2話 二
読み方を変える
畠村には俳人杜国の墓がある。それが秋から冬にかけて村の人の刈草の下に深く埋められて了つてゐるのは、旅客に詩を思はずには置かぬであらう。兎に角、この半島に芭蕉翁の足跡の残つてゐるのは、なつかしいことである。翁は杜国を訪ふために、今でさへ交通の不便な、この畠村にやつて来て、そしてそこにかなりに長い淹留をしたらしかつた。『鷹一つ見つけてうれし伊良湖岬』この句が杜国に逢つた喜悦を詠じたものだと言ふのは、それは何うだか知れないけれども、兎に角、こゝから伊良湖岬の絶端まで、翁の足跡が及んでゐることを考へると、私は言ふに言はれないなつかしさを感ぜずにはゐられなかつた。
畠から伊良湖岬までは、全く荒凉とした二里半の話である。そこには最早貝殻の屋根もなければ漁網の高く夕日に曝れた漁村もなかつた。ところどころに点綴せられる人家すらもなかつた。さびしい、さびしい、北海道にでも行つたやうな荒凉とした路である。
それに、此間は越戸の大山を主峰とした小さな山脈で掩はれてゐるので、海は全くその路から見えなかつた。しかし、松は次第に多くなつて行つた。伊良湖の村に入る一里ほど手前あたりまで行くと、その小さな山脈は漸く尽きて、その隙間から、太平洋の怒濤が地を撼すやうにきこえて来た。『万葉集時代には、此処は島であつた。それは何でも此処等あたりが切れて、海水が通じてゐたらしい』こんなことを友達は指しながら言つた。私は万葉集にある伊良湖ヶ島の歌を思ひ出さずにはゐられなかつた。
『今でも、千鳥なんか、太平洋から、こゝを越えて、伊勢湾の方へ飛んで行くさうですよ』
こゝらのことに詳しい友達は、こんなことを私に説明した。
伊良湖の村、それは半ば松の中に埋れたさびしいさびしい村であつた。しかし今行く旅客は、最早その伊良湖の孤村を見ることは出来ないであらう。磯丸の歌碑のある、または芭蕉翁の鷹の碑のある、湧き出してゐる清い泉の周囲に村の娘達の朝毎に水を汲みに来る、前には美しい伊勢湾、火のやうな雲の夕毎に渦きあがる朝熊山、砂山を越せば、美しい恋路ヶ浦、神島の一青螺は怒濤の中にとはに聳えて、その向うに菅島、答志島の重り合つてゐる眺望――その眺望は、その風景は、依然として、元のまゝであらうけれども、しかも、その伊良湖の村、私の十日ほどゐた伊良湖の村は、全く見ることが出来なくなつて了つた。何故と云ふのに、そこは、要塞演習地のために取払はれて、その背後に当る日出の一村にすつかり合併せられて了つたからである。丁度その時分、吉江孤雁氏が其処に遊んで、その村の破壊されたさまをその文章に書いたのを私は見たことがあつた。私は悲しいやうな気がした。