3話 三 コロキウム
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この時代から始まって、後ずっと理研の方で先生の亡くなられるまで続いたものに、「寺田小学校」というものがあった。この綽名は理研のF君が付けたもので、実は毎週一回午後三時から、先生を中心にして弟子達が皆集って内輪なコロキウム(雑談会)を開いたのであった。後にはその都度先生が西洋菓子を買ってこられて、論文の説明がすむと御茶にしながら勝手な討論や雑談をするのであった。先生の奇想天外なセオリーや大気焔の聴けるのもこの時であって、皆が大変楽しみにしていたものである。
このコロキウムの起りは大正十三年の夏で先生の理研入りの前年であった。大学の実験室の狭い一部屋で、Y君と私とで水素の爆発の実験をしていた時のことである。僕らがあまり本を読まなかったので、到頭先生から三人でコロキウムをやろうといい出されてしまった。論文は何でも良く、長さも随意で、ただし各人勝手な時に勝手な質問討論をして差支えなしというのである。実験室の片隅にやっと木の円椅子を三つ入れる隙間を作って、一尺に二尺位の小さい黒板を掛けてそこで始めるということになった。
それでは火曜の九時からということになって、さて当日少し寝過ぎて大急ぎで実験室へ馳けつけて見ると大変、「御両人揃ったら呼びに来て下さい寺田」といつもの赤鉛筆で紙切れに書いたものが実験台の上に載せてある。Y君ものこのこやってきて頭を掻くばかりであった。こんな時でも先生は滅多にひどく叱られるようなことはなかった。
学校のコロキウムには時々いやに難しくてとても分りそうもない題目ばかり並ぶことがある。そんな時にはこっそり逃げ出して、実験室で紅茶なんか作って太平楽を並べることが流行った。いつかそれが先生に見付かってすっかり油を搾られたことがあった。
君達コロキウムには出ないんですか、やはりなるべく出た方がいいよ。分らぬと思っても聞いているとその中にきっと何かのヒントがあるもので、それが大切なんですよ。オリジナリティというものは、何もない所から出るものじゃなくて、出来るだけ沢山の人のやったことを利用して初めて出せるものだからね。僕なんか学生時代には特に頼んで一年の時からコロキウムを聴かして貰ったものだよ。勿論分りやしなかったが、ためにはなったと今でも思っているね。