日支親善策如何 ――我輩の日支親善論

3話 共和政治の美名

835字 約2分 2020年5月25日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 支那は第一次、二次、三次と回を重ねて、ついにその目的とするところの共和政治という外形上の希望を成就することが出来た。けれども、本質的にその目的は成就されているか、(はなは)(あや)しい。従来大民族を擁する大国で、これが成功したことはない。共和政治そのものは、よほど文明の程度の高いものでなければ到底(とうてい)行わるるものではない。名は共和政治といっても畢竟(ひっきょう)は小数者の政治だ。君主専制に反抗して共和政治となしても、君主専制が一転して小数者の圧制となるに(ほか)ならぬ。更にそれが再転すれば君主専制となるに過ぎぬ。仏国大革命の跡方を見ると、誰でもそうだと合点するだろう。革命時代の仏国文明は支那現在の文明よりも(はるか)に進んでいた。その隣国の文明とはほとんど同一の高度をもっていたのであるが、それにしても仏国の大革命は結局失敗に帰して、いわゆる穏和派が急激派のために破れ、ジャコビン党の跋扈となり、恐怖時なるものが現出するに至った。さあそうなると、このたびは武力を有するものが一番躍出(おどりだ)してこれを鎮定するということになって、奈破翁(ナポレオン)がついに一手にこれを()ぶるということになったのである。仏国にして既に(しか)りだ。(いわ)んやその文明の程度に於て遥かに低い四億万からの大民族を有する支那に於ては、これは到底不可能な事ではあるまいか。

 (いん)(かん)遠からず、支那第一次の革命はその形式に於て共和政治を獲得することが出来た。満州朝廷は(くつが)えされて、支那は中華民国という名を見るようになった。袁世凱(えんせいがい)は選ばれて大総統となり、支那は一時は大いに覚醒したように見えたけれども、次いで第二の革命が起った。南北権を争うの結果、第一次の革命に(あずか)った有志は皆国外に放逐されるやら暗殺されるやら、やがては袁が奈破翁(ナポレオン)やシイザルの故智に倣って自ら帝位に()こうなどという大それた妄想を抱いたりなどして、第二の革命が勃発する。次いで第三次の革命が起ったが、これは袁総統の薨去によりて、それから列国が互いに大戦争の渦中に在るが故に、比較的順当に決行する事が出来た。

目次に戻る

目次