2話 白金之絵図(2)
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「相違ない、これじゃ。」
あの怪しげな烏瓜を、坂の上の藪から提灯、逆上せるほどな日向に突出す、痩せた頬の片靨は気味が悪い。
そこで、坂を下りるのかと思うと、違った。……老人は、すぐに身体ごと、ぐるりと下駄を返して、元の塀についてまた戻る……さては先日、極暑の折を上ったというこの坂で、心当りを確めたものであろう。とすると、狙をつけつつ、こそこそと退いてござったあの町中の出窓などが、老人の目的ではないか。
裏に、眉のあとの美しい、色白なのが居ようも知れぬ。
それ、うそうそとまた参った……一度屈腰になって、静と火薬庫の方へ通抜けて、隣邸の冠木門を覗く梅ヶ枝の影に縋って留ると、件の出窓に、鼻の下を伸して立ったが、眉をくしゃくしゃと目を瞑って、首を振って、とぼとぼと引返して、さあらぬ垣越。百日紅の燃残りを、真向に仰いで、日影を吸うと、出損なった嚔をウッと吸って、扇子の隙なく袖を圧える。
そのまま、立直って、徐々と、も一度戻って、五段ばかり石を築いた小高い格子戸の前を行過ぎた。が溝はなしに柵を一小間、ここに南天の実が赤く、根にさふらんの花が芬と薫るのと並んで、その出窓があって、窓硝子の上へ真白に塗った鉄の格子、まだ色づかない、蔦の葉が桟に縋って廂に這う。
思わず、そこへ、日向にのぼせた赤い顔の皺面で、鼻筋の通ったのを、まともに、伸かかって、ハタと着ける、と、颯と映るは真紅の肱附。牡丹たちまち驚いて飜れば、花弁から、はっと分れて、向うへ飛んだは蝴蝶のような白い顔、襟の浅葱の洩れたのも、空が映って美しい。
老人転倒せまい事か。――やあ、緑青色の夥間に恥じよ、染殿の御后を垣間見た、天狗が通力を失って、羽の折れた鵄となって都大路にふたふたと羽搏ったごとく……慌しい遁げ方して、通用門から、どたりと廻る。とやっとそこで、吻と息。
ちょうどその時、通用門にひったりと附着いて、後背むきに立った男が二人居た。一人は、小倉の袴、絣の衣服、羽織を着ず。一人は霜降の背広を着たのが、ふり向いて同じように、じろりと此方を見たばかり。道端の事、とあえて意にも留めない様子で、同じように爪さきを刻んでいると、空の鵄が暗号でもしたらしい、一枚びらき馬蹄形の重い扉が、長閑な小春に、ズンと響くと、がらがらぎいと鎖で開いて、二人を、裡へ吸って、ずーんと閉った。
保険か何ぞの勧誘員が、紹介人と一所に来たらしい風采なのを、さも恋路ででもあるように、老人感に堪えた顔色で、
「ああああ、うまうまと入ったわ――女の学校じゃと云うに。いや、この構えは、さながら二の丸の御守殿とあるものを、さりとては羨しい。じゃが、女に逢うには服礼が利益かい。袴に、洋服よ。」
と気が付いた……ものらしい……で、懐中へ顎で見当をつけながら、まずその古めかしい洋傘を向うの亜鉛塀へ押つけようとして、べたりと塗くった楽書を読む。
「何じゃ――(八百半の料理はまずいまずい、)はあ、可厭な事を云う、……まるで私に面当じゃ。」
ふと眉を顰めた、口許が、きりりと緊って、次なるを、も一つ読む。
「――(小森屋の酒は上等。)ふんふん、ああたのもしい。何じゃ、(但し半分は水。)……と、はてな……?
勘助のがんもどきは割にうまいぞ――むむむむ割にうまいか、これは大沼勘六が事じゃ。」と云った。
ここに老人が呟いた、大沼勘六、その名を聞け、彼は名取の狂言師、鷺流当代の家元である。
七
「料理が、まずくて、雁もどきがうまい、……と云うか。人も違うて、芸にこそよれ、じゃが、成程まずいか、ははっ。」
溜息を深うして、
「ややまた、べらぼうとある……はあ、いかさま、この(――)長いのが、べら棒と云うものか。」
あたかも、差置いた洋傘の柄につながった、消炭で描いた棒を視めて、虚気に、きょとんとする処へ、坂の上なる小藪の前へ、きりきりと舞って出て、老人の姿を見ると、ドンと下りざまに大な破靴ぐるみ自転車をずるずると曳いて寄ったは、横びしゃげて色の青い、猿眼の中小僧。
「やい!」と唐突に怒鳴付けた。
と、ひょろりとする老人の鼻の先へ、泥を掴んだような握拳を、ぬっと出して、
「こン爺い、汝だな、楽書をしやがるのは、八百半の料理がまずいとは何だ、やい。」
「これは早や思いも寄りませぬ。が、何かの、この八百半と云うのは、お身の身内かの。」
「そうよ、まずい八百半の番頭だい、こン爺い。」
と評判の悪垂が、いいざまに、ひょいと歯を剥いて唾を吐くと、べッとりと袖へ。これが熨斗目ともありそうな、柔和な人品穏かに、
「私は楽書はせぬけれどの、まずいと云うのを決して怒るな、これ、まずければ、私と親類じゃでのう。」
「何だ、まずいのが親類だ――ええ、畜生!」と云った。が、老人の事ではない。前生の仇が犬になって、あとをつけて追って来た、面の長い白斑で、やにわに胴を地に摺って、尻尾を巻いて吠えかかる。
「畜生、叱……畜生。」と拳を揮廻すのが棄鞭で、把手にしがみついて、さすがの悪垂真俯向けになって邸町へ敗走に及ぶのを、斑犬は波を打って颯と追った。
老人は、手拭で引摺って袖を拭きつつ、見送って、
「……緑樹影沈んでは魚樹に上る景色あり、月海上に浮んでは兎も波を走るか、……いやいや、面白い事はない。」
で、羽織を出して着たのであった。
頸窪に胡摩塩斑で、赤禿げに額の抜けた、面に、てらてらと沢があって、でっぷりと肥った、が、小鼻の皺のだらりと深い。引捻れた唇の、五十余りの大柄な漢が、酒焼の胸を露出に、べろりと兵児帯。琉球擬いの羽織を被たが、引かけざまに出て来たか、羽織のその襟が折れず、肩をだらしなく両方を懐手で、ぎくり、と曲角から睨んで出た、(これこれ、いやさ、これ。)が、これなのである。
「何ぞ、老人に用の儀でも。」
と慇懃に会釈する。
赭顔は、でっぷりとした頬を張って、
「いやさ、用とはこっちから云う事じゃろうが、うう御老人。」と重く云う。
「貴方は?」
「いやさ、名を聞くなら其許からと云う処だが、何も面倒だ。俺は小室と云う、むむ小室と云う、この辺の家主なり、差配なりだ。それがどうしたと言いたい。
ねえ、老人。
いやさ、貴公、貴公先刻から、この町内を北から南へ行ったり来たり、のそのそ歩行いたり、窺ったり、何ぞ、用かと云うのだ。な、それだに因ってだ。」
もの云う頬がだぶだぶとする。
「されば……」
「いやさ、さればじゃなかろう。裏へ入れば、こまごまとした貸家もある、それはある。が、表のこの町内は、俺が許と、あと二三軒、しかも大々とした邸だ。一遍通り門札を見ても分る。いやさ、猫でも、犬でも分る。
一体、何家を捜す? いやさ捜さずともだが、仮にだ。いやさ、七くどう云う事はない、何で俺が門を窺うた。唐突に窓を覗いたんだい。」
すっと出て、
「さては……」
「何が(さては。)だい。」
と噛んでいた小楊枝を、そッぽう向いて、フッと地へ吐く。
八
老人は膝に扇子、恭しく腰を屈め、
「これは御大人、お初に御意を得ます、……何とも何とも、御無礼の段は改めて御詫をします。
さて、つかん事を伺いまするが、さて、貴方に、お一方、お娘御がおいでなさりはせまいか。」
と、思込んだ状して言った。
「娘……ああ、女のかね。」
唐突に他の家の秘蔵を聞くは、此奴怪しからずの口吻、半ば嘲けって、はぐらかす。
いよいよ真顔で、
「されば、おあねえ様であらっしゃります。」
「姉だか、妹だか、一人居ます。一人娘だよ。いやさ、大事な娘だよ。」
「ははっ、御道理千万な儀で。」
「それが、どうしたと云うんですえ。」と、余り老人の慇懃さに、膨れた頬を手で圧えた。
「私、取って六十七歳、ええ、この年故に、この年なれば御免を蒙る。が、それにしても汗が出ます。」
と額を拭って、咳をした……
「何とぞいたして御大人、貴方の思召をもちまして、お娘御、おあねえ様に、でござる、ちょっと、御意を得ますわけには相成りませぬか。」
「ふん、娘にかい。」
「何とも。」
「変だねえ、娘に用があるなら俺に言え、と云うのだが、それは別だ。いやあえて怪しい御仁とも見受けはせんが、まあね、この陽気だから落着くが可うござす。一体、何の用なんだい。」
「いや、それに就いて罷出ました……無面目に、お家を窺い、御叱を蒙ったで、恐縮いたすにつけても、前後申後れましてござるが、老人は下谷御徒士町に借宅します、萩原与五郎と申して未熟な狂言師でござる。」と名告る。
「ははあ、茶番かね。」と言った。
しかり、茶番である。が、ここに名告るは惜かりし。与五郎老人は、野雪と号して、鷺流名誉の耆宿なのである。
「おお、父上、こんな処に。」
「お町か、何だ。」
と赭ら顔の家主が云った。
小春の雲の、あの青鳶も、この人のために方角を替えよ。姿も風采も鶴に似て、清楚と、端正を兼備えた。襟の浅葱と、薄紅梅。瞼もほんのりと日南の面影。
手にした帽子の中山高を、家主の袖に差寄せながら、
「帽子をお被んなさいましッて、お母さんが。……裏へ見廻りにいらしったかと思ったんです。」
と、見迎えて一足退いて、亜鉛塀に背の附くまで、ほとんど固くなった与五郎は、たちまち得も言われない嬉しげな、まぶしらしい、そして懐しそうな顔をして、
「や、や、や、貴女、貴女じゃった、貴女。」と袖を開き、胸を曳いて、縋りもつかんず、しかも押戴かんず風情である。
疑と、驚きに、浅葱が細く、揺るるがごとく、父の家主の袖を覗いて、《みは》った瞳は玲瓏として清しい。
家主は、かたいやつを、誇らしげにスポンと被って、腕組をずばりとしながら、
「何かい、……この老人を、お町、お前知っとるかい。」
「はい。」
と云うのが含み声、優しく爽に聞えたが、ちと覚束なさそうな響が籠った。
「ああ、しばらく、一旦の御見、路傍の老耄です。令嬢、お見忘れは道理じゃ。もし、これ、この夏、八月の下旬、彼これ八ツ下り四時頃と覚えます。この邸町、御宅の処で、迷いに迷いました、路を尋ねて、お優しく御懇に、貴女にお導きを頂いた老耄でござるわよ。」
と、家主の前も忘れたか、気味の悪いほど莞爾々々する。
「の、令嬢。」
「ああ、存じております。」
鶴は裾まで、素足の白さ、水のような青い端緒。
九
「貴女はその時、お隣家か、その先か、門に梅の樹の有る館の前に、彼家の乳母と見えました、円髷に結うた婦の、嬰坊を抱いたと一所に、垣根に立ってござって……」
と老人は手真似して、
「ちょうちちょうちあわわ、と云うてな、その児をあやして、お色の白い、手を敲いておいでなさる。処へ、空車を曳かせて老人、車夫めに、何と、ぶつぶつ小言を云われながら迷うて参った。
尋ねる家が、余り知れないで、既に車夫にも見離されました。足を曳いて、雷神坂と承る、あれなる坂をば喘ぎましてな。
一旦、この辺も捜したなれども、かつて知れず、早や目もくらみ、心も弱果てました。処へ、煙硝庫の上と思うに、夕立模様の雲は出ます。東西も弁えぬこの荒野とも存ずる空に、また、あの怪鳥の鳶の無気味さ。早や、既に立窘みにもなりましょうず処――令嬢お姿を見掛けましたわ。
さて、地獄で天女とも思いながら、年は取っても見ず知らぬ御婦人には左右のうはものを申し難い。なれども、いたいけに児をあやしてござる。お優しさにつけ、ずかずかと立寄りまして、慮外ながら伺いましたじゃ。
が、御存じない。いやこれは然もそう、深窓に姫御前とあろうお人の、他所の番地をずがずがお弁別のないはその筈よ。
硫黄が島の僧都一人、縋る纜切れまして、胸も苦しゅうなりましたに、貴女、その時、フトお思いつきなされまして、いやとよ、一段の事とて、のう。
御妙齢なが見得もなし。世帯崩しに、はらはらとお急ぎなされ、それ、御家の格子をすっと入って、その時じゃ――その時覚えました、あれなる出窓じゃ――
何と、その出窓の下に……令嬢、お机などござって、傍の本箱、お手文庫の中などより、お持出でと存じられます。寺、社に丹を塗り、番地に数の字を記いた、これが白金の地図でと、おおせで、老人の前でお手に取って展いて下され、尋ねます家を、あれか、これかと、いやこの目の疎いを思遣って、御自分に御精魂な、須弥磐石のたとえに申す、芥子粒ほどな黒い字を、爪紅の先にお拾い下され、その清らかな目にお読みなさって……その……解りました時の嬉しさ。
御心の優しさ、御教えの尊さ、お智慧の見事さ、お姿の《ろう》たい事。
二度目には雷神坂を、しゃ、雲に乗って飛ぶように、車の上から、見晴しの景色を視めながら、口の裡に小唄謡うて、高砂で下りました、ははっ。」
と、踞むと、扇子を前半に帯にさして、両手を膝へ、土下座もしたそうに腰を折って、
「さて、その時の御深切、老人心魂に徹しまして、寝食ともに忘れませぬ。千万忝う存じまするぞ。」
「まあ。」
と娘は、またたきもしなかった目を、まつげ深く衝と見伏せる。
この狂人は、突飛ばされず、打てもせず、あしらいかねた顔色で、家主は不承々々に中山高の庇を、堅いから、こつんこつんこつんと弾く。
「解りました、何、そのくらいな事を。いやさ、しかし、早い話が、お前さん、ああ、何とか云った、与五郎さんかね。その狂言師のお前さんが、内の娘に三光町の地図で道を教えてもらったとこう云うのだ。」
「で、その道を教えて下さったに……就きまして、」
「まあさ、……いやさ、分ったよ。早い話が、その礼を言いに来たんだ、礼を。……何さ、それにも及ぶまいに、下谷御徒士町、遠方だ、御苦労です。早い話が、わざわざおいでなすったんで、茶でも進ぜたい、進ぜたい、が、早い話が、家内に取込みがある、妻が煩うとる。」
「いや、まことに、それは……」
「まあさ、余りお饒舌なさらんが可い。ね、だによって、お構いも申されぬ。で、お引取なさい、これで失礼しよう。」
「あ、もし。さて、また。」
「何だ、また(さて。)さて、(また。)かい。」
十
与五郎は、早や懐手をぶりりと揺って行こうとする、家主に、縋るがごとく手を指して、
「さて……や、これはまたお耳障り。いや就きまして……令嬢に折入ってお願いの儀が有りまして、幾重にも御遠慮は申しながら、辛抱に堪えかねて罷出ました。
次第と申すは、余の事、別儀でもござりませぬ。
老人、あの当時、……されば後月、九月の上旬。上野辺のある舞台において、初番に間狂言、那須の語。本役には釣狐のシテ、白蔵主を致しまする筈。……で、これは、当流においても許しもの、易からぬ重い芸でありましての、われら同志においても、一代の間に指を折るほども相勤めませぬ。
近頃、お能の方は旭影、輝く勢。情なや残念なこの狂言は、役人も白日の星でござって、やがて日も入り暗夜の始末。しかるに思召しの深い方がござって、一舞台、われらのためにお世話なさって、別しては老人にその釣狐仕れの御意じゃ。仕るは狐の化、なれども日頃の鬱懐を開いて、思うままに舞台に立ちます、熊が穴を出ました意気込、雲雀ではなけれども虹を取って引く勢での……」
と口とは反対、悄れた顔して、娘の方に目を遣って、
「貴女に道を尋ねました、あの日も、実は、そのお肝入り下さるお邸へ、打合せ申したい事があって罷出る処でござったよ。
時に、後月のその舞台は、ちょっと清書にいたし、方々の御内見に入れますので、世間晴れての勤めは、更めて来霜月の初旬、さるその日本の舞台に立つ筈でござる。が、剣も玉も下磨きこそ大事、やがては一拭いかけまするだけの事。先月の勤めに一方ならず苦労いたし、外を歩行くも、から脛を踏んでとぼつきます……と申すが、早や三十年近う過ぎました、老人が四十代、ただ一度、芝の舞台で、この釣狐の一役を、その時は家元、先代の名人がアドの猟人をば附合うてくれられた。それより中絶をしていますに因って、手馴れねば覚束ない、……この与五郎が、さて覚束のうては、余はいずれも若い人、まだ小児でござる。
折からにつけ忘れませぬは、亡き師匠、かつは昔勤めました舞台の可懐さに、あの日、その邸の用も首尾すまいて、芝の公園に参って、もみじ山のあたりを俳徊いたし、何とも涙に暮れました。帰りがけに、大門前の蕎麦屋で一酌傾け、思いの外の酔心に、フト思出しましたは、老人一人の姪がござる。
これが海軍の軍人に縁付いて、近頃相州の逗子に居ります。至って心の優しい婦人で、鮮しい刺身を進じょう、海の月を見に来い、と音信のたびに云うてくれます。この時と、一段思付いて、遠くもござらぬ、新橋駅から乗りました。が、夏の夜は短うて、最早や十時。この汽車は大船が乗換えでありましての、もっとも両三度は存じております。鎌倉、横須賀は、勤めにも参った事です――
時に、乗込みましたのが、二等と云う縹色の濁った天鵝絨仕立、ずっと奥深い長い部屋で、何とやら陰気での、人も沢山は見えませいで、この方、乗りました砌には、早や新聞を顔に乗せて、長々と寝た人も見えました。
入口の片隅に、フト燈の暗い影に、背屈まった和尚がござる! 鼠色の長頭巾、ト二尺ばかり頭を長う、肩にすんなりと垂を捌いて、墨染の法衣の袖を胸で捲いて、寂寞として踞った姿を見ました……
何心もありませぬ。老人、その前を通って、ずっとの片端、和尚どのと同じ側の向うの隅で、腰を落しつけて、何か、のかぬ中の老和尚、死なば後前、冥土の路の松並木では、遠い処に、影も、顔も見合おうず、と振向いて見まするとの……」
娘は浅葱の清らかな襟を合す。
父爺の家主は、棄てた楊枝を惜しそうに、チョッと歯ぜせりをしながら、あとを探して、時々唾吐く。
十一