉快で、愉快でたまらなかったのです。生きていて、自分の死んだ後の皆の態度を見ていてやる、何と面白い計画ではありませんか。
伯父の妻はイタリー人でした。子供はありませんでした。伯父は伯爵家なんか相続せずとも、俺の家を継げばいいじゃないか、爵位なんかに縛られて狭い日本で暮らしたって始まらない。金さえあればどこへ行ったって面白可笑しく自由な生活が出来ると申します。なるほど伯父の家は大変な金持でした。
軈て東京から弔電が来たり、死亡広告が大きく出た新聞を送って来たりしました。継母は日々泣き悲しんで、大切な相続人を当人の希望とはいえ、南洋なんかへやるんじゃなかったと悔み、これが弟の方だったらまだあきらめもつくが、と歎いた手紙をよこしました。私はちょっと痛快でした。早速遺骨になりと逢いたい。弟が自身で受取りに行くと申してきかない、などという音信がある度毎に、自分の死んだ後のありさまを、目のあたりに見る愉快さに、夢中になって居りました。
弟に来られては大変だというので、早速死んだ苦力の白骨を、伯父が携えて上京したものです、私は自分の狂言がうまく当ったのに北叟笑んで、その後の成り行きを眺めておりました。
そして相変らず遊んでいました、土人の娘を引張って来たり、西洋人と同棲してみたり、放蕩のかぎりを尽していたのですが、そういうただれた私の魂にも、一つ忘れられない清らかな、心を洗われるような想い出があったのです。それは幼少の頃からの許嫁だった従妹の智恵子の事でした。
智恵子はどうしたろう。と思うのですが、こんなすれっからしになった私ですのに、智恵子の事だけはどういうものか耻しくって、伯父にもその消息を訊けませんでした。
夢のように十年が過ぎました。
伯父は脳溢血で突然、遺言状も残さずに死にました。私の相続はまだ正式になってはいませんでした。遺産は全部妻の所有となり、妻はあと片附けをすっかりすませると、故郷のイタリーへ帰って往ってしまいました。そして私はまるではだかで、ジョホールにたった一人取り残されてしまったのです。
それからの私の生活は、お話にも何もならない、惨憺たるものでした。