17話 (四)の四
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挨拶が済むと、静子は直ぐ、智恵子が片付けかけた裁縫物に目をつけて、
『まあ好い柄ね。』
『でも無いわ。』
『貴女ンの?』
『正可! 這小いの着られやしないわ。』と、笑ひ乍ら縫掛のそれを抓んで見せる。
『梅ちやんの?』と少し声を潜めた。
『え、新坊さんと二人の。』
『然う?』と言つて、静子は思ひ有気な眼付をした。無論、智恵子が買つて呉れたものと心に察したので。
智恵子は身の周囲を取片付けると、改めて嬉気な顔をして、
『よく被来つたわね!』
『貴女は些とも被来つて下さらないのね?』
『済まなかつたわ。』と何気なく言つたが、一寸目の遣場に困つた。そして、微笑んでる様な静子の目と見合せると色には出なかつたが、ポツと顔の赧むを覚えた。静子清子の外には友も無い身の、(富江とは同僚乍ら余り親くしなかつた。)小川家にも一週に一度は必ず訪ねる習慣であつたのに、信吾が帰つてからは、何といふ事なしに訪ねようとしなかつた。
『今日お多忙しくつて?』
『否、土曜日ですもの、緩りしてらしつても可いわね?』
『可けないの。今日は私、お使者よ。』
『でもマア可いわ。』
『アラ、貴女のお迎ひに来たのよ。今夜アノ、宅で加留多会を行りますから母が何卒ツて。……被来るわね?』
『加留多、私取れなくつてよ。』
『マア、貴女御謙遜ね?』
『真箇よ。随分久く取らないんですもの。』
『可いわ。私だつて下手ですもの。ね、被来るわね?』と静子は姉にでも甘へる様な調子。
『然うね?』と智恵子は、心では行く事に決めてゐ乍ら、余り気の乗らぬ様な口を利いて、『誰々? 集るのは?』
『十人許よ。』
『随分多勢ね?』
『だつて、宅許りでも選手が三人ゐるんですもの。』
『オヤ、その一人は?』と智恵子は調戯ふ様に目で笑ふ。
『此処に。』と頤で我が胸を指して、『下手組の大将よ。』と無邪気に笑つた。
智恵子は、信吾が帰つてからの静子の、常になく生々と噪いでゐることを感じた。そして、それが何かしら物足らぬ様な情緒を起させた。自分にも兄がある。然し、その兄と自分の間に、何の情愛がある?
智恵子は我知らず気が進んだ。『何時から? 静子さん。』
『今直ぐ、何物も無いんですけど晩餐を差上げてから始めるんですつて。私これから、清子さんと神山さんをお誘ひして行かなけやならないの、一緒に行つて下すつて? 済まないけど。』
『ハ。貴女となら何処までゞも。』と、笑つた。
軈て智恵子は、『それでは一寸。』と会釈して、『失礼ですわねえ。』と言ひ乍ら、室の隅で着換に懸つたが、何を思つてか、取出した衣服は其儘に、着てゐた紺絣の平常着へ、袴だけ穿いた。
其後姿を見上げてゐた静子は、思出す事でもあるらしく笑を含んでゐたが、少し小声で、『アノ山内様ね。』
『え。』と此方へ向く。
『アノウ……』と、智恵子の真面目な顔を見ては悪いことを言出したと思つたらしく、心持極悪気に頬を染めたが、『詰らない事よ。…………でも神山さんが言つてるの。アノ、少し何してるんですつて、神山さんに。』
『何してるつて、何を?』
『アラ!』と静子は耳まで紅くした。
『正可!』
『でも富江さん自身で被仰つたんですわ。』と、自分の事でも弁解する様に言ふ。
『マア彼の方は!』と智恵子は少し驚いた様に目を瞠つた。それは富江の事を言つたのだが、静子の方では、山内の事の様に聞いた。
程なくして二人は此家を出た。