鳥影

18話 (四)の五

1,229字 約2分 2008年11月11日 公開

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 二人が医院の玄関に入ると、薬局の椅子に(もた)れて、処方簿か何かを調べてゐた加藤は、やをら其帳簿を伏せて快活に迎へた。

『や、婦人隊の方は少々遅れましたね、昌作さんの一隊は二十分許り前に行きましたよ。』

『然うで御座いますか。アノ慎次さんも被来(いらしつ)て?』

『ハ。弟は加留多を取つた事がないてんで弱つてましたが、到頭引張られて行きました。マお(あが)んなさい。コラ、清子、清子。』

 そして、清子の行く事も快く許された。

『貴君も如何で御座いますか?』と智恵子が言つた。

『ハツハヽヽ、私は駄目ですよ、生れてから未だ加留多に勝つた事がないんで……だが何です、負傷者でもある様でしたら救護員として出張しませう。』

 清子が着換の間に、静子は富江の宿を訪ねたが、一人で先に行つたといふ事であつた。

 三人の女傘(かさ)が後になり先になり、穂の揃つた麦畑(むぎばた)の中を、睦気(むつましげ)に川崎に向つた。恰度鶴飼橋の袂に来た時、其処で落合ふ別の道から来た山内と出会(でつくは)した。山内は顔を真赤(まつか)にして会釈して、不即不離(つかずはなれず)の間隔をとつて、いかにも窮屈らしい足調(あしどり)で、十間許り前方(まへ)をチヨコ/\と歩いた。

 程近き線路を、好摩四時半発の上り列車が凄じい音を(たて)て過ぎた頃、一行は小川家に着いた。(はしや)いだ富江の笑声が屋外までも洩れた。岩手山は薄紫に《ぼ》けて、其肩近く静なる夏の日が傾いてゐた。

 富江の外に、校長の進藤、準訓導の森川、加藤の弟の慎次、農学校を卒業したといふ馬顔の沼田、それに巡廻に来た松山といふ巡査まで上込(あがりこ)んで、大分話が賑つてゐた。其処へ山内も交つた。

 女組は一先(ひとまづ)別室に休息した。富江一人は彼室(あつち)へ行き此室(こつち)へ行き、宛然(さながら)我家の様に振舞つた。お柳は(あさつ)から口喧しく台所を指揮(さしづ)してゐた。

 晩餐の際には、(いかめし)い口髯を生やした主人の信之も出た。主人と巡査と校長の間に持上つた鮎釣(あゆかけ)の自慢話、それから、此近所の山にも猿が居る居ないの議論――それが済まぬうちに晩餐は終つて巡査は間もなく帰つた。

 (やが)て信吾の書斎にしてゐる離室(はなれ)に、加留多の札が撒かれた。明るい五分心の吊洋燈(つりランプ)二つの下に、入交りに男女(をとこをんな)の頭が両方から突合つて、其下を白い手や黒い手が飛ぶ。行儀よく並んだ札が見る間に減つて、開放(あけはな)した室が刻々に蒸熱くなつた。智恵子の前に一枚、富江の前に一枚……頬と頬が触れる許りに頭が集る。『春の夜の――』と山内が妙に気取つた節で読上げると、

『万歳ツ。』と富江が金切声で叫んだ。智恵子の札が手際よく抜かれて、第一戦は富江方の勝に帰した。智恵子、信吾、沼田、慎次、清子の顔には白粉が塗られた。信吾の片髯が白くなつたのを指さして、富江は声の限り笑つた。一同(みんな)もそれに和した。沼田は片肌を脱ぎ、森川は立襟の洋服の(ボタン)(はづ)して風を入れ乍ら、乾き掛つた白粉で皮膚(かは)痙攣(ひきつ)る様なのを気にして、顔を妙にモグ/\さしたので、一同(みんな)(また)笑つた。

『今度は復讐しませう。』と信吾が言つた。

『ホホヽヽ。』と智恵子は唯笑つた。

『新しく組を分けるんですよ。』と、富江は誰に言ふでもなく言つて、(いそが)しく札を切る。

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