基督信徒のなぐさめ

11話 第五章 貧に迫りし時

7,053字 約14分 2021年2月13日 公開

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 四百四病のその(うち)(ひん)程つらきものはなし、心は花であらばあれ、深山(みやま)がくれのやつれ()(たれ)(おもい)を起すべき、人間万事(かね)の世の中、金は力なり威力なり、金のみは我らに市民権を与う、金なければ学も徳も人をして一市民となすを得ず、この賞讃せらるる十九世紀においては金なき人は人にして人にあらざるなり。

 我栄誉の時に友人ありしも我貧に迫りてより我は無友となれり、我窮せざりし時に我に信用ありしもわが(のう)の空しくなると同時にわが(ことば)は信ぜられざるに至れり、われ友を()うも彼れ我を見るを好まず、我れ彼に援助(たすけ)を乞えば嫌悪以て我に答う、我とともに祈りしもの、我とともに神と国とに(つか)えんと誓いしもの、我を兄弟と呼びしもの、今は我の貧なるが故に我とは別世界の人となれり、

落ぶれて袖になみだのかかる時

  人の心の奥ぞしらるる

 友を信ずるなかれ汝貧に迫りしまで、世の友人は我らの影のごとし、彼らは我ら日光に歩む(うち)は我らと共なれども暗所に至れば我らを離るるものなり、貧より来る苦痛の(うち)に世の友人に冷遇さるるこれ悲歎の第一とす。

 我の貧我独り忍ぶを得ん、しかれども我に衣食する我の母我の妻も我が貧なるが故に貧を感ぜり、我は我と境遇を同うせる古人の伝を読み以て我が貧を慰め得るとも、彼らは如何(いか)にしてこの鬱を散ずるを得んや、貧より来る苦痛の(うち)に我父母妻子の貧困を見るこれ悲歎の第二とす。

 我は食を求めざるべからず、彼処(かしこ)に到り此処(ここ)()い、(ぎょう)にあり()かんと欲する時、我貧なるが故に彼より要求さるる条件多くして我の受くべき報酬は(すくな)く、我は売人(うりて)にして彼は買人(かいて)なれば直段(ねだん)を定むるは全く彼にあり、我不平を唱えて彼の要求を(こば)めば我はただわが父母妻子とともに餓死するのみ、もし餓死するものは我一人ならば我はわが意を張りわが膝を屈せざるものを、しかれども今の我は我一人の我にあらず、我を()みしもののため、我に淑徳を立つるもののため、我は我の尊敬せざる人にも服従せざるを得ず、貧より来る苦痛の中に食のために他人に腰をかがめざるを得ずこれ悲歎の第三なり。

 富(たり)て徳足るとは真理にはあらざるべけれども確実なる経験なり、奢侈(しゃし)はもちろん不徳なり、我(とみ)たればとて(おご)らざるべし、しかれども滋養ある食物、清潔なる衣服は自尊の精神を維持するにおいて少なからざる勢力を有するものなり、我の最も嫌悪する卑陋なる思想は貧とともに我が胸中を攻撃し、我をして外部の敵と戦うと同時に内患に備うるがために常に多端ならしむ、貧より来る苦痛の中に心に卑陋なる思想の湧出するこれ悲歎の第四なり。

 貧は我をして他人を羨ましめ、我を卑屈ならしむると同時に我を無愛相なる者(Misanthropist)となすものなり、我は集会の場所を忌み、我は交際を避けんと欲す、わが心はますます寒冷頑固となり、靄然(あいぜん)たる君子の風、温雅なる淑女の(さま)は我得んと欲して得る能わず、貧は我を社会より放逐せしむるものなり、貧より来る苦痛の中に寒固孤独の念これ悲歎の第五なり。

 貧は貧を生ずるものなり、持つものには加えられ持たざるものよりはすでに持つものをも取去らる、俗にいわゆる貧すれば(どん)するとの言は心理学上の事実にして経済学上の原理なり、富者ますます富めば貧者はいよいよ貧なり、貧より来る苦痛の中にこの絶望に沈むこと、この無限の堕落を感ずることこれ悲歎の第六なり。

 ああ我如何(いか)にしてこの内外の攻撃に当らんか、貧はこの身に附くものなればこの身を殺さば貧は絶ゆべし、自殺は羅馬(ろま)の賢人カトー、シセロ等の許せし所、貧ちょう無限無終の苦痛より遁れんがためには自殺はただ一の方法ならずや、“He that dieth payeth all his debts.”(死者はことごとく負債を返還す)、我の社会に負う処、我の他人に負う所、我はこれを返却するの目的一つとしてあるなし、我は死してのみこの借財より脱するを得るにあらずや、言を()めよ汝美食美服に飽くものよ、()の一円に満たざる借銭のために身を水中に投ぜし小婦は痴愚にして発狂せしなりと、彼婦(かのふ)は世に己れの貧を訴うるの無益なるを知り、彼の純白なる小心は他人に義理を欠くに忍びずしてついにここに至りしなり。

“In she plunged boldly,

No matter how coldly

  The rough river ran ―

Picture it ― think of it

Dissolute Man !”―― Thomas Hood.

 (しか)りもし宇宙の大真理として自殺は神に対し己に対し大罪なりとの教訓の存せざりしならば貧の病を療治するために我もわが身にこの法を施さんものを、されどもああわが神よ(なんじ)(めぐみ)は我死せずして我をこの苦痛より免れ得せしむ、爾に(より)てのみ貧者も自尊を維持し得べく、卑陋ならずして高尚なるを得るなり。

 基督教は貧者を慰さむるに仏教のいわゆる「万物皆空(ばんもつみなくう)」なる魔睡的(ますいてき)の教義を以てせず、基督教は世をあきらめしめずして世に勝たしむるものなり、富めると貧なるとは前世の(さだめ)にあらずして今世における個人的の境遇なり、貧は身体の疾病と同くこれを治する(あた)わずんば(よろこん)で忍ぶべきものなり、我の貧なるもし我の怠惰放蕩より出しものなれば我は今より勤勉廉節を事とし投費せし富を回復すべきなり、天は自己を助くるものを助く、如何(いか)なる放蕩人といえども、如何なるなまけ者といえども、一度(ひるがえ)りて宇宙の大道に従い、手足を労し額に汗せば、天は彼をも見捨てざるなり、貧は運命にあらざれば我ら手を(つかね)て決してこれに(あまん)ずべきにあらず、働けよ、働けよ、世界に存する貧の十分の九は懶惰より来ることを記憶せよ、また正直(せいちょく)なる仕事は如何に下等なる仕事といえども決して(かろん)ずるなかれ、何をも為さざるは罪をなしつつあるなり(Doing nothing is doing ill)、人を欺き人を殺すのみが罪にあらざるなり、懶惰も罪なり、時を殺すも罪なり、富は祈祷のみに依て来らず、働くは祈るなり(Laborare est orare)、身と心とを神に(まか)精々(せいせい)以て働きて見よ、神も宇宙も汝を助け汝の労力は(みの)るぞかし。

 されども世には「正義のための貧」なるものなきにあらず、ロバート、サウジーいわく「一人の邪魔者の常に我身に附き(まと)うあり、その名を称して正直(せいちょく)という」と、永久の富は正直によらざるべからずといえども正直は富に導くの捷径(しょうけい)にはあらざるなり、世に清貧あることは疑うべからざる事実なり、或は良心の命を重じ世俗に従わざるが故に時の社会より遮断さるるあり、或は直言直行我の傭主を怒らし我の業を奪い取らるるあり、或は我の思想の普通観念と齟齬するが故に我に衣食を得るの途(ふさ)がるあり、或は貧家に生れて貧なるあり、或は不時の商業上の失敗に遭い、或は天災に罹りて貧に陥るあり、すなわち自己以外に源因する貧ありて黽勉(びんべん)も注意もこれを取り去る能わざるの場合あり、かくのごとくにして貧の我身に迫るあれば我は勇気を以て信仰を以てこれを忍ばんのみ、しかして基督教はこの耐忍(たいにん)を我れに与うるにおいて無上の力を有するものなり。

 一、汝貧する時にまず世に貧者の多きを思うべし、日本国民四千万人中壱ヶ年三百円以上の収入あるものはわずかに十三万人余なり、すなわち戸数百ごとに壱ヶ月二十五円以上の収入ある家はわずかに壱戸半を数う、百軒の中九十八軒は壱ヶ月二十五円以下の収入あるのみ、しかして来年の計を為し貯蓄を有するもの幾干(いくばく)かある、来月に備うる貯蓄を有せざる家何ぞ多きや、人類の過半数は軒端(のきば)()を求むる雀のごとく、山野に食を探る熊のごとく、今日は今日を以て足れりとなし、今日得しものは今日消費し、明日は明日に(まか)し、日に日に世渡りするものなり、汝の運命は人類大多数の運命なり、肥馬に(またが)る貴公子を以て普通人間と思うなかれ、彼一人安閑として世を渡り綺羅を(かぶ)り美味に(あか)んためには数千の貧人は汗滴(かんてき)労働しつつあるなり、貧は常にして富は稀なり、汝は普通の人にして彼貴公子は例外の人なり、一人にして忍び能わざるの困難も万人ともにこれを忍べば忍び易し、汝は人類の大多数とともに饑餓を感じつつあるなり。

 二、古代の英雄にして智においても徳においても遙かに汝に勝りしものが汝の貧に勝る貧苦を受けしことを思え、哲学上神学上信仰上功績上人類の(かしら)と承認せらるる使徒保羅(パウロ)は四十年間無私の労働の後に彼の所有に属するものとては外衣(がいい)一枚と古書数巻とのみなりしを思え(提摩太(テモテ)後書四章十三節)、古哲ソクラトスは日々に二斤のパンと雅典(アテンス)城の背後に湧出する清水(せいすい)とを以て満足したりしを思え、「これを文天祥(ぶんてんしょう)土窖(どこく)に比すればわが(しゃ)はすなわち玉堂金屋なり、塵垢(じんこう)の爪に()つる蟻虱(ぎしつ)の膚を侵すもいまだ我正気に敵するに足らず」と勇みつつ幽廬(ゆうろ)の中に沈吟せし藤田東湖を思え、「道義(きも)を貫き、忠義骨髄に()ち、ただちに(すべから)く死生の間に談笑すべし」と悠然として(きかつ)に対せし蘇軾(そしょく)を思え、エレミヤを思え、ダニエルを思え、和漢洋の歴史いずれなりとも汝の意に任せて渉猟(しょうりょう)し見よ、貧苦における汝の友人は多きこと蒼天の星の数のごとし。

 三、耶蘇基督の貧を思え、彼は貧家に生れ、口碑の伝うる所に依れば彼は十八歳にして父を失い、爾後(じご)死に至るまで大工職を業とし父の一家を支えしとなり、狐は穴あり空の鳥は巣ありされど人の子は枕する処だもなしとは基督地上の生涯なりき、(しもべ)はその主人に(まさ)る能わず、汝の貧困基督の貧困に勝るや、彼は貧者の友なりし、貧しきものは(さいわい)なり(路加(ルカ)六章二十節)との非常の言は彼の口より出でしなり、貧ならざれば基督を悟り難し、

“Christ was hungry, Christ was poor,

He will feed me from his store.”――

Luther's Song.

 四、富必しも富ならざるを知れ、富とは心の満足をいうなり、百万円の慾を有する人には五拾万円の富は貧なり、拾円の慾を有する人には二拾円は富なり、富むに二途あり、富を増すにあり、慾を減ずるにあり、汝今は富を増す能わず、しからば汝の慾を減ぜよ、カーライル()えるありいわく、「単数も零にて除すれば無限なり()、ゆえに汝の慾心を引下げて世界の王となれ」と、余は五拾万(どる)の富を有する貴婦人が貧を懼れて縊死せるを聞けり、金満家の内幕は必しも平和と喜悦(よろこび)とにはあらざるなり、神の子のごとき義侠、天使のごとき淑徳はむしろ貧家に多くして富家にすくなし、我らは貧にして巨人たるを得るなり、神が汝に与えし貧ちょう好機械を利用して汝の徳を高め汝の家を清めよ、快楽なる「ホーム」を造るに風琴の備附(そなえつけ)下婢(かひ)下男(げなん)雇入(やといいれ)を要せず、もし富を得るの目的は快楽にありとならば快楽は富なしにも得らるるなり、“My mind to me a kingdom is.”(心ぞ我の王国なり)、我は貧にして富むことを得るなり。

 五、汝今衣食を得るに(くる)しむ、しからば汝も空の鳥、野の百合花(ゆり)のごとくなりて汝の運命を天に任せよ、

この故に我なんじらに(つげ)ん、生命(いのち)のために何を食い何を飲みまた身体(からだ)のために何を()んと憂慮(おもいわずら)うことなかれ、生命は(かて)より(まさ)り身体は(ころも)よりも優れる者ならずや、なんじら天空(そら)の鳥を見よ(まく)ことなく(かる)ことを為さず倉に蓄うることなし然るに(なんじ)らの天の父はこれを養い賜えり、爾らこれよりも大いに(すぐ)るるものならずや、爾らのうち(たれ)かよくおもい煩いてその生命(いのち)を寸陰も延べ得んや、また何故に(ころも)のことを思いわずらうや、野の百合花(ゆり)如何(いか)にして(そだ)つかを思え、(つと)めず(つむ)がざるなり、われ爾らに告んソロモンの栄華の(きわみ)の時だにもその装いこの花の一に及ばざりき、神は今日野に在て明日炉に投入れらるる(くさ)をもかくよそわせ給えばまして爾らをやああ信仰うすき者よ、さらば何を食い何を飲みなにを()んと思いわずらうなかれ、これみな異邦人の求むる者なり、爾らの天の父はすべてこれらのものの必需(なくてならぬ)ことを知りたまえり、爾らまず神の国とその(ただしき)とを求めよさらばこれらのものはみななんじらに加えらるべし、この故に明日のことを憂慮(おもいわずら)うなかれ、明日は明日のことを思いわずらえ、一日の苦労は一日にて足れり。(馬太(マタイ)伝六章従二十五節至三十四節)

 ある仏教家この章句を評していわく基督教は人を怠惰になさしむるものなりと、然り基督教は多くの仏教徒の今日為すがごとく済世(さいせい)を怠りつつ自己の蓄財に汲々たるを奨励せざるなり、基督教は雀の朝より夕まで忙がしきがごとく人をして忙がしからしむるものなり、基督教は富のために人の思慮するを許さず、もちろん世に称する基督信徒必しもみな空の鳥野の百合花のごとくにあらず、ある者は蟻のごとく(とっ)ても(とっ)ても溜めつつあるなり、ある者は狐のごとく取りしものはみな隠し置き、いつ用うるとも知らず、ただ取るを以て快楽となしつつあるなり、しかれどもこれ基督教にはあらざるなり、汝もし温屋(おんおく)玻璃(はり)の内にナザレの耶蘇(いえす)の弟子ありと(きく)とも汝の心を(いた)ましむるなかれ。

 哲学者カントいえるありいわく「宇宙の法則を以て汝の言行とせよ」と、空の鳥野の百合花(ゆり)はこの法則に従い居ればこそ何を食い何を飲み何を()んとて思いわずらわざるなり、社会は生存競争のみを以て維持するものにあらざるなり、人は(くら)うためにのみこの世に来りしにあらざるなり、この地球は神の職工場(しょくこうじょう)なれば働くものには衣食あるは当然なり、職工場の職人は衣食のことのみを思い煩いてその職を尽し得ざるなり、我もこの宇宙に生を有し宇宙の一小部分なれば我もし天与の位置を守らば宇宙は我を養うなり、エモルソンいわく、

“If the single man plant himself indomitably on his instincts, and there abide, the huge world will come round to him.”―― The American Scholar.

〔人もしその本能の示すところに()りその上に屹立せば大世界は来て彼を補翼すべし〕

 衣食のために思考のほとんど全量を消費する十九世紀の社会も人も決して基督の理想にあらざるなり。

 六、ゆえに汝餓死せんと心配するなかれ、餓死の恐怖は人生快楽の大部分を消滅しつつあるなり、ナポレオン大帝いえるあり「食い()ぎて死するものは(くい)足らずして死するものよりも多し」と、人口稠密なるわが国においてすら餓死するものとては実に寥々(りょうりょう)たるにあらずや、天の人を恵む実に大なり、毎年八百万石余の米穀は無益有害なる酒類と変化さるるにも関せず、労力の大部分は宴会とやら装飾とやら小児遊戯的の事物に消費せらるるに関せず、人類の食糧はなお足り過ぎて毎年夥多の胃病患者を出すにあらずや、世に最も有難きものは餓死なり、明治二十二年の統計表に依れば全国において途上発病または饑餓にて死せしものは僅々(きんきん)千四百七十二人なり(消化器病にて死せしものは二十万五千余人なり)、汝真理の神を拝しその命令に従わんと勤むるものが如何(いか)でか餓死し得べけんや、ダビデ(うとう)ていわく、

われむかし年わかくして今おいたれど義者のすてられ或はその(すえ)(かて)こいあるくを見しことなし。(詩篇三十七の二十五)

 余は善人の貧するを聞けりしかれどもいまだ神を恐れしものの餓死せしを聞かず、餓死するの恐怖を捨てよ汝信仰薄きものよ。

 七、汝心を(きよ)めて良き日の来るを待て、変り易きは世の(ならい)なり、しかして幸福なるものにとりては千代も八千代も変らぬ世こそ望ましけれども不幸なるものにとっては変り行く世の中ほど楽しきものはあらざるなり、我の貧は永久まで続くべきにあらず、世の風潮の変り(きたり)て「我らの時代」とならん時は我の飢渇より脱する時なり、神はこの世の富に(まさ)る心の富を我に賜うが故に我終生貧なるとも忍び得べし、地は善人のために造られしものなれば我善と義とを慕うこと切なれば神は我に地の善き物をも賜うべし、我の今日貧なるは我の心のためにして(われ)が世の物に優りて神と神の真理とを愛せんがためなり、信仰の鍛錬すでに(たれ)り、肉慾すでに減磨せられ、我すでに富貴に負ける(うれい)なきに至て神は世の宝を以て我に授けたまうなるべし、世に最も憫察すべきものは富を有してこれを使用し能わざる人なり、富は神聖なり故に神聖なる人のみこれを使用し得るなり、我貧して「人不惟以餅生(ひとはただべいをもっていきず)」を知れり、もし(とみ)我に来るあれば我は富を以て得る能わざる宝を得んためにこれを使用すべし、我の貧なる是れ我の(とま)んとするの前徴にあらずや。

 八、我に世の知らざる食物あり(約翰(ヨハネ)伝四章三十二節)、我に永遠(かぎりなく)かわくことなき水あり(同十四節)、人霊の栄誉として最高(いとたか)きもの即ち神ならでは彼は満足し得べからざるなり(ビクトル、ヒューゴの語)、しかして我はこの最上の食と飲物(のみもの)とを有す、我(じつ)に足れるものにあらずや、如何(いか)なる珍味といえども純白なる良心に勝るものあらんや、罪より(ゆる)されし安心、神を友と持ちし快楽、永遠の希望、聖徒の交り――、我は世の富めるものに問わん、君の錦衣君の壮屋君の膳の物君の「ホーム」(もし「ホーム」なるものを君も有するならば)はこの高尚無害健全なる快楽を君に(あた)えるや否や、医師はいわずや快楽を以て食すれば麁食(そしょく)も体を養うべけれども心痛は消化を害し滋養品もその功を奏する少しと、真理は心の食物なるのみならずまた身体の食物なり、我の滋養は天より来るなり、浩然の気は誠に(まこと)に不死の薬なり、貧しきものよ悦べ天国は汝のものなればなり。

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