4話 カフェー・ドラゴン
読み方を変える
初子のはしゃいだ声がボックスを賑わしていた。美佐子はラウンド達を連れて彼女のお客へ挨拶へ出た。
そこへ夢丸というラウンドの一人が長い袖をひらひらさせながらやって来て、初子の耳に唇を寄せ、何か囁いた。彼女は忽ち眉をよせ、舌打ちしながら、烈しく首を振った。夢丸は心得て引き退った、が、間もなくまたやって来て、
「駄目よ、おねえさん、どうしても帰んないわ。――だから、ちょいと来て頂戴な」と歎願した。初子はカッとして、
「放っちゃっておきよ。ゴリラなんか――、構わないでおけば帰っちまうさ」と甲高い声で云い放った。
「酷いことを云うなよ。僕は遠慮するとしよう」客は不快な顔をして起ち上ると、皆が止めるのもきかないで、さっさと表口の方へ行った。初子は大分酔っていたので、足許も危ぶなかしく後を追い馳けたが、ふと、入口のところに佇んでいる吉川を見ると、
「何だって、商売の邪魔をするのさ、あんたなんかに用はないよ」といきなり突掛った。
「そっちになくったって、こっちにゃあるんだ」
「執拗い男だわね、用があるなら台所口へ廻って頂戴、表に立っていられちゃ縁起が悪るくって仕様がない!」
美佐子は見兼ねて、吉川を三階の衣裳部屋へ案内して、
「初子さんを連れて来て上げるから、ここで待っていらっしゃい」と言って、マッチと灰皿を彼の前に置いてから、初子のところに戻り、「早く会って、帰してしまった方がいいわよ。余り怒らせると反って損だから」と注意して、無理やりに彼女を衣裳部屋へ送り込んだ。
「一体どんな用があって、こんな忙しい時間にやって来るのさ」
吉川は黙って青い顔をしていたが、恐い眼をして初子をぐッと睨みつけ、
「百合子をどこへかくした?」
「知らないわよ、そんなこと――」
「白状しろ、百合子はどこにいるんだ?」
「知らないもの、白状もくそもあるもんか」
「なにッ」
「嚇したって驚きやしないよ。吉川さんが余りうるさく附き纏うから、百合子は厭がって、逃げッちまったんでしょ」
「そうじゃない。君がかくしたんだ、君が――」
と込み上げる口惜しさをジッと耐えながら、眼を血走らせて、
「僕達の間を割いたのは君なんだから」と言って、彼は唇を噛んだ。
「割いたんじゃなくって、あんたが嫌われたんだよ。会うのが厭だから隠れてんのさ。それが分らないのか知ら、自惚れッて恐しいもんだなあ」
吉川は突然起ち上って、灰皿を叩きつけた。
「オヤ、危ぶない!――私を女だと思ってなめるのかい? さア帰っておくれ、それだから女に嫌われるんだよ。おまけに――オホホホ」
初子は殊更に彼の顔をしげしげと見上げて吹き出した。吉川は歯ぎしりしながら怒鳴った。
「どうするか、覚えていろ!」
「忘れるわよ」
彼女は吸いかけのバットをポンと彼の顔に投げつけ、起ち上って階段を降りようとすると、吉川は追い縋って襟首を掴んだ。
「うるさいね、どこまでいやがられるように出来ているんだろう、帰ってくれッて言ったら、――さっさと帰れ、お前さんなんかの来るところじゃないんだよ、このゴリラ」
「こん畜生!」
吉川は初子の頬を打擲った、力をこめて、立てつづけにぶん打擲った。彼女は彼の胴中に武者振りついて、大袈裟な悲鳴を揚げ、
「人殺し! 人殺し!」と叫喚いた。
美佐子は夢中になって、
「大変だ――、誰か来て――」と叫んだ。バタバタと裏梯子を馳け昇る跫音がしたので、吉川は彼女を突き退け、階段を飛ぶように馳け降りて、表へ逃げ出した。初子は気狂いのようになって口惜しがり、
「美佐ちゃん、早く――、ゴリラを掴まえておくれよ」と騒ぐので、美佐子は吉川の後を追った。
往来へ出ると吉川はばったりと百合子に遇った。
「き、きみ――」と言って、彼は夢中で走り寄った、偶然のこの出会いを、百合子は喜んだのか愕いたのか、立ち竦んだまま、少時は身動きもしなかったが、やがて、咽喉から絞り出すような声で、
「しばらくでしたわねえ」とにっこり笑った。その一言で彼は有頂天になった。
「どこへ行くの?」と急き込んで訊いた、百合子はもじもじしながら、
「姉さんのところへ、――ちょいと、あの急用が出来て――」と言いながら、救いを求めるように美佐子へ、合図の眼を向けた。飛んだところで掴まってしまった、と美佐子は心配して、初子を呼びに行こうと思ったが、この場を離れたら百合子が嘸ぞ困るだろうと思い、思案にあまって茫然していると、吉川が、
「美佐ちゃん、邪魔すると承知しないぞ」恐い眼でじろりと睨んだ、美佐子は縮み上った。
「百合ちゃん、君に話したいことがあるんだ。ちょっと、一緒にそこまでつきあってくれ」
「じゃ、ちょいと、姉さんのところへ行って来て、それからでいいでしょう?」
「いけない、いけない。こっちは急ぐんだから」
躊躇している彼女を引き摺るようにして連れて行った。美佐子はそれを見ていながら、引きとめることが出来なかった。
「刑事さん、私の知っているのはそれだけです」
「それぎり百合子は姉さんのところへ来なかったか?」
「来ませんでした。初子さんは大変待っていましたけれど――。私は叱られるのが恐かったので、百合ちゃんが吉川さんに連れて行かれたことは黙っていましたの」
死の直前に喧嘩したという不利な事実は彼女の身上を一層悪くした。厳重追及したところ、最初は飽くまで知らぬと頑張っていたが遂いにかくし切れず、吉川と争うたこと及び桃色のリボンは彼女のものであること等を白状した。組みついた時、髪に結んでいたリボンが吉川のカフス・ボタンに引掛ってとれたのだと云った。しかし、何故彼はそれを最後の瞬間まで手離さず、握りしめていたのだろう? そこに何か意味がありそうに思われる。あるいは彼と初子との間にも秘密があったのではあるまいか、そのため一層彼女が二人の仲を厳しく云って引割こうとしたのかも知れない。杉村の初子に対する疑問はいよいよ深くなった。
百合子を殺したのは誰だろう? それもあるいは――、と考えた時、ふと彼の頭にあることが閃めいた。杉村は急に起ち上ると帽子を取って、そそくさと出て行った。