3話 平次と八五郎は社会部長と部員
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野村 わたしの知っている共同通信の記者なんだが、銭形平次と八五郎は親分と子分という関係ではなく、社会部長あたりとその部員……そっくり新聞記者的関係ですね、といっていたが、まァそういわれると、そうもいえる。わたしは長いこと社会部長(報知新聞の)をやっていたが、面白かったな。ずいぶん部員の尻ぬぐいもさせられてね。ある日社へいってみると誰もいない。変だな、どうしたんだろう?と思っていると電話がかかってきて……みんな板橋あたりへ遊びにいって、勘定が払えないもんだから、帰れない。そこへ籠城しているというんだ。助けにきて下さいってわけなんだ。みんなを助け出してやらんことには仕事にさしつかえるしね。しょっちゅうあったよ。そういうことが……
江戸川 ほウ。
野村 しかし楽しかった。ある雑誌社で座談会をやって、今までにどんな仕事が面白かったかと、聞かれたんで、なにが面白いといって新聞記者くらい面白いことはなかった、といった。
江戸川 野村さんは、ぼくの恩人だよ。あんたが「写真報知」という週刊誌をやっているころ、ぼくに原稿を書かせてくれた。「新青年」以外に書いたのはそれがはじめてで、しかも新青年の倍の原稿料をくれた。まったく忘れられない。
野村 わたしの恩人は、亡くなった直木三十五でね。彼は「文藝春秋」にさかんにわたしを推賞してくれた。わたしは四十六歳になって小説を書きはじめたんだけど、妙なところに恩人がいるもんでね。山手樹一郎君も、わたしに「譚海」という雑誌に九年連載のものを書かしてくれた。
江戸川 一番古い捕物帖の作者というとやっぱり岡本綺堂かな?
野村 まァそうだね。それから佐々木味津三、林不忘……みんな亡くなってしまった。
江戸川 あの銭形平次の投げ銭……あんなことがむかしあったのかな?
野村 いや、それをラジオの「朝の訪問」のアナウンサー君にきかれて弱った。あんなのは実際にはなかったろうな。わたしのは「水滸伝」に出てくる没羽箭張清という豪傑、腰に錦の袋を持っていて、その中から石ころをとって投げる。これにはさしもの黒旋風も悩まされるんだが、それにヒントを得たといえばいえるし……。