3話 〔大詰〕 第一場 布施の川べり
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十年程経った後の春のころのこと。下総の国安孫子から南東一里ばかりの利根川に沿った布施は、その対岸が常陸の国戸頭である、その渡しを七里の渡しと称えている。
(布施は松戸方面から水海道へ往来にあたる。布施は布佐などと同様に中相馬と呼ばれている土地)
布施弁天堂のある弁天山から少し離れて利根川が流れている。対岸は約半里の遠さ。
砂地へ曳きあげた、かなり大きな船を――船尾だけしか見えない――老船頭とその子の若者とが《た》でている。
船の中で船大工がマキハダを打つ音がする。
老船頭 (船底に茅火をあてながら唄う)はあ、利根はよいとこ、上中下の、どこを見たとて、花が咲く。(若者に)この船も新造下ししてから八年かなあ、来年あたりウワ廻りかけずばなんめえのう。
若い男 なあにまだ来年ということはねえ、再来年だとていいさ。なあ大工さん、そうだろうが。(船の中へ向って話しかける、が、答えはなくて、マキハダかます打つ音のみする)
老船頭 船大工はマキハダかます音で耳が利かねえんだよう。
若い男 (唄う)はあ、いなさ吹こうが、ならいが吹こが、けさの寒さに、帰さりょか。
駒形の茂兵衛(三十三、四歳)角力をやめてグレてはいった博徒仲間、約十年に鍛錬した体と共に、心もぐッと緊り、見違えるような男になっている。今は諸国をめぐる旅人風俗。道を誤ってここに来る。
茂兵衛 (老船頭に)お仕事中を相済みません。取手へ参るのには、ここの渡しからでござんすか。それとも川下の渡しへ行った方がようござんしょうか。
老船頭 ここからでもいいには良いが、取手のどこへ行くのか、先によっては下の渡しがいいか知れねえがのう。
茂兵衛 十年ばかり前に行ったことがあるのでねえ。お船頭さん、取手に安孫子屋という茶屋旅籠みてえなことをしてる家が今でもござんしょうか。
若い男 安孫子屋けえ。俺はよく知ってるが、そんな家、取手にゃねえやあ。
老船頭 いやあ有るある有る。じゃねえ元あったんだ。
茂兵衛 へえ――じゃ今はもうござんせんか。
老船頭 無え。八、九年前だったか、ばくち打ちの奴が、いやあこれはご免なせえよ。ツイ口が、辷った。
茂兵衛 構やいたしません。
老船頭 そうかね。安孫子屋は元繁昌していたが、流れの三太郎という親分が仕切って買取ってから流行らねえ続きで、半年か一年かで止めてしまった。だからこの男なぞ色気づいた頃にゃもう無え、知らねえ筈だよう。
茂兵衛 へえ左様にござんすか。どうもご親切によく教えてくださいました、有難う存じます。
老船頭 (茂兵衛の慇懃さに、頗る好意を持つ)はい、いえ、何。もしまだ聞くことがあるなら、知ってる限り、喋舌るよう、その代り俺あ、《た》でながら返事いうがねえ。
茂兵衛 お言葉に甘えて少々伺います。その安孫子屋に就いて内輪のことまでよく知っている人がおりましょうか、ご存じじゃござんせんか。
老船頭 船戸の弥八という人なら知ってるか知れねえ、流れの三太郎親分が流行病いでコロリと死んだその跡をとった人だからねえ。
茂兵衛 船戸の弥八か。弥あ公とか弥あさんとか、以前いった男ではござんせんか。
老船頭 知ってるのかね弥八を、八さんをね。
茂兵衛 いえ存じちゃおりません、名前だけ聞いたような気がいたします。変なことを伺うようですが、弥八の評判はようござんすか。
老船頭 さあ。(云い渋っている)
茂兵衛 判りました。あ奴、評判は良かねえんだ。
老船頭 (慌てて)そんなこともねえよう。
茂兵衛 なあに、ようござんす。もう一つ伺いてえのだが――ねえお船頭さん。失礼申しあげて腹を立てさせるか知れませんが、安孫子屋にいた女を一人でも二人でも、ご存じゃござんすまいか。
老船頭 (迷惑そうに)な、なにを訊くんだ、年寄りに。
茂兵衛 こ奴あ悪かった。ご免ください。
老船頭 やや、そういわれると却って痛いだ。昔のことなら俺だって、一度や二度はあすこで遊んだこともあるに。
茂兵衛 お蔦さんという女を、もしや知っちゃいませんでしょうか。
老船頭 お蔦ね、はてなあ、聞いたようだが、どの女のことだったかなあ。(船の中に向って声をかける)おい清大工、ちょっとこいよ。
老いたる船大工清吉が、船尾の上に半身を出す。
清大工 何だあ。用かあ。
老船頭 お前、取手の安孫子屋の阿魔に凝ったことがあったのう。
清大工 (破顔して)何をいうだえ。(顔を引込める)
老船頭 おうい清大工よう。冗談コにきくではねえぞ。ここにいなさる人が知りたがってるんだ。この人はだれか尋ねてるらしいだ。
清大工 (再び半身を見せて)ほうか。だれのことだね。
茂兵衛 お仕事中お手をとめさせて相済みません。もしや、十年ばかり前に、安孫子屋にいた女で、お蔦さんという人をご存じではございませんでしょうか。
清大工 お蔦というのかね。憶えていねえなあ。永くいた女なら大抵知ってるだがなあ。
茂兵衛 その時は二十三、四、色の白い、美い女でしたが――ご存じござんせんか。
清大工 (老船頭に)お前知ってねえのか。
老船頭 知ってればお前を呼ばりはしねえ。
清大工 随分お前も凝って行ってたによう。
老船頭 利根川船頭は一つ女に凝らねえさ。それが定法さ。
清大工 そうでねえ。お前の凝ってたのは、ええと、お松といったけかなあ。
老船頭 そりゃお前のだ。
清大工 そうそう。俺の女がお松だ、えらい酒食いだったけなあ。
老船頭 あの頃はまだ俺もお前も、まだまだピンピンしてたっけのう。
若い男 (《た》でている)
清大工 (感慨にうたれ、茫としている)
茂兵衛 お妨げして相済みません。取手へ参って、判らぬまでも捜して見ましょう。
老船頭 はいはい。そんなら下の渡しがいくらか近かろう。
清大工 どれ仕事しべいか。(船内にはいる。やがて、マキハダを打つ音がする)
茂兵衛 ご免ください。(笠をかむって行きかける)
この辺の博徒親分波一里儀十の子分、おぶの甚太、籠彦、堀下げ根吉の三人が飛んでくる。
籠彦 (物もいわず茂兵衛の笠を引ッ剥ぐ)
甚太 (茂兵衛の前に立ち塞がる)
根吉 (茂兵衛の背後から組みつく)
茂兵衛 (彦の肩を掴んで砂地に叩きつけ根吉の首筋へ手をかけ、前へ廻して蹴放し、打ってかかる甚太の小手をとって投げつける)何をしやがる。(笠の台座をとって棄てる)
根吉 いけねえいけねえ、人違いだ。
甚太 どうも、これは誠に済みません。
籠彦 (二人に罪を塗りつけるように)だからいわねえことじゃねえ、違ってやしねえか、大丈夫かと俺が念を押したんだ。
根吉 何をいやがる、手前が、あれだあれだといったんじゃねえか。
甚太 そうだとも、彦ッぺがいけねえんだ。
籠彦 ちえッ俺ばかり悪者にするなよ。
茂兵衛 やい。もッとこっちへ寄れ。
甚太 へ。
茂兵衛 船頭衆、大工さんがお仕事をなすっている。邪魔になるからもっとこっちへ寄れ。
籠彦 へえ。
老船頭と若い男とは船の傍で、清大工は船の上に半身を見せ、共に成行きを見ている。
茂兵衛 手前達はブ職か。
籠彦 へえ。自分より発します。お控えください。
茂兵衛 俺あ無作法だ。仁義は受けねえ。
籠彦 え。
茂兵衛 一家はどこだ。
籠彦 かよう土足裾取りましてご挨拶失礼さんでござんすがご免なさんせ、向いまして上さんとこんど初めてのお目通りでござんす、自分は総州葛飾の郡柴崎は波一里儀十若い者、籠屋彦左衛門と発し、ご賢察の通りしがない者でござんす。
茂兵衛 よし判った。お前は。
甚太 (仕方なく)おぶの甚太郎といいます。
根吉 (茂兵衛が眼で訊いているので)俺あ堀下げ根吉だ。
茂兵衛 波一里儀十さんの吩咐でやったことか、それとも一存か。
根吉 (彦が、「親分がコレコレいうから」といいそうなので、押ッ冠せて)俺達一存だ。
茂兵衛 その仔細は。
根吉 だから詫びをいっている。
茂兵衛 詫びで済ます気でやったのか。
籠彦 そ、そりゃ云い懸りだあ。
茂兵衛 次第によっては勘弁する。次第によっちゃあ、勘弁ならねえ。というのは更めていうまでもねえ、ブ職同士のことだからなあ。ええ、そうでござんしょう、そうだろうが。
籠彦 へえ。
茂兵衛 どういう筋で間違えた、聞こうぜ。おうお前いえ。(一番確りしていそうな根吉を指ざす)
根吉 この土地に荒れ寺が一軒あるんで、そこがちょくちょくシキになる。きょうも昼間から場がひらけたところ、見たことのねえ風来坊がきて、初めは何の不思議もなかったが、だんだんやりとりが重なると、そ奴の素振りが怪しくなった、で。
茂兵衛 その男と人違いか、何だその男は、場荒しか。
根吉 イカサマ師だったんだ、気がついた時より奴が逃げた方が一足先。そこで手分けして追手に出て、どうも飛んだ失礼をいたしちゃいました。
茂兵衛 そのイカサマ師が俺に似てるのか。
根吉 そういう訳じゃねえんだが。
茂兵衛 おう、お前に聞くぜ。(甚太を指ざし)イカサマ師は俺みたいに旅人姿か。
甚太 角帯をね、角帯をちゃンと締めて。
茂兵衛 年ごろも人相も違うのか。
甚太 そうなんです。
茂兵衛 似たところなしの違うだらけで、イキナリ笠を引ッ剥いで組んでかかる、打ってかかるじゃあ、気の早い者ならスパリとやるぜ。恩には着せねえが俺だから、今のぐらいのところで止まったんだ。馬鹿あ、以来、気をつけろい。(川下へ行ってしまう)
籠彦 何て野郎だ、厭な奴だったなあ。
甚太 ひでえ目にあっちゃった。だれだい、イカサマ野郎が早替りで、あんな姿に化けたんだと、悧巧そうにいやがったのは。
籠彦 (頭を掻く)
根吉 (茂兵衛を見送っている)てえした男らしい。おお、度肚を抜かれて名前を聞いとくのを忘れちゃった。さぞあの人は俺達を嗤ってるだろう。
草角力の三役まで取った波一里儀十が、子分の筋市と溢れ浪士河岸山鬼一郎と来る。
根吉 こりゃ親分さん。先生も。(辞儀をする)
儀十 イカサマ野郎はこの頃取手へきてる奴だったとよ。これから行って厳しく仕置きをするんだ。三人とも来い。
籠彦 へえ、お供します。
筋市 (根吉等に誇り気に)理詰めで俺達がビシビシ攻めつけて見せるから見ててくれ。
河岸山 (刀を叩いて)この方となると最後のところは、是非とも拙者の受持じゃ。ハハハ。
甚太 親分。(今のあったことをいいかける)
根吉 (甚太の袂をぐいと曳いて黙っていろと眼顔でいう)
儀十 彦。上の渡しへ先へ行って、船が出そうだったら待たせとけ。
籠彦 へえい。(飛んで行く)
儀十 さあ行こう。きょうは屹と面白えぜ。
上の渡しを指して儀十等は去る。話し声が少しの間、聞えてくる。イカサマ師といわれた船印彫師辰三郎(三十五、六歳)堅気に見える粋な服装かたちで、眼を配りつつ来る。
辰三郎 (髪の中より采を出し捨てる)
清大工 (その以前に船の内にはいってマキハダを打っている)
老船頭 (若い男と共に、今また《た》でかけた手をやめて、辰三郎に注目する。「この人が、儀十等に探されているのではないか」と思い)もし、もし。
辰三郎 えッ。(びッくりして、川下へ逃げ去る)
老船頭 あ――そッと教えてやろうと思ったのに。
若い男 だけれど、イカサマ賭博をしたというから、どうもこれ仕方がねえさ。
清大工 (船の上へ顔を出す)又何かあったのか。
老船頭 なあに、人が一人、駈けて行っただけだに。
清大工 あれだね。どんどん駈けて行かあ。
老船頭はでを続ける。
船頭唄が風に送られて遠く近く、聞えてくる。