三悪人物語 忍術千一夜 第二話

4話 四

2,119字 約4分 2022年6月11日 公開

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「なにもあなたのお嫁さんにしてくれなんて云やあしませんわ」

 お杉のまどんなはこう続ける、

「あたし結婚なんてもの軽蔑(けいべつ)していますの、妻なんて名からして侮辱ですもの、だって刺身のつまという意味と同じことですからね、それよりあたし堕村胎次郎(だむらたいじろう)先生のお説の賛成者ですわ、好きになってなにしたくなったらどこで誰となにしたっていい、それが人間性の解放だって、ずいぶんお新しい立派な理論じゃありませんか、このお説が出た以上はもうけものみたいだとか婬奔(いんぽん)だなんて云われる心配はありませんわねえ、若旦那、あたしたちも堕村(だむら)式でいきましょうよう」

 木像はなんとも答えない。お杉の姐さんはもうぼっとしてしまって、木像の躯へ手をまわし、抱きしめるといっしょに顔を重ねた。――どうもうす気味の悪いことに相成った、姐さんは堕村理論に傾倒するの余り気が狂ったのだろうか、それともなにかに化かされでもしたのだろうか、ともかく気味が悪いから、ちょっと失礼して元の部屋をのぞいてみよう。……幹部役人と旦那衆の懇談は終わった、すなわち、主食副食をはじめ日用雑貨の割当を削減し、価格を倍に値上げする、そしてぬけ買いを厳重に取り締まる、犯した者は逆さ磔刑(はりつけ)にする。これ一に「貧しき者、正直者の生活を保証するための至上法であって、これにより庶民の社会的連帯観念と、自粛精神ならびに道徳的良心の自覚を促進するであろう」という結論である。その公明にして理路整然たること、かの権頭にでも聞かせたら狂喜したに違いない。――やがて飲むだけ飲み食うだけ食った役人たちは、旦那衆からの贈り物をふところにねじ込んで、たいそう機嫌よく席を立った。招宴は終わったのである。

 みんなそろって出ていったが、間もなく三人だけ引き返して来た。筆頭与力の蓑賀参蔵に持木成助と来六屋出平である。戻って来た彼らは襖障子(ふすましょうじ)を閉め、互いの膝を突き合わせるように坐った。蓑賀殿の肥えた円い顔が、こんどはきんと引きしまっているし、声も低く真虔(しんけん)な響きをもっている。

「江戸から御使者があった」参蔵殿はこう申される、「来月初めに監察使が来る、それまでに仕事をしなければならない、来六屋の倉は大丈夫として、持木屋、金のほうはいいか」

「三千や五千くらいはすぐに出せます」

 成助はにこりと笑う、

「もし足りなければ集めることにいたしますが」

「少なくとも二十箱は必要だ、あと二十四五日あるから、食糧物資の統制をぐっと締めれば、法定備蓄量はそれでうくだろう、十日すれば肥後と庄内から米がつく、それとこれまでの蔵匿物(ぞうとくぶつ)をまとめてはたくんだ」

「田丸屋と折屋、この二人が難物ですな」

 成助が分別ありげに云った、「彼らは自分たちで品を動かそうとしております、もし監察使の来ることがわかったら梃(てこ)でも動かなくなるでしょう」

「もちろんすべて極秘だ、二人が品を出ししぶったら禁令品蔵匿で縛る手もある、とにかく金の手配を急いでもらおう」

 そのとき突然「聞いたぞ聞いたぞ」という声がした。三人は仰天の余りほとんどとび上がりそうになった、蓑賀殿は刀をつかんで、「なに奴だ」と云いながら見まわしたが、部屋の中には彼らのほかになに者もいない、「はてふしぎ――」三人が思わず眼を見交わしたとき、

「おいここだここだ、眼の前だよ」

 という声がした。

「ほら私だよ、見えないのかい」

 こう云って食膳の上の燗徳利がぐらぐらと左右へ揺れた。三人はもういちど仰天し愕然(がくぜん)としたうえ身震いをした。燗徳利はひとりでひょいと畳の上へとびだし、嘲弄(ちょうろう)するように左右へ揺れながら、恐るべきことをしゃべりだした。

「おまえたちのする事はわかった、官と商人と結託して消費禁令を出し、領民の生活を拘束してあらゆる物資を退蔵し、裏口商売による暴利をむさぼるのみか、退蔵物資を横に流して巨額の利を得てきた、今また幕府の監察使が来ると聞いて、その前に大量の蔵匿物を処理して大儲(おおもう)けをやろうとしている、だがそれは不可能だ、隠匿されている物資はすべて領民に所有権がある、なぜならそれは領民の極端な耐乏生活と、支払わされた不当価格によって生じた余剰だからだ、返さなければならない、領民にすべてを返さなければならない、わかったかね諸君」

 えいという絶叫と共に蓑賀殿が燗徳利に抜打ちをくれた。燗徳利はひょいと宙に浮き、蓑賀さんの上へ来て横にかしいだ、蓑賀氏は頭から酒を浴び、怒って刀を振り廻した。

「あははははまた会うよ」

 徳利はこう嘲笑したと思うと、来六屋出平の上へ落ちて来て、その頭に当たってがちゃんと三つに割れた。三人は夢中になって徳利のかけらにとびかかり、一つ一つ手に取って念入りに調べた、だがそれらはいささかの瞞着(まんちゃく)も機関(からくり)もない単なる徳利のかけらで、妖異(ようい)を証明するなにものも存在しなかった。――三人は茫然と顔を見合わせ、それから突然けらけらと笑いだした。激烈な精神感動は人間に笑いの衝動を与えるという、三人は蒼白(あおじろ)い顔で、額に膏汗(あぶらあせ)を流しながら、けらけらと笑いに笑った。

「ばかばかしいこんな事はありえない」蓑賀殿は笑いながら断言した、「ありえない事は存在する道理がない。わる洒落(しゃれ)だ、なにを怖(おそ)れるか、子供だましだ、われわれは絶対に安泰だ」

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