一本刀土俵入 二幕五場

4話 〔大詰〕 第二場 お蔦の家

7,126字 約14分 2018年3月15日 公開

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取手の宿場から少し離れ、利根川をやや遠く望む高地にある一軒家の内。

(その家は古く建てられたもので、軒も傾き、壁も破れている。窓のある土間の上に、川魚の串刺(くしざ)しが吊るしてある。畳敷の方には仏壇代りの箱に男名前の位牌が置いてある。片隅に飴売りに出る着物、笠などと道具がある。ここの家は母子二人ぎりで、母が飴売りに出て生活(くらし)ているのだと直ぐわかる)

お蔦(三十三、四歳)子の愛にひかされて、独り身で、細々と生計を立てている。

お蔦  (飴の景物につける小さな幟と吹流しを作っている)

お君(十歳か十一歳)折ってきた山桜の枝を位牌に供えている。

街の方で子供の声がする。

子供  (声)夕焼け、小焼け、あしたも天気になあれ。夕焼け、小焼け、あしたも天気になあれ。(遠くなる)

お蔦  お君ちゃん。お前いい子だ、燈火(あかり)つけておくれな。(吹流しを作り続ける)

お君  ああ。

お蔦  気をつけてね、油をこぼさないように。

お君  ああ。(燧石(ひうちいし)を摺る、誤って指を打つ)あ痛ッ。

お蔦  (喫驚(びっくり)して起つ)どうしたの。指を打ったんじゃないかい。どれお見せ。まあ血が出て来た。痛いだろうね、我慢おし、ね。薬つけてあげるから、自分できつく抑(おさ)えといで。(昔の名残りの葛籠(つづら)の底から、成田山の疵薬を出す。薬は辛うじて残っている)少しシミるけれど、もうこれで大丈夫、今、結(ゆわ)えといてあげるよ。(小布れを探して結えてやる)さあ、もういい。あしたの朝、もう癒(なお)っているだろうよ。(燧石を摺り、行燈に灯を点ずる)

入口を手荒く開けて、いわしの北公、前より約十年老けている。土間へはいる。入口の外に波一里儀十等が立っている。

北公  (見廻して)ちえッ、薄ッ汚ねえなあ。

お蔦  どなた。おや。

北公  ちょいちょい見掛けるから、万更、忘れっ放しにもなっていめえ、北造だよ。(外の儀十等に)どうかおはいりなすってください。おいお蔦。きょうは船戸の弥八親分の名代に、客人のご案内をしてきたんだ。粗相があっちゃならねえぞ。

お蔦  (ぐッと疳に障ってきたが、我慢して黙っている、お君が怖がっているので手招ぎして抱き寄せる)

儀十  (筋市、根吉をつれて土間へはいる)

河岸山、彦、甚太は外にあり、開放(あけっぱな)しの入口の外を往ったり来たりしている。

北公  向(むこ)う地(じ)の親分、どうかご遠慮なくお検(あらた)めください。

儀十  じゃそうしょう。(お蔦に)俺あ川向うの中相馬(なかそうま)にいる波一里の儀十だ。

お蔦  どういうことでございましょう。

儀十  こんなこと、俺がじかにいわずともだ。市、訊(き)いて見ろ。

筋市  おッ。(ずッと進み出て)――お蔦、何だそんな面しやがって、お前の亭主に用があってきたんだ。亭主を出しな。

お蔦  亭主ですって、ホホホ。あたしに亭主があるもんですか。冗談(じょうだん)でしょう。

筋市  おッと、そうは抜けさせねえ。ありゃ何だ、あすこの位牌は。

お蔦  ありゃあたしの亭主の俗名が書いてあるんです。

筋市  その俗名の男を出すんだ。

お蔦  お位牌になった人が出せますか。強(た)って用があるのならようござんす、お君ちゃん、お父(とっ)さんのお位牌もっといで。

お君  (母の顔を見て心配そうに)いいの。

お蔦  ああ。この人達は、お父さんのお位牌にお話があるんだとさ。

お君  (位牌をとりに行きかける)

筋市  位牌が口でも听(き)きやしめえし、そんな物はいらねえ。

お蔦  (お君に)いらないてからお君ちゃん、いいよ。

儀十  ええ手間がかかる。市、その阿魔と餓鬼を押えつけろ、他の者は家探(やさが)ししろ。

外から彦、甚太が駈け込む、河岸山は入口の外に立って内を見ている。

お蔦  (押えんとする市の手を振り払い、掴みかかりそうにする北公に、吹流しにする色紙入りの笊(ざる)を投げつけ、お君を庇って隅の壁に倚る)何をするんだ、女子供たった二人の家へ、大の男が大勢きて、腕ずく沙汰を何だってするんだ。あたしにそんなことをされる弱い尻はないんだ。

儀十  お前になくても亭主にある。構うこたあねえ、船戸のが承知してるんだ、押え付けろ。家探ししろ。

お蔦  (市に押えつけられる)何をするんだ。ばくち打ちの癖に堅気に向って、そんなことをして済むと思うのか。

北公  (お君の襟を押えつけている)

儀十  (甚太、彦、根吉を指揮して、家探しをさせる)

河岸山 (土間にはいっている)

お君  お母さん、お母さん。

北公  ピイピイいうな。(お君の口を手で蓋する)

お蔦  (北に)な、なにするんだ、人の大事な子にそんなことをして、息が苦しいじゃないか。放してやっておくれ、頼むから放してやっておくれ。後生(ごしょう)だからそんなことをしないでおくんなさい。

筋市  蒼蠅(うるさ)い、黙れ。

お蔦  何だって大事な子にそんなことを。(猛然と起ちかかる)

筋市  ええいッ。(手荒く引据える)

儀十  (自分も一緒になって家探しする。が、何者もいない)

河岸山 (儀十に)どうだな親分。居らぬらしいではないか。

儀十  どこかへ隠れやがったか。みんな、家探しは止めろ。同じ処を二度三度検めたところで仕方がねえ、市、手を放せ。

筋市  さあ放してやらあ。(お蔦から離れる)

北公  俺も手を放してやらあ。(お君をお蔦の方へ突ッ放す)

お蔦  (お君を犇(ひし)と抱き緊(し)め、儀十等に敵意の眼を向ける)

儀十  根吉、手前の方がいい。阿魔に泥を吐かせろ。

根吉  へえ。(お蔦に)ツイ手荒くなって済まなかった、これには訳があるんだ。お前の亭主というのは辰三郎、あの位牌に書いてあるからそうなんだろう。その辰三郎は死んでやしねえ、生きているんだ。

お蔦  ――えッ、そ、そりゃ本当なんですか。

根吉  本当とも、現に俺までがこの眼で見たんだ。

お蔦  どうして辰三郎だと、友達でもないお前さんに判ったんです。

根吉  俺あもとより辰三郎なんて人知りやしねえが、元はこの土地にいた升さんという人が、見知っていて、あの男なら関宿の浜棟梁の処にいた船印彫師(だしぼりし)の辰三郎といって、十年余り前に行方知れずになった男といったので判ったんだ。

お蔦  まあ――あの、生きていてくれたのか。お君ちゃんお父さん生きてるんだって。

お君  どこへ行ってるんだろう。早くお家(うち)へくればいいのに。

河岸山 ははあ、こりゃなかなか旨(うま)く胡麻化すて。

儀十  そうだね。ヘン。(お蔦母子を侮蔑する)

根吉  辰三郎という男とお前さんとは、そこにいる子まで生(な)した深(ふけ)え仲だと判ってみれば、利根川を挟んで三堀布施(ほりふせ)、安孫子で姿を見かけたからは、どこへ行くものか女房子供のところと、こう見込みをつけるのが定式だろう。

お蔦  そう伺えばよく判ります。嘘も隠しもありません、あたし達母子は辰三郎の姿すらまだ見ないのでございます。

根吉  親分、この人のいってることは、嘘じゃねえと思いますが。

儀十  じゃ、まだ寄りつかねえのか。

河岸山 どこかで余温(ほとぼり)を冷(さま)してから来る心算(つもり)か知れぬな。

籠彦  屹とそうだ。

筋市  (彦に)黙ってろい。

北公  じゃあこうなすっては如何(いかが)で、一先ず手前親分の処までお引揚げになっては。

儀十  帰りには是非寄ると約束だ、では、お振舞いに与(あず)かろうか。

北公  直ぐに手前親分の方から、ここの家(うち)へは張り番を出しますから、皆さん。どうぞ。

儀十  市と彦とはここへ残れ。

北公  それでは恐れ入ります、皆さんどうかご一緒に、目と鼻の間ですから、張り番が上(あが)るのは直ぐでさあ。

儀十  じゃお言葉に随いましょう。さ、行こう。

入口から外へ北公、続いて儀十等が出て行く。最後は根吉。

根吉  おかみさん、もし辰三郎が帰ってきたら、こう成れば仕方がねえから、覚悟して終(しま)えというがいい。

お蔦  もし。あの、家の人は何をしたんでしょう。

根吉  生馬の眼を抜くような、ブ職の間では許されねえ悪いことをね。

お蔦  と申しますと。

根吉  堅気に化けたイカサマ師なんだ。(外へ出て戸を閉める)

お蔦  まあ。(喫驚する)

お君  お母さん、もう済んだの。何、今の人のいったこと。

お蔦  何、何んでもないさ、子供には判らないことなのさ。(散乱した色紙を笊(ざる)に入れる)それよか、もう直き、お父さんが屹と帰ってくるよ。

お君  お父さんてどんな人。

お蔦  お君ちゃんは、どんなお父さんだか知らない筈だ、お前が生れた時はもういなかったんだもの。

お君  あたい少しお父さんを憶えてる。

お蔦  どうして。

お君  だって、あたいがもっと小さい時、お菓子をくれていった人、あれが屹とお父さんだわ。

お蔦  そんなことがあったかねえ。事によるとそうかも知れない。(土間の窓が外からそっと開く)あれ。(取り縋るお君を抱く)

窓から辰三郎が顔を出す。今まで近くに潜んでいたのである。

辰三郎 あたしだ。

お蔦  どなた、どなた。(起って行き、じッと見る)まあ。

辰三郎 奴等が帰って行ったのは知っているが、だれも残ってやしないだろうな。

お蔦  ええ、だれも。お君ちゃん、お父さんだよ。

お君  (土間へ駈け出し、入口を開ける)お父さん。

お蔦  そんな声するんじゃない。

辰三郎 (窓を閉めて入口へ廻る)

お君  お父さん、あたいのお父さん。わあ。

辰三郎 (お君を抱き緊め)お父さん、逢いたかったんだ。(咽び泣く)

お蔦  (入口を閉め、父子を畳敷へ行かせ、戸に心張棒をかう)早く、そっちへ行って、早くさ。(畳敷に行く)

辰三郎 お蔦、永い間の苦労、済まない。

お蔦  お前さん、よく無事でいておくれだ。あたし達にはそれが何よりだよ。

辰三郎 何から何まで済まないことだらけだ。勘弁してくれ。

お蔦  何をいうのさ。

辰三郎 薄情な男をよく忘れないで、こうやっていてくれた。親の死水(しにみず)もとらなかった不孝の罰が今身に耐(こた)える。これからは女房子の傍(そば)を、死ぬまで必ず離れはしない。

お蔦  そうしとくれ。ねえ、この子を見てやっておくれ。

お君  (二人の間に割込み、手習双紙の字を得意になって見せ)お父さん、あたいこの字も知ってるよ。

辰三郎 うンうン。(お蔦に)永い間の不人情が今更、我が身ながら愛想がつきる。

お蔦  決して不人情じゃないよ、茶屋旅籠の女だもの、実(じつ)があるかないか、疑うのも無理じゃない。

辰三郎 それをいってくれるな、辛(つら)い。でもなあ、志州鳥羽の港にいる時、こっちにいた頃知っていた良公(よしこう)って奴があったろう、あ奴が何か間違いをして、逃げ歩いて鳥羽の港へきたんだ。良公からお前のことを聞いた時、女なんて到る処で招かずとも靡(なび)いてくるものと、永い間己惚(うぬぼ)れていた夢が一ぺんにさめてしまった。それから、こっちへ帰ろうと、船印(だし)を彫るはもとより、手当り次第に精を出し、一時は少し銭を貯めたが、病(わずら)ったので駄目になり、又稼いでいるうちに考えれば居ても起っても耐らないので、土産らしい物を持ちもしないで帰りは帰ってきたのだが。

お蔦  ああそれで判った。

辰三郎 今の奴等が喋舌(しゃべ)ったろうから隠しはしない。いくら何でも不人情をした上に、裸一貫では、敷居一つが越し難いので、もとは慰みに憶えたイカサマばくちを。(胴巻に入れた金を出し)見てくれ。剃刀の刃渡りだとは思いながら、金が欲しさに手を振って、こんなに勝って取りは取ったが、直ぐに祟(たた)りが廻ってきている。こ、これじゃあ、何にもなりゃしない。

お蔦  そんなに悔むには及ばない、夫婦親子三人で今から直ぐに、ここの土地を後にしょう。もしやお前さんが帰るか帰るかと、死んだのだろうと思いながら居ついたこの土地、もう未練なんかありゃしない。

辰三郎 そうだ。どこへ行っても日は照ってる。逃げよう。

お君  (喫驚して)逃げるの。

お蔦  そうじゃないそうじゃない。お母さんの国へ帰って行こう、ね。

お君  ああ、あの唄のところだね。

お蔦  お君ちゃん、お母さんよりあの唄はうまいねえ。(辰三郎に)お前さん、そりゃ何。

辰三郎 (手習双紙の表紙の余白に、儀十宛の書残しをしている)これか。これはイカサマで取った金を返す、それに付けてやる手紙なんだ。どうで又、奴等はここへ来るだろうから、目に付くに極っている。(金を置く)

お蔦  汚ない金なら欲しくはない。

辰三郎 金は欲しい咽喉から手が出る程。だが、もし捕まれば腕一本ヘシ折られるか、五本の指をヘシ折られるか、軽いところで中指かけて二本は不具(かたわ)にされるだろう。不具になっては又お前達に苦労をかける、それが怖いので欲しくてならないこの金だが、ここへ残して置く心算(つもり)だ。金が戻れば、あ奴等は追いかけてなぞこなかろう。

お蔦  そうだと有難いが、あ奴等ではどうだかねえ。

辰三郎 お君はおいらが背負(おぶ)って行く。

お蔦  じゃあたしは、何もないけれど、せめて子供の物だけは。まあこの子はお父さんにもう背負(おぶ)さるの。お待ち、まだだよ。(持って行く荷をつくる)

辰三郎 何、いいやな。(お君を負いかける)

お君  (辰三郎に)お母さんの国って、知ってる。(頬に触り、肩を撫ぜなどしている)

辰三郎 (曖昧ながら)ああ知ってるよ。(お君の片手を握っている)

お君  じゃ唄も知ってるね。

辰三郎 ああ、知ってるとも。(両手を両手で握る)

お君  (得意になってうたう)おらちゃ友達あ、菜種の花よ。ハア、どッこいしょのしょ。

お蔦  (お君の唄を制そうとする)

辰三郎 (お君の手を撫ぜつつ聞いている)

お君  (唄う)盛り過ぎれば、オワラ、ちらばらと。

土間の窓が開いて、茂兵衛が顔を出し、内を覘(のぞ)いている。

お蔦  (偶然気がついて)あら。

辰三郎 え。

急に窓が閉められる。

お君  (唄う)ハア、どッこいしょのしょ。これお母さんに教わったの。

辰三郎 (お蔦に)何だ。

お蔦  気の故(せい)かしら、今そこの窓から、だれだか覘いたようだったけれど。

辰三郎 えッ。(お君をお蔦の方にやり、土間へ向う)

入口の戸が外から叩かれる。

お蔦  あッ、来たッ。(纏めた荷を抛(なげう)ち、お君を引寄せ、背に負いかける)

辰三郎 (得物を求める)

茂兵衛 (外から声)ご免ください、相済みません。ちょっと申しあげます。お聞きくださいまし。

辰三郎 (度胸を据えて入口に行き、心張棒に手をかける)

茂兵衛 (声)こちらはお蔦さんと仰有います方のお家(うち)じゃございませんか、わたくしは川向うの人と交際(つきあい)を持たねえ者でござんす。

辰三郎 (低声に)お蔦。お前を呼んでいる。

お蔦  あたしを、そんな人はない筈だ。

辰三郎 (聞き澄まし、お蔦に向いて)茂兵衛という人だというが。(お蔦が知らないと首を振る、で、思い切って戸を開ける)

茂兵衛 (土間にはいり)相済みません、戸締りは元通り、なすって置くがようござんす。

辰三郎 お前さんはどなた。

茂兵衛 お眼にかかったことはござんせんが、おかみさんのお世話になった者でござんす。

辰三郎 え。

茂兵衛 (喫驚しながら怪しんでいるお蔦に向い、上(あが)り框(がまち)に両手を突き重ね、頭をさげて小腰をかがめ、楽旅(らくたび)仁義の型で)お久し振りでござんした。その節はお助けを頂き有難うござんした。

お蔦  そういうお前さんは、どなた、なんでございましょう。

茂兵衛 お見忘れはごもっともでござんす。茂兵衛でござんす。

お蔦  (独り言を)思い出せないねえ。

茂兵衛 お約束を無にいたし、こんな者に成(な)り果(は)てまして、お目通りはいたさねえ筈でござんしたが、十年振りでこっちの方へ、流れてきたので思い出して、他所(よそ)ながらお尋ねしてえと、きょう小半日うろついて、それでも判らずにおりましたが、飲み屋の女が唄う鼻唄から気がついて、聞いてみたら女飴屋の口真似だとか、それを手蔓(てづる)に方々聞き、ここへ来てみると子供の声で、昔聞いた節の唄、お蔦さん茂兵衛はモノに成り損ねましたが、ご恩返しの真似事がいたしてえ。お納めを願います。(手早く金包を置いて)ご縁次第、又お目にかかります。ご免なさんせ。(帰りかける)

お蔦  あ、待ってください。

辰三郎 (お蔦に)知らない人なのか。

お蔦  ああ、憶えがないんだ。

茂兵衛 思い出されねえのは却って仕合せでござんす、あ奴(いつ)かとわかっては面目ねえ。立退くなら早いがいい。事によったら一里ばかりは。ご免なさんせ。(戸を開けて出て行く)

お蔦  だれだろう。

辰三郎 お君の唄を聞いたといったが、国の知った人ではないのか。

お蔦  いいえ、違う。判らないもの仕様がない。地獄で仏とはこのことかしら。頂いたこのお金があるから、旅へ出ても苦労はない。

辰三郎 手間どってしまった。逃げる工夫はいくらもある。さあ、ここを出てしまおう。

お蔦  あい。

再び入口の戸が開いて、引返してきた茂兵衛がはいってくる。

茂兵衛 (驚く夫婦を制して)出ちゃいけねえ。悪いことになってきました。

辰三郎 お蔦、とうとう逃げ遅れた。逢って直ぐだが、お別れだ、お君を頼む。

お君  (辰三郎に縋り)どこへ行くの。厭だ、一緒に行こう、お母さんもよう。

お蔦  お前さん、不具(かたわ)にされても、あたしは傍(そば)を離れやしないよ。

茂兵衛 大丈夫、そんなことを奴等にさせるもんじゃござんせん。やッ、家(うち)の近くまでやってきたな。お蔦さん、子供をキッチリ抱いて、ご亭主の傍にぴッたり付いて。(外の様子に耳を向け)ここの家から外へ出るな。

辰三郎 えッ。

お蔦  (じッと茂兵衛を見ている。見憶えがあるような気がしてきている)

茂兵衛 あらまし形(かた)がついたら、その時あ親子三人、志(こころざ)す方へ飛んで行くのだ。(外から戸を敲(たた)く。心張棒をとって振ってみる)

お蔦  あッ、思い出した。

茂兵衛 そうでござんすか。面目ねえ。(戸を開く、彦が顔を出すのを突き出し外へ出て戸を閉める)

お蔦  (辰三郎に、茂兵衛のことを語る)

辰三郎 (驚きの余り、小さくなっているお君を背負いつつ、お蔦の囁きを聞く)

外に喧騒が激しく起る。

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